志野宗信(しの そうしん)
片田が最後に足利義政に会った時、彼は三十七、八歳だったと思う。
今、片田の前にいる義政は五十代に入っていた。以前の驕奢で高慢な態度は影を潜め、かなり枯れた様子であった。
彼の背後には押板、現在で言う所の『床の間』がある。そこに架けられた掛け軸は枯淡なものであり、置かれた茶器も地味なものである。
以前の彼ならば、茶器には天目茶碗などを置いていたであろうが、今日そこに置かれているのは、見逃してしまいそうな茶入れで、『初花』という銘を与えられていた。
しかし、義政は、まったく枯れてしまったわけでもない。
片田達は知らないが、この床の間の裏側は窓の無い納戸になっており、その部屋の全ての壁面には鏡が張られていた。
義政の再三の依頼に、ついに『あや』が断り切れなくなり、この山荘の敷地内に鏡製造の臨時作業場を建てて、壁面一杯につなぎ目の無い鏡を納品した。
義政は、たいそう喜び、深夜には鏡の間に籠り、合わせ鏡の無限を楽しんでいた。
義政の後から、幾人もの剃髪、白袴の男達が入ってくる。僧のようであるが、僧といえるかどうか。
将軍の同朋衆と言われる人々だった。芸能や美術品鑑定に優れており、その才能で将軍に仕えている。
今日は、香道に優れた同朋衆が呼ばれたようだ。
「ぞろぞろと連れてまいって、驚かしたかの。『東大寺』の香が来ると言ったら、我も我もと言いだし、このような次第になった。すまぬが堪えてくれ」義政が片田に詫びる。
「この男が松隠軒といってな、『六国五味』を定めた男だ」義政が、彼の右隣りに座る男を指していった。
松隠軒とは、志野宗信の号である。香のなかから、その六産地と、五香味という特性を抽出し、それらの組み合わせで六十一種に分類した。
例えば、これまでにも登場している『澪標』の六国は伽羅、すなわち高級な沈香だ。沈香の主な産地はベトナムであり、インドシナ半島あたりに産出する。また、その五味は『苦』と『甘』が混ざったものとされる。チョコレートのような香りかもしれない。
また、『臘梅』という香もある。これは産地の六国は寸門陀羅であり、『酸』『甘』『辛』が合わさっている。タイのチリソースか、韓国のナムルのような香りなのだろうか。
松隠軒と聞いた菊丸が、ハッとした顔をした。義政はその動きを見逃さなかった。
「おぬしが、最近良く聞く、片田商店の目利きか」
菊丸が片田に向けて、発言してもいいのか、という顔をする。
「お答え申し上げよ」片田が言った。
「はい、香名を鑑別することを仕事としております。菊丸と申します」
「そちのところから、最近良い香木が豊富に入ってくるという、良い仕事をしておるようじゃな」義政が言った。
「ありがたきことです」
「で、そちは松隠軒を知っておるのか」
「はい、ほんの子供の頃ですが。私の父は一条室町で桃林堂という香屋を営んでおりました」
「おぉ、桃林堂とな、山崎殿の御子か。桃林堂は上京の戦で焼け果て、そのあと、どうなったか、誰も知らんかった。残念なことじゃった」松隠軒こと志野宗信が言った。
「ご両親は」
「あの戦で、亡くなりました」
「そうであったか、それなのに、よく生き延びたの」
「では、山崎の、なんといったか、確か元服されていた、そうじゃ、公世殿じゃったか」
「いえ、兄は行方不明です。私は桃林堂の二郎です。菊丸といいます」
「弟のほうか。そうか、桃林堂が弟のお前様のことを自慢しておった。将来良い目利きになるじゃろうとな。そうか、そうか。立派になられた」
「目が不自由になったのか、それや不憫なことじゃ、しかしのぉ、お前様には香を聞き分ける才能があるそうではないか。それで生きてゆける、嘆かずともよい」
宗信が菊丸を愛でるように言う。
「ところで、『東大寺』を持参した、と申しておったが、披露してもらえぬか」義政が遮った。
同朋衆の一人が香炉を運び入れる。
安宅丸が腰帯に吊るした胴乱から二寸角に折った和紙を差し出し、菊丸に渡す。
菊丸がそれを前に差し出した。
「どうか、聞香をお願いいたします」
香炉の前に座る同朋衆が菊丸から受け取った和紙包みを開き、中を確認する。
炉の灰に聞筋を引き、匙で香木を掬い、銀葉に乗せる。
そして、それを、そっと熾火の上に置いた。
「……」
「これは、」と、宗信。
「これは、確かに『東大寺』じゃ」義政が言った。
「まさに」
「本物ではないか」
「菊丸、見事じゃ。よくこれを『東大寺』と、聞き当てた」志野宗信が感嘆して叫んだ。無理もない、香屋の息子といえど、『東大寺』を聞く機会はなかったはずだ。門外不出の品である。
片田と安宅丸が、あっけにとられる。彼らにしてみれば、この香りは、『お寺の匂い』、か『かなりの上物』という程度であった。
それなのに、ここに居る同朋衆が、これほど興奮するとは、驚きである。
菊丸とは異なり、この座にいる義政以下は、『東大寺』を経験していた。正倉院にある『蘭奢待』である。応仁の乱の二年前、寛正六年(一四六五年)に義政が東大寺を訪れ、自ら香木、蘭奢待と全浅香に面し、それぞれ一寸四方を二切れ、截り取っている。これらの香木の一組は宮中に献じられ、もう一組は義政が手中の物とした。
志野宗信以下、ここに並ぶ同朋衆は、義政が手に入れた蘭奢待を経験している数少ない人々だった。
「どれほどの大きさなのか」
安宅丸が、先ほどの胴乱から、香木を写生した紙を拡げ、示す。
「二尺程か、重さは」
「一貫と少しあります」
「『東大寺』が一貫か、それはまた、とんでもないものを手に入れたものだな。売るのか」
「売りたいのですが、値段が付けられません」片田が言った。
「そうじゃろうな、それにしても、今は時期が悪い」
「時期が悪い、とは」
「これほどの品を求めたがる者は、今は金を持っていない。金を持っている者では、右京太夫(細川政元)は修験道にかぶれておるし、左京太夫(大内政弘)は連歌や画に興味があるというが、香道に関しては聞いたことが無い」義政が言った。二人とも海外貿易で財をなしている。
「では、しばらく持っていろ、と」片田が尋ねる。
「うむ、そうするほうがよいであろう。明や朝鮮に売るという方法もあるが、彼らと日本では香の好みが異なるかもしれぬ、高く売れるとは思えん」
なにやら、宝の持ち腐れになりそうである。
「今日持参してきたのは、先ほどの紙包みだけか」
「いえ、まだ十包程ありますが」
「では、それを置いていくがよい、わしが目の利く者を招いて聞かせてやる。そのうち興味を持つ者がでてくるかもしれぬ」
その時、会所に駆け寄る武者が現れた。
「なんの用じゃ」中断されたことを不愉快そうに義政が言った。
「は、それが、お人払いを」武者が片田達の方を見ていった。
「かまわぬ。この者達は信用できる」
「ですが」
「かまわぬ、と言っておるであろう」
「は、それでは。公方様がお隠れになりました」
公方とは征夷大将軍のことである。現在の将軍は義政の息子、足利義尚(この時点では義熙と改名している)だった。六角征伐のため、近江の陣中にいる。
「お隠れ、とはどういうことだ」
義尚は、まだ二十五歳、満年齢で言えば二十三歳であった。『お隠れ』といわれてもピンとこない。それに、そもそも『お隠れ』は天皇や貴人に対して用いる。武者が敬語を使ったつもりなのであろうが、これでは通じにくい。
「公方様が、お亡くなりになりました。息を引き取られました」
「なんだとう、春王が死んだ、といっているのか、そんなバカなことがあるか、あの若さで」
「それが……」




