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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
327/612

シンガ

 南シナ海では、冬の時期には北から南の貿易風ぼうえきふうが吹く。


 安宅丸あたかまる機帆船きはんせん川内せんだい』はシンガプラから出発し、現代の南ベトナムの港に向かっている。クニヨンという名前の港だ。ミン人は新洲港しんしゅうこうと呼んでいる。

 南から北に航行しているので、帆を降ろし、蒸気機関で機走きそうしている。


 当初はさかいから直接クニヨンに向かい、当地で香木を購入して、春に堺に帰る予定だった。ところが、片田がシンガプラに三日熱みっかねつ対策を伝えて欲しい、と依頼したのでこのような航海になった。


 帆船では船尾せんびが上等な場所である。

 なぜならば、帆船は風を受けて、主に風下に向かって帆走する。なので、船尾が風上となり、船内の悪臭がただよってこない。

 しかし、現在は風上に向かって機走しているので、船尾の船室に悪臭が流れてくる。


  上甲板こうはんの尾部にある艦長室に安宅丸と菊丸がいる。

 菊丸きくまるの鼻が、それらの悪臭をとらえる。失明しつめいしてから、以前より嗅覚きゅうかく鋭敏えいびんになったような気がする。


「ネズミが、ずいぶんと増えたような気がする」菊丸が安宅丸に言った。

「そうか、クニヨンで猫でも求めるか」

「その方がいいかも」

 菊丸が結び目のある糸を繰りながら言った。彼は二十二歳になっていた。


 彼が持っている糸は、帆布を補強する糸だった。『タコ糸』くらいの太さがある。糸の途中をつまんで、『竹ひご』を使って器用に結び目を作る。その結び目は十数種類あるらしく、菊丸の指先はそれらを探り分けることができた。

 安宅丸に仮名文字かなもじ五十音を習ったので、例えばアは一の結び、イは二の結びに割り当てた、カは一と一を近くに結ぶ、キは一と二で表す。

 このようにして、十種類の結び目を数字にあてて五十音を表した。残りの数種類は、ここから数字が始まる、とか仮名がはじまる、などの制御文字せいぎょもじとして使っている。

 安宅丸もこの結び目文字を、かろうじて読めるようになっていた。彼の場合は目が見えるので、結び目を直接見ればいい。


 結んだ糸は、『すりこ木』のような棒に巻き付ける。すりこ木の端には穴が開いていて、そこにも結び目と付けた糸を結ぶ。この糸はタイトルだ。日付とか、特定の事柄について考えたことなどを結ぶ。


 菊丸は、糸がからまないように、常に注意していたが、それでも時々もつれてしまうこともある。そうなると目の見えない菊丸にはどうすることもできない。

 そのようなときは、安宅丸や、仲の良い士官にほぐしてもらう。

 今も安宅丸に縺れた糸をほどいてもらっていた。


「ん、誰か来るね」菊丸が言った。


 誰かが艦長室の扉を叩く。『川内』は貿易や探検が主任務だったが、砲も備えている。戦時には戦闘任務にもく、なので船長ではなく、艦長と呼ばれていた。

「はいれ、鍵はかかっていない」安宅丸が言った。


「艦長、密航者みっこうしゃを捕まえました」

「密航者だと、どこにいた」

「船底の割石バラストの間に隠れていました。汚いので、今上甲板で洗っています」

「わかった、同行しよう」安宅丸が糸を置き、菊丸を残して出て行った。


「艦長が来た。覚悟して艦長の方を向くがいい」

「あっ、痛いよ。わかったから」そういって振り向いた。十歳か十一歳くらいの子供だった。色が浅黒い、顔立ちから見てムラユか、と安宅丸が思った。ムラユとはマレー人のことである。

 船底に隠れていたところを料理長が見つけた、とのことだった。

「なんで、見つけたのか」

「船底で大豆モヤシを栽培しています。その様子を見に行った時に見つけました」料理長がいった。

 船底に行きたがる者は少ない。食料や水、燃料などを取りに行くくらいだ。料理長が見つけたのは、合点がてんがいく。

“それにしても、あそこでモヤシを栽培していたのか“安宅丸は思ったが、口には出さなかった。

「もちろん、ネズミに食われないように、密閉して栽培しています」安宅丸の顔色を見た料理長が言わずもがなのことを言う。

 非番ひばんの男たちが集まってくる。


「おまえが密航者か」安宅丸が尋ねる。

「ああ、そうだよ。いや、はい」

「どこから乗ってきた」

「シンガプラからだ、からです」

「では十日も船底に隠れていたのか」

「そうだよ、いえ、そうです。艦長殿」

「ムラユだな」

「そうです。ムラカで育ちました。対岸のタンジュン・プテリから渡って来ました」ムラカはマラッカ、タンジュン・プテリはジョホールのことで、当時は漁村だった。

「幼いが、両親はどうした」

「少し前に、海賊に殺されました。兄弟もです。Saya、いえ、私一人になりました」

「それで、密航したのか。何故だ」

「外国に行きたかったのです」

「外国にか。ところで、ずいぶんと日本語が上手だな」

「言葉を覚えるのが得意なのです。南部中国語、マラヤーラム語、アラビア語も覚えました。外国に行けばもっと多くの言葉を覚えられます」

 マラヤーラム語は、インド南部で使われている言語。コーリコード(カリカット)やコーチ(コーチン)あたりで使われている言葉だ。

これらの言葉は、アラブやインドの貿易商人から覚えたのだろう。

「それで、言葉を覚えてどうする」

通訳つうやくになれば、食っていける、いえ、食べていけると思ったのです。艦長殿」


『川内』には、日本人だが南部中国語が少しわかる者がいた。

「すこし、中国語で小僧に尋ねてみてくれ」

 その男が、一言二言、尋ねてみた。

「●※☆彡■!#?、▼△◇@$&&*!@##$%%^&*()〇」小僧がまくしたてた。

「みごとなもんです。これは本物の南部中国語です」男が感心して言った。


 中国人、アラブ人、インド人は昔からこのあたりで交易している。人口も多い。日本人は新参者しんざんものだった。日本語がこれほど達者たっしゃならば、他の言語は、なおさら流暢りゅうちょうにしゃべれるのだろう。


「わかった、それで十日も船底にいて、食事はどうしていた」安宅丸が尋ねる。

「それは、夜中に樽を開けて、少し食べさせてもらった」少年が、すこし小声で言う。


「密航は、重罪だ。加えて、艦内での窃盗せっとうも重罪だ」安宅丸が言う。

「重罪って、なんだ」中国語がわかる男が説明する。

 少年が黙った。


「名前は、何という」安宅丸が名を問うた。

「シンガ。シンガという名前だ」重い罪だと言われて、元気が無くなった。

 シンガとはサンスクリット語で『虎』という意味だった。シンガポールの名の由来だ。


「では、シンガの罰については、別途言い渡す。それまでは料理長にあずける。今以降、判決が下るまでの食事、衣類などについては、捕虜ほりょと同等に扱うこととし、支給する」

 艦内では、艦長が司法警察権しほうけいさつけんを持つ。これは船という閉じられたところで、長期に集団を統率とうそつするために必要だった

 艦長はきびしすぎると反乱を誘発する。しかし甘くなりすぎても規律が保てない。


 菊丸が、ネズミのにおいがする、といっていたのは、シンガがネズミの居場所を占領したので、ネズミ達が上に移動したのが原因だったのかもしれぬ。


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