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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
334/614

志野宗信(しの そうしん)

 片田が最後に足利義政よしまさに会った時、彼は三十七、八歳だったと思う。

 

 今、片田の前にいる義政は五十代に入っていた。以前の驕奢きょうしゃ高慢こうまんな態度は影をひそめ、かなりれた様子であった。

 彼の背後には押板おしいた、現在で言う所の『とこ』がある。そこに架けられた掛け軸は枯淡こたんなものであり、置かれた茶器も地味なものである。

 以前の彼ならば、茶器には天目茶碗てんもくちゃわんなどを置いていたであろうが、今日そこに置かれているのは、見逃してしまいそうな茶入れで、『初花はつはな』というめいを与えられていた。


 しかし、義政は、まったく枯れてしまったわけでもない。

 片田達は知らないが、この床の間の裏側は窓の無い納戸なんどになっており、その部屋の全ての壁面には鏡が張られていた。


 義政の再三の依頼に、ついに『あや』が断り切れなくなり、この山荘の敷地内に鏡製造の臨時作業場を建てて、壁面一杯につなぎ目の無い鏡を納品した。

 義政は、たいそう喜び、深夜には鏡の間に籠り、合わせ鏡の無限を楽しんでいた。


 義政の後から、幾人もの剃髪ていはつ白袴しろばかまの男達が入ってくる。僧のようであるが、僧といえるかどうか。

 将軍の同朋衆どうぼうしゅうと言われる人々だった。芸能や美術品鑑定に優れており、その才能で将軍に仕えている。

 今日は、香道こうどうに優れた同朋衆が呼ばれたようだ。


「ぞろぞろと連れてまいって、驚かしたかの。『東大寺』の香が来ると言ったら、我も我もと言いだし、このような次第になった。すまぬがこらえてくれ」義政が片田にびる。

「この男が松隠軒しょういんけんといってな、『六国五味りっこくごみ』を定めた男だ」義政が、彼の右隣りに座る男を指していった。


 松隠軒とは、志野宗信しのそうしんの号である。香のなかから、その六産地と、五香味こうあじという特性を抽出し、それらの組み合わせで六十一種に分類した。

 例えば、これまでにも登場している『澪標みおつくし』の六国は伽羅きゃら、すなわち高級な沈香だ。沈香の主な産地はベトナムであり、インドシナ半島あたりに産出する。また、その五味は『にがい』と『あまい』が混ざったものとされる。チョコレートのような香りかもしれない。

 また、『臘梅ろうばい』という香もある。これは産地の六国は寸門陀羅スマトラであり、『酸』『甘』『辛』が合わさっている。タイのチリソースか、韓国のナムルのような香りなのだろうか。


 松隠軒と聞いた菊丸が、ハッとした顔をした。義政はその動きを見逃さなかった。

「おぬしが、最近良く聞く、片田商店の目利きか」

 菊丸が片田に向けて、発言してもいいのか、という顔をする。

「お答え申し上げよ」片田が言った。


「はい、香名を鑑別かんべつすることを仕事としております。菊丸きくまると申します」

「そちのところから、最近良い香木が豊富に入ってくるという、良い仕事をしておるようじゃな」義政が言った。

「ありがたきことです」

「で、そちは松隠軒を知っておるのか」

「はい、ほんの子供の頃ですが。私の父は一条室町で桃林堂とうりんどうという香屋こうやいとなんでおりました」

「おぉ、桃林堂とな、山崎殿の御子おこか。桃林堂は上京かみぎょういくさで焼け果て、そのあと、どうなったか、誰も知らんかった。残念なことじゃった」松隠軒こと志野宗信が言った。

「ご両親は」

「あの戦で、亡くなりました」

「そうであったか、それなのに、よく生き延びたの」

「では、山崎の、なんといったか、確か元服されていた、そうじゃ、公世きみよ殿じゃったか」

「いえ、兄は行方不明です。私は桃林堂の二郎です。菊丸といいます」

「弟のほうか。そうか、桃林堂が弟のお前様のことを自慢しておった。将来良い目利きになるじゃろうとな。そうか、そうか。立派になられた」

「目が不自由になったのか、それや不憫ふびんなことじゃ、しかしのぉ、お前様には香を聞き分ける才能があるそうではないか。それで生きてゆける、嘆かずともよい」

 宗信が菊丸をでるように言う。


「ところで、『東大寺』を持参した、と申しておったが、披露ひろうしてもらえぬか」義政がさえぎった。

 同朋衆の一人が香炉を運び入れる。

 安宅丸が腰帯こしおびるした胴乱どうらんから二寸角に折った和紙を差し出し、菊丸に渡す。

 菊丸がそれを前に差し出した。

「どうか、聞香もんこうをお願いいたします」


 香炉の前に座る同朋衆が菊丸から受け取った和紙包みを開き、中を確認する。

炉の灰に聞筋ききすじを引き、匙で香木をすくい、銀葉ぎんように乗せる。

 そして、それを、そっと熾火おきびの上に置いた。


「……」

「これは、」と、宗信。

「これは、確かに『東大寺』じゃ」義政が言った。

「まさに」

「本物ではないか」


「菊丸、見事じゃ。よくこれを『東大寺』と、聞き当てた」志野宗信が感嘆して叫んだ。無理もない、香屋の息子といえど、『東大寺』を聞く機会はなかったはずだ。門外不出の品である。


 片田と安宅丸が、あっけにとられる。彼らにしてみれば、この香りは、『お寺の匂い』、か『かなりの上物』という程度であった。

 それなのに、ここに居る同朋衆が、これほど興奮するとは、驚きである。


 菊丸とは異なり、この座にいる義政以下は、『東大寺』を経験していた。正倉院にある『蘭奢待らんじゃたい』である。応仁の乱の二年前、寛正かんしょう六年(一四六五年)に義政が東大寺を訪れ、自ら香木、蘭奢待と全浅香ぜんせんこうに面し、それぞれ一寸四方を二切れ、り取っている。これらの香木の一組は宮中きゅうちゅうけんじられ、もう一組は義政が手中の物とした。


 志野宗信以下、ここに並ぶ同朋衆は、義政が手に入れた蘭奢待を経験している数少ない人々だった。


「どれほどの大きさなのか」

 安宅丸が、先ほどの胴乱から、香木を写生しゃせいした紙を拡げ、示す。

「二尺程か、重さは」

「一貫と少しあります」


「『東大寺』が一貫か、それはまた、とんでもないものを手に入れたものだな。売るのか」

「売りたいのですが、値段が付けられません」片田が言った。

「そうじゃろうな、それにしても、今は時期が悪い」

「時期が悪い、とは」

「これほどの品を求めたがる者は、今はかねを持っていない。金を持っている者では、右京太夫うきょうだゆう(細川政元まさもと)は修験道しゅげんどうにかぶれておるし、左京太夫さきょうだゆう(大内政弘まさひろ)は連歌れんがに興味があるというが、香道に関しては聞いたことが無い」義政が言った。二人とも海外貿易で財をなしている。

「では、しばらく持っていろ、と」片田が尋ねる。

「うむ、そうするほうがよいであろう。ミン朝鮮ちょうせんに売るという方法もあるが、彼らと日本では香の好みが異なるかもしれぬ、高く売れるとは思えん」


 なにやら、宝の持ち腐れになりそうである。


「今日持参してきたのは、先ほどの紙包みだけか」

「いえ、まだ十包じゅっぽう程ありますが」

「では、それを置いていくがよい、わしが目の利く者を招いて聞かせてやる。そのうち興味を持つ者がでてくるかもしれぬ」


 その時、会所かいしょに駆け寄る武者が現れた。

「なんの用じゃ」中断されたことを不愉快そうに義政が言った。

「は、それが、お人払いを」武者が片田達の方を見ていった。

「かまわぬ。この者達は信用できる」

「ですが」

「かまわぬ、と言っておるであろう」


「は、それでは。公方くぼう様がおかくれになりました」

 公方とは征夷大将軍のことである。現在の将軍は義政の息子、足利義尚よしひさ(この時点では義熙よしひろと改名している)だった。六角ろっかく征伐のため、近江の陣中にいる。

「お隠れ、とはどういうことだ」

 義尚は、まだ二十五歳、満年齢で言えば二十三歳であった。『お隠れ』といわれてもピンとこない。それに、そもそも『お隠れ』は天皇や貴人きじんに対して用いる。武者が敬語を使ったつもりなのであろうが、これでは通じにくい。

「公方様が、おくなりになりました。息を引き取られました」


「なんだとう、春王はるおうが死んだ、といっているのか、そんなバカなことがあるか、あの若さで」

「それが……」


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