クニヨン港
安宅丸が、シンガに罰を言い渡す前に、いくつか詰めの質問をしていた。判決を言い渡すとなれば、艦の記録に残る。疎漏のないようにしなければならない。
「なぜ当艦『川内』を密航船に選んだのか」
「大越に行く、と聞いたからだ。大越の言葉は、まだ知らない。それに香木の貿易で賑わっているとも聞いた」
「『川内』に乗船すること自体が目的ではないということだな」
「もちろん、ちがう。行先が大越だったからだ」
安宅丸が『川内』に対する破壊工作や、密偵の可能性を潰した。
「質問はこれで終わりだ。判決を言い渡す前に、言っておきたいことはあるか」安宅丸が尋ねる。
「無断で船に乗ったことと、食料を食べたことは、すまないと思っている。大越に着いたら、働いて運賃と食べた分を返すから、許してほしい」そういって、黙った。
シンガは料理長や船員達に、この船で行われる『罰』について、恐ろしいことを聞かされていた。格子戸に手足を縛りつけられたまま、背中に鞭を打たれる。重い罪程、鞭打ちの回数が多い。二十回、いや四十回以上かもしれない。密航と窃盗の両方だからな。大人でも、二十回も鞭打たれると、気絶する。気絶すると、海水を顔にかけて正気にさせ、また鞭打つ。回数が少なくても、ときどき傷が腐敗して死ぬ者がいる、等々である。
「では判決を言い渡す。ムラカの自由人シンガは、シンガプラに停泊中の当艦『川内』に許可なく乗船し、大越までの密航を企てた。密航の目的は大越への渡航である」
「艦内で空腹を満たすために、当艦所有の食料に手を付け、これを食べて当艦に損失を与えた」
「罪状は密航と窃盗である。この罪に対し、当艦艦長である私、安宅丸が、以下の罰を与える」
上甲板の誰もが耳を傾けた。
「被告、『ムラカのシンガ』の自由人としての権利を奪い、私、安宅丸の所有する下人となす。期限は本日より五年間である。その期間、シンガは所有者の指示に従い、通訳を行うこと。また船が海上にあるときには、一般船員と同様に船内業務に従事すること。船内業務を行った場合には一般船員と同等の報酬を与える。船内業務が無い非番の時には、通訳の修行に勤めること。五年の年季を終えた時には、当人の自由は回復される。以上だ」
「まあ、子供だからな」そんな声が聞こえた。
シンガが見ると、料理長をはじめ、船員達がニヤニヤ笑っていた。
『下人』とは、日本近世以前の言葉で、奴隷の事である。職業選択や移動の自由が無い。主人に命じられたことを行い、報酬はない。
また、ヒトというより、モノとして扱われる。従って売買、譲渡、相続の対象である。
安宅丸が期間を五年と区切ったということは、奴隷というよりも、江戸時代以降の年季奉公に近い扱いかもしれない。
安宅丸が言い渡した判決が書かれた書類を畳み、副官に渡して、自分の船長室に引き上げていった。
「ゲニンって、どういうことだ」シンガが料理長に尋ねる。
シンガを預かっていた料理長が日本の下人について、説明する。
「それって、五年間、この船に乗せてくれるということか。食事も服もくれるのか。船の仕事をすれば金もくれるのか」
料理長が、そういうことだ、と言う。
「で、船に乗って、いろいろな国に行けるのか」
「まあそういうことになるが、行先は選べないぞ」
「鞭打ちは、ないのか」
「残念ながら、鞭打ちはない」料理長がそう言うんと、皆が一斉に笑い声をあげた。
「おめえなんぞを鞭打ったら、死んじまうだろう」誰かが言った。
船員達がシンガを脅かして楽しんでいたのだ、シンガが気付いた。
『川内』がクニヨンの港に近づく。山には木々の緑、白い砂浜。美しい港だった。インドシナ半島が南シナ海に張り出したところにある港だ。現代ではクイニョン(Quy Nhon)と呼ばれている。
南北に延びる海岸線と並行に走る半島に挟まれて、南側が海に開かれている良港だった。
この港は、かつてチャンパ王国の首都ヴィジャヤの外港として数百年も栄えていた。中国と東南アジアの間の良い位置を占めており、中継貿易の拠点となった。
チャンパ王国は海上貿易で栄えていたが、一四七一年、北方より侵入してきた大越により、首都ヴィジャヤとクニヨンを失い、南方に逃れる。
その際、安宅丸がクニヨンに開いていた店が焼かれた。浅黒い肌のチャンパ人が去り、アジア系の大越人が街を歩いていたが、安宅丸はすぐに店を再建した。
機帆船『川内』が南に開いた水道を機走して通過する。左旋回すると、左舷側に店や倉庫が並ぶ港が見える。安宅丸の店も小さく見えた。
微速で機走する『川内』に物売りの小舟が群がってきた。
それぞれ、ヤシの実、バナナ、マンゴー、さまざまな魚などを売ろうと声をかけてくる。
シンガの知らない言葉だった。その音を聴くシンガが胸をわくわくとさせた。




