福良工業地帯(ふくら こうぎょうちたい)
片田が二度目に室町時代に来てから、まだ淡路島の工業地帯に行っていなかった。鍛冶丸が、いくつか相談したいことがあるので、一度放談為合わないか、と言ってきた。
行くことにした。
「これは速いな」片田が鍛冶丸に向かって言った。
「ああ、同じ馬力の蒸気機関でも、外輪とスクリューとでは、断然スクリューの方が、効率がいい」
二人は、艇長十五メートル程の蒸気艇に乗っていた。淡路島に住む鍛冶丸が堺の片田商店に通うときに使用している高速艇だった。
二十五ノット(時速約四十六キロメートル)は出ているだろう。船首がわずかに浮き上がり、左右に白波を切っていた。
「この船だと、淡路の福良港まで、二時間かからない」
細長い船体の後部には、このクラスとしては大きめの蒸気機関が置かれ、中央部には石炭庫と真水の水槽が置かれている。
炭水庫と蒸気機関との間には操縦者の席と、助手の席がある。助手は火室に石炭を入れたり、手動ポンプでボイラーに水を供給するのが仕事だ。
最前部には四人が座れる座席があるだけで、荷物輸送のための倉庫などはない。
座席から炭水庫の向こう側にいる操縦者と会話するには、紐で引いて鳴らす小さな鐘と伝声管を使う。
蒸気機関が故障したときのために、マストが一本だけ立っていて、三角帆を張ることができるようになっていた。
「スクリューシャフトの防水は、どうしているんだ」スクリュー式推進の場合には、船尾にスクリューシャフトを通す穴をあけなければならない。初期に外輪船が使われたのは、船尾に穴を開けることを嫌ったためだ。
「帆布を三重にして、重油を浸み込ませたものでシャフトを覆っている。漏斗の出口側をスクリューの方に向けたような形だ。そうすれば、水圧がかかったときに、帆布がシャフトに密着する」
まだ、ゴムがないので、そうするしかないだろうな、片田が思った。
「しかし、大型の輸送船や砲艦をスクリュー式にするのは、石英丸や安宅丸が許してくれない。万一の浸水を心配しているんだろう」
石英丸達の心配も解る。瀬戸内海を航海する分には、事故があってもなんとかなるが、遠隔地で孤立しているときに浸水してしまえば、大変なことになる。
この快速艇ならば、スクリューの位置は水面下五十センチ以内だろうが、二百トン級では二メートルをを越すだろう。水圧もそれだけ大きくなる。
堺を出て、一時間程で淡路島と友ヶ島の間の紀淡水道を抜ける。右舷側に由良の造船施設が見えた。
海岸線と並行に二.五キロメートルも伸びる成ヶ島は天然の防波堤になっている。その向こう側の岸に、いくつもの乾ドックが建設されている。建設中のものもいくつかあった。
ドックと隣接する埠頭には、林のようにマストが立ち並んでいる。
由良を過ぎて、右旋回する。こんどは淡路島の南岸を西に向かう。沼島を左舷に見て、さらに右旋回すると阿万の浜、吹上の浜が見えて来た。
吹上浜が尽きたところに突き出た押登岬を回ると、福良の港が見える。
大見山と釣島鼻に挟まれた水道に入ると、幾つもの煙突が海岸線に沿って林立している。白い煙を出しているのは製紙工場だろうか。アンモニアをはじめとした化学工場、製鉄所、ここからでは、なにを作っているのかわからない、無数の工場が見えた。
福良の埠頭が見えて来た。一つ一つの埠頭がずいぶんと大きい。現在片田商店が建造している船は、千石船と同等の大きさで、二百トン程の排水量だったが、この埠頭は千トンを超える船でも接岸できるだろう。
と、いうことは、さっき見た由良の造船ドックも、千トン級を前提にして造られているのだろうか。あまりにも遠かったのでよくわからない。
鍛冶丸が右後方を指さす。
「あっちにあるのが、作ったばかりの、石油の蒸留塔だ」
現在造船ドックがある奥まったところに、四十メートルはあろうか、という塔が聳えていた。
蒸留塔だとすると、運んできた原油を加熱して、あの塔の中で、温度ごとに分留するのだろう。
「どんな油に分けているんだ」
「重油、軽油、灯油だ」
「それよりも、沸点の低いナフサやガソリンはどうしている」
「ああ、それも分留してみたんだが、揮発性が高すぎて、危険だった。なので、今は灯油より沸点の低いものは、蒸発させている」
ガソリンなどは、危険なので大気中に放しているとのことだ。もったいないが石油産業の黎明期には、鍛冶丸と同様にガソリンなどは捨てていた。
片田が前に向き直る。堂々とした臨海工業地帯だった。
初期には、片田自身が工業地帯建設に関わっていた。全体の縄張りを決めたのは片田だった。触媒筒も彼自身が準備した。
しかし、出来上がるまで見届けることが出来ず、現代に帰ってしまった。
三十有余年前、片田村の学校で『何と何をかけると五になるんだ』と尋ねて来た子供がこれを作ったのか。
片田が感慨に耽った。




