無線機(むせんき)
春になった、『いと』が言う通りならば、今年は西暦一四八九年のはずだ。
堺の片田商店は、西側に入口がある。海に面していた。
入口の土間から、北側に土間が続く、右に折れると二間の洋室がある。これは石英丸の実験室と読書室だった。
実験を行う時、和室だとなにかと都合が悪い。なので、片田村の頃から、実験や加工、作業をおこなう部屋は畳敷きではなく、床を板張りにした洋室のような造りにしていた。
実験室で、片田と石英丸が、小型発動機の電源を入れる。発動機の大きさは湯飲み茶わん程だった。回転軸が回り、接続されている竹籠もくるくると回転した。籠は枕くらいの大きさだ。籠の中に鈴が三個入っていた。籠が回るので、鈴が転がり、リンリンと鳴り続ける。
石英丸が鈴にマイクロフォンを近づける。マイクロフォンは実験台の上の電波発信機と、長いコードで繋がれていた。
電波発信機の中で、鈴の音は五メガヘルツ交流により振幅変調される。この交流電流を、壁に仮止めした電線に導くと、電線が空中に電波を放つ。
今、目には見えないが、片田と石英丸の周りには、五メガヘルツ、一秒間に五百万回も振動する電波が満ちており、その電波は、鈴の音の大小によって、強くなったり、弱くなったりしているはずだ。
「よし、隣の読書室に行こう」片田が言う。
読書室との間に設けられたドアを開け、閉める。鈴の音は、ほとんど聞こえなくなる。
読書室には、電波発信機の半分程の大きさの、似たような機械、電波受信器があり、すでに真空管が橙色に光っていた。こちらの機械にも、電線が仮止めしてある。
片田が慎重に音量を調節すると、パチパチという雑音が聞こえてくる。
「さて、五メガヘルツだが」片田が言う。
マルチメーターも、オシロスコープもない。五メガヘルツといっても、計算上のことだ。片田が未来から持ってきた図面をもとに造った発信機と受信機だった。
片田がバリコンと呼ぶ同調回路のツマミを少しずつ回す。これは、ある特定周波数のみ強調する装置だ。
電波受信器のまわりには、いろいろな周波数の電波が飛び交っている、そのなかで、隣室の発信機が出す五メガヘルツの電波のみ強調できれば、その電波の信号が受信できる。
……パチッ、ジッ、パチッ、パチッ、……、ジ、チリン、チリン
片田がバリコンを回す手を止める。
「やった、鈴の音だ」石英丸が言った。
もし、今年が一四八九年ならば、彼は数え年で五十四歳になっているはずだった。頭髪にも白い物が混じっている。
でも、このように『じょん』と機械を作っていたりしていると、子供の頃に返ったようだった。
「ドアを開けてみてくれないか」片田が言う。
石英丸がドアを開けると、隣室の鈴の音が聞こえた。ドアと、スピーカーから同じ音が聞こえてくる。
「隣の部屋にいって、ドアを閉め、なにか単語をいってみてくれないか。私がこちらで聞いていて、石英丸が戻ってきたら、答え合わせをしよう」
「いいよ」
石英丸が出て行ったあと、片田がスピーカーをみつめていたら、石英丸の声がした。
「サ・バ・ノ・シ・オ・ヤ・キ」そう、三回言っているのが聞こえた。
石英丸が戻ってくる。
「サバの塩焼きだろう」片田が言うと石英丸がニヤリと笑う。
「今日の昼飯に食べたんだ」
この世界で、史上初めて、無線通信で送られた言葉は『サバの塩焼き』として、歴史に残ることになった。
「もう一度、隣の部屋に行って、マイクロホンを持ってきてくれないか、コードが長いから持ってこれるだろう」
石英丸が隣室に行き、鈴の傍にあったマイクロホンを持ち、部屋に入ってきた。
キィーーーンッ
スピーカーから甲高い音が発せられ、石英丸が驚いて、歩みを止める。鼓膜が裂けそうだ。
しゃべっても伝わらないと思った片田が、手を払って向こうへ行け、と合図した。石英丸が隣室に戻ると、音が止まった。
石英丸が何も持たずに戻って来て言った。
「今のはなんだったんだ」
「ハウリング、という現象だ」
「はうりんぐ、か」
「そうだ。ほんの小さな雑音をマイクロホンが拾って、電波を通じてスピーカを鳴らす。最初の雑音より大きな音になる。それをマイクがまた拾って、もっと大きな音でスピーカーを鳴らす、それを繰り返して、あっというまに大きな音になる」
発信機と受信機が電気回路で繋がっていないことを、片田も石英丸も知っていた。それなのに、ハウリングが起こる、ということは、二つの機械が電波を通じて繋がっているということだ。
「なので、実験は成功だ」片田が言った。
片田村の電気産業は、倉橋ため池の水力発電所建設から始まった。
石英丸が飽和食塩水にアンモニアを溶かし、そこに二酸化炭素ガスを通すと、重曹、炭酸水素ナトリウムが沈殿することを発見した。ソルベイ法である。
ソルベイ法を発明したおかげで豊富になった炭酸水素ナトリウムを使って大量のガラスを作り、それを電球にした。村の家々に電気の明かりが灯る。
電球を作る技術は、そのまま真空管を作ることに応用できた。前回片田が室町時代にいた時、二極整流管と三極増幅管までは作っていた。
前回はそこまでだった。無線機の回路を考え付くことが出来なかった。陸軍士官学校で、無線機の作り方までは教えていなかった。
しかし、回路図を持ち込めば、発信機、受信機を作ることは、それほど難しくなかった。
電気抵抗とコンデンサの作り方は、片田のノートに書いてあった。バリコン、バリアブル・コンデンサは扇型の平行金属板を作るのが面倒だったが、面倒なだけで、技術的な問題は無い。コイルは銅線に漆を塗り、半分乾いたところで、鉄芯に巻き付けた。エナメル線の代替だった。
発信機は一斗缶程、受信機はその半分程の大きさにすることができた。他に鉛蓄電池が必要だが、合わせても、それほど大きなものではなかった。
「発信機と受信機をもう一つずつ作って、安宅丸の『川内』が帰ってきたら、それに搭載してみよう」片田が言った。
「瀬戸内海を回ってみるんだね」
「そうだ、それでどこまで電波が届くか試してみる。この短波という周波数だと、状態がいいときには地球の反対側まで届くはずなんだが、電波の強さにもよるからな」
「アメリカ探検の『阿武隈』にも載せていくのか」
「もちろんだ、これから建造する船には、すべて無線機を載せることになるだろう」
石英丸が、ほっとしたような顔をした。アメリカ探検は片田自身が指揮を執ると言っていた。そんな長期の航海で遭難して、また『じょん』がいなくなったらどうしよう、そう思っていた。無線機があれば、いつでも連絡をとりあえるのだから、少しは安心だった。
『ふう』が石英丸の読書室に入ってくる。
「港の物見が、『川内』が見えた、って知らせて来た。入港するらしい」




