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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
330/611

沈香(じんこう)

 クニヨンの片田商店には『離れ』があった。商店や倉庫に隣接している、二間の小庵しょうあんだった。

 この『離れ』が菊丸の仕事場だった。三方に窓があり、良く換気ができる。ここで近隣の村人達が持ち込む香木の目利めききをするのが、彼の仕事だった。


 持ち込まれる香木には小枝のようなものから、ちょっとした流木のようなものまで、様々ある。

 菊丸は、それぞれすこし削り、雲母製の銀葉ぎんようという薄板にのせて、香炉こうろで燃える炭の上に置く。

「これは、、です」菊丸が言う。手伝いの女がその香木を、脇にある香木の山に、カランと放り投げる。

 香木に上、中、下をつけているようだ。

『下』は線香や、寺での日常向けの香木になる。

『中』は、沈香じんこうといい、組香くみこうなどに使われるもので、分類名を決める。

『上』は、沈香の中でも特に高品質なもので、伽羅きゃらと呼ばれる。とても高価で取引されるものだ。


ちゅうですね。これは、花散里はなちるさとでしょうか。にがくて、い」女は、その香木を大事そうに持ち、菊丸の左手にある箪笥たんすの『花散里』と書かれている引き出しに入れた。


 女が次の香木を菊丸に渡す。あまり大きくなかった、小石程だろうか、しかし少し持ち重りがした。“期待できるかな”そう菊丸が思い、すこし削る。


 銀葉に乗せて、香炉に置く。


「これは」菊丸が絶句した。

 五つの香味こうあじが、すべてある。甘(カン、あまい)、酸(サン、すい)、辛(シン、からい)、苦(ク、にがい)、鹹(カン、しおからい)すべてが等しく調和して含まれている。しかも、ふくよかだ。

「これは、『東大寺とうだいじ』だ」菊丸がつぶやいた。“しかも、最上級品だ”。ここで言う『東大寺』とは、『澪標みおつくし』や『八橋やつはし』などと同じ香名のことだった。

「上でしょうか、中でしょうか」

奈津なつさん、この欠片とおなじようなものが、そのたばのなかにありませんか」菊丸が尋ねる。


 香木は、近隣からたきぎの様な束にして持ち込まれる。大きさは一斗缶いっとかんほどだ。


「さぁて、どうでしょう、ちょっとお待ちください、菊丸様」そういって、奈津が香木の束を調べている音がする。

「さて、おなじような木目もくめの物は見当たりませんが」

「そうですか、この束はどこから持ち込まれたものでしょうか」香木の束には、取引した日付、取引相手の住民の名前、住んでいる村、購入価格などを書いた紙が付けられている。

「タング・ホア村のグエンさん、から買ったみたいですね。先月の十二日です。タング・ホア村と言えば、川を西に少しさかのぼった村だったと思います」

「奈津さん、安宅丸を呼んできてもらえますか」菊丸が言った。


 安宅丸がシンガを連れてやってくる。菊丸が呼び立てた理由を説明した。

「シンガ、入口にある束で、タング・ホア村から来たものがあるか、見てこい」安宅丸が言う。


「他には、ないね」シンガが戻ってきて言った。

「そんなに高価なものなのか」安宅丸が尋ねる。

「もし、この欠片の元になる原木が手に入れば、国の宝になるほどのものです」

「それほどか、本当なのか」

「はい、ここに来て十余年、このようなしなは初めてです。ぜひ、そのタング・ホア村のグエンの所に行き、彼が持つ香木をすべて買い取って来てください。庭先に転がっているようなものも含めて、すべてです」菊丸の様子が尋常じんじょうではなかった。

 安宅丸が、タング・ホア村に、副官を先頭にした船員の一団を派遣した。




 イヴン・バットゥータが東南アジアを訪れたのは、西暦一三四五年だった。彼の『三大陸周遊記』では、マレイ半島西岸のカークラ港においては、香木は薪より安く、住民は民家で燃料に使っている、と記されている。

 一方、一四一三年。鄭和ていわの第四回南海遠征に同行した通訳、馬歓ばかんが残した『瀛涯勝覧えいがいしょうらん』によると、チャンパ(当時はまだ大越ダイヴィエットに占領されていない)の伽羅香きゃらこうの値は、はなはだ高く、銀でもって換えられる、となっている。


 中国、朝鮮、日本は古来香木を珍重ちんちょうしてきた、東南アジアの小乗仏教徒や、西アジアのイスラム教徒も香を用いた。そのことから見ると、さすがに薪扱いということはなかったのではないかと思う。

 ここでは、馬歓の記録に従うことにした。




 ところで、菊丸が初めてクニヨン港に上陸したときに、ひと騒動あったので、それを書いておこう。

 菊丸は失明しているので、船上を自由に歩き回ることが出来なかった。航海の間、ほとんどの時間を安宅丸の船長室の隣に設けられた、彼の個室で過ごしていた。

 小柄な上に色白になった彼が上陸したとき、現地の人々が菊丸の事を女性だと思った。

 次に彼の顔を見た時に、現地人が腰を抜かした。


「ひ、ひとみがない。瞳が無い女だ。屍頭蛮しとうばんだ」

「なんだと、屍頭蛮だと、叩き殺してしまえ」

「やつの体をどこかに隠してしまえ」


 いきりたった男達が、安宅丸と菊丸を囲んだ。


 屍頭蛮とは、このあたりの俗信ぞくしんだ。普段は普通の女性だが、瞳が無い。夜に眠ると、頭だけが空を飛んでいき、子供の肛門こうもんに喰いつく。喰いつかれた子供は妖気に腹をおかされて死んでしまうという。

 飛んでいった頭が、帰って来て元の体に合わされば、普通の人間に戻る。もし、頭が戻ってくる前に、誰かが体を隠したり、頭の合わさるところに蓋をしてしまうと、人間に戻ることができず、死んでしまう。

 そういう『ろくろ首』のような妖怪だった。


 菊丸がふところをはだけ、男性であることを示し、安宅丸が、これは瞳がないのではない、底翳そこひだ、と説明すると、集まった男達が、菊丸の目をのぞき込み、納得して去っていった。

 底翳にかかる年寄りは、この地にもいた。


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