壊血病(かいけつびょう)
片田は毎月十日に主だった者を集め、堺の片田商店に集まって、会議を開くことにした。『十日会』という。その二回目の席上。
「『阿武隈』級は、定員が四十名だ。『じょん』が言う探検航海に三隻を送るとすると、百二十人だな」
「太平洋を東に横断するのに四十日、アメリカ大陸西岸を南下するのに二十日、貿易風に乗って日本に帰ってくるのに五十日かかるとすると、百十日だ。凪の日もあるだろうから、多めに見て百五十日分の食料が必要になる」
片田が考案した『戦闘糧食』は1食分が魚缶、飯缶と茶などで一キログラム弱だった。
「計算すると、約五四トンになる。一隻当たり十八トンだな。『阿武隈』級は千石だから二百トン、積み荷はその半分くらいだから百トン載せられる。真水も同量必要だと考えると三十六トン、三分の一が食料と真水になる」石英丸が言った。
「探検が目的だから、それで十分だろう」片田が言う。食料と水以外の輸送品も戦備も最小限でいい。
それ以外の大部分は外輪船のための石炭を積むことになる。蒸気機関に供給する水も必要だ。
彼らはメートル法を使いだしている。
コロンブスのサンタ・マリア号が乗務員三十九名、百数十トンくらいと考えられているので、似たような規模だった。
「あの魚缶を百五十日、五カ月も食べ続けるのか」鍛冶丸が言った。
「空いているところに野菜や果物を積んでいけばいい、航海の前半はそれを食べられるだろう。それに、海なので魚を釣ることも出来る」と、片田。
食事で片田が心配していたのは、壊血病だった。ビタミンC不足により発症する病気だ。昔の西洋の船乗りは、これにずいぶんと悩まされた。船員の喪失原因の一位ではないかとも言われている。
片田の『戦闘糧食』には緑茶があった。これにはビタミンCが含まれている。しかし、緑茶だけで足りるかどうかわからなかった。そこで、カブやダイコンなどの漬物を加えることにした。漬物にしてしまえば保存できる。加熱しないからビタミンCの破壊も少ない。
あと、念のため、大豆を大量に搭載することにした。大豆があれば、船内でモヤシをつくることができる。モヤシは日光が不要なため、船内のどこでも栽培が出来る。
漬物と『大豆もやし』は日本海軍が採用していた。これのおかげで海軍は壊血病に悩まされることがなかった。
それでも不安だったので、鍛冶丸にビタミン飲料の試作を依頼していた。
「ビタミン・ラムネはどうだった」片田が尋ねる。
「前回の会議の翌日に百本程作ってみて、毎日一本ずつ、俺自身が飲んでいる。今朝も飲んでからきたが、いまのところ大丈夫だ。少なくとも三十日以上保存できる」鍛冶丸が言った。
ビタミン・ラムネとは鍛冶丸が縁日で作っていた果汁入りラムネのことだ。炭酸水自体が菌の繁殖を抑制する。加えて密封後に七十度の湯に二十分程ビンを浸して加熱してある。
日常の飲料としてではなく、壊血病の症状が出た船員への治療のため、薬として載せていこうと思っていた。
皆が一カ月の間に調べたり、工夫したりしたことを報告した後に、次の一カ月に行うことを議論し、決めていった。
片田が腕時計を見る。会議を始めてから二時間程たっていた。そろそろ、終わりにするか。
腕時計については、これまでに書きそびれていた。なので、ここで書いておこうと思う。
片田は室町時代に腕時計を持ち込んでいた。室町時代にボタン電池はないので、片田の時計は『自動巻き』というやつだ。
『セイコーファイブ』という。一九六七年に発売されたばかりの機種で、腕に着けているだけで、ゼンマイを巻くことが出来る。電池が無くとも、一日の内半日以上身に着けていれば、ずっと動き続ける。
防水機能を持ち、曜日と日付も自動で表示してくれる。
現代でも販売している。セイコー百有余年の歴史の中で、その半分近くの間、販売し続けているロングセラー機だ。
文字盤の十二の算用数字の下に、SEIKOの文字と、逆五角形の盾型に数字の5が書かれている。スーパーマンの胸のマークに似ている。
現代にいるとき、毎朝七時のテレビ時報で日差を確認していた。日差プラス六秒だった。つまり一日で六秒進む。なので、十日に一回、末尾が〇の日に一分程戻すようにしていた。
とはいっても、暦は以前のままの太陰暦で変更していない。従って曜日も日付も目安にすぎない。
天体観測にまで手が回らないので、暦については、まだしばらくそのままにすることにした。
いずれ、西洋と接触すれば、彼らの暦が手に入るだろう。彼らは、まだユリウス暦だが。
テレビ時報とは、アナログ放送時代にNHKが朝七時、正午、夜七時にテレビ画面に表示していた時報のことだ。デジタル放送時代になって、表示が遅れるようになったので、やめてしまった。
「では、会議はこれくらいにしよう。各自課題を持ち帰って、来月また集まろう」片田が言った。




