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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
322/637

理科年表

 片田がさかいに到着してから数日が過ぎた。

 堺の片田商店所在地は、昔と同じく戎島えびすじま造船所の正面にあったが、その広さは数倍になっていた。

 豆蔵まめぞうさんの醤油蔵しょうゆぐら応神おうじん天皇陵から堺に帰って来ている。天皇陵にあると、塩を堺で積み替えてみささぎまで運ばなければならない分高くつく。


 今日は片田を迎えての商店幹部会が開かれた。


「なんだとう」鍛冶丸かじまるえる。

「いまさら、それはないだろう」造船所の中筋なかすじ太助たすけ味噌屋みそや磯丸いそまる達がなげく。

「ひさしぶりに帰ってきたと思ったら、それか」造船所のお調子者、酒屋さかや浜助はますけが呆れる。

「まあ、まあ、『じょん』が、あえてそのようなことを言う、というのは何か理由があるのだろう。もうすこし『じょん』の話を聞いてみよう」石英丸せきえいまるが、とりなす。


「長さや重さの単位を変えるのには理由がある。いま、黒板に書いた単位を使うと、便利なことがある」


 黒板には、

長さ : 一じょう=十しゃく=百すん => 三メートル=三百センチメートル

容積 : 一しょう=十ごう=百しゃく => 一.八リットル=一八〇〇ミリリットル

重さ : 一しょう=百りょう=千もんめ => 三.八キログラム=三八〇〇グラム

 と書いてあった。


 メートル法を採用しよう、という片田の提案であった。

「この、メートル、リットル、キログラムという単位を使うことによって、とても便利になることが、二つある」

「なにが便利になるんだ」

 片田がリュックサックから、JISマークの打たれた三十センチメートルの金属製直尺ちょくしゃくを三本取り出す。

「今後、この『ものさし』を単位系の基準にする。非常に精密につくられたもので、精度は二桁以上ある」

「その三本の『ものさし』の長さの差が数百分の一以下、っていうことか」

「そうだ」

「それは、すごいな」彼らが普段使っている『ものさし』にそれ程の精度はない。

「この『ものさし』で十センチメートル立法のますをつくったとき、そこに入る水の量が一リットル。そして、一リットルの水の重さを一キログラムとする。すべて、この『ものさし』から、単位が決まる」


 長さから、容積や重さが決まる、というのは、彼らには新鮮だった。


 彼らが使っているしゃくしょうかんは、『昔から、そうと決まっていた物』だったからだ、その長さや重さに決まっている理由はなかった。

 どれくらい昔から決まっていたかと言うと、大宝律令たいほうりつりょうに定められているという。古代中国で決められていた物を輸入したものだった。

 しゃくしょうかんの間に関係性は無い。

 例えば、尺は、昔の人がひじから指先までの長さを尺としよう、というふうな感じで、それぞれ独立に決められたのであろう。


 それを、『ものさし』だけを使って容積も重さも決めてしまおう、と片田は言っているのだった。


 メートルも、それが制定された当時は『地球の北極から赤道までの距離の一〇〇〇万分の一』と決められていた。地球の長さならば、限りなく不変で公平であろう、と考えた。

 メートル法公布こうふ時のスローガンは「すべての時代に、すべての人々に」だった。


「長さの基準が出来る、というのはいいことだと思うけれども、でもそれだけでは単位系を変える理由にはならないな、その『ものさし』の三十センチメートルか、それを今までの一尺と定義して、尺を使っても同じことだ」

「そうだ、そうだ。容積も重さも同じだ」

JISマークを尺原器しゃくげんきとして認めるが、使用する単位は尺貫法でいいだろう、ということだ。


「新しい単位系を採用した二つ目の理由がこれだ」そういって、片田がリュックサックから『理科年表』を取り出す。

「私の国で出版されている、『理科年表』というものだ。このように、たくさんの数字が書かれている。この数字は、新しい単位を基準にして測った数字だ。なので、新単位系を使えば、この書物に書かれている知識が全て使えることになる」私の国って、どこの国だよ、というツッコミは無かった。

「もう少し説明してほしい」鍛冶丸が言った。

「そうだな、たとえば鉄の密度みつどは、どれくらいだ、鍛冶丸」

「五十六匁だな」鍛冶丸が即答する。化学工場などを作るとき、普段から使っている数字だから暗記している。

「そうだな。一寸立法の鉄の重さは五十六匁だ。これを新しい単位系で表すと、一寸立法は二十七ミリリットル、五十六匁は二百十三グラム、従って、鉄の密度、一ミリリットル当たりのグラム数は七.八九となる。密度もこの本に書いてある。ここだ」片田が理科年表を開いて、該当がいとうのページを指さす。


 そこには七.八六と書かれていた。小数二桁目が異なるのは、計算の元にした値が二桁しかないからだ。


 鍛冶丸が理科年表を受け取って、そのページを見る。そこには鉄以外にも、金、銀、銅、鉛、水銀など、数多くの元素の密度が書かれていた。

 鍛冶丸が暗算で密度を計算してみると、ほぼ正確だった。しかも彼らが知っている密度は、いずれも二桁だったが、三桁や四桁の数字が書かれているものもある。


「数字が三桁、四桁もかかれている所は、この桁まで正確、ということなのか」鍛冶丸が尋ねる。

「そうだ、ただし最後の一桁は、多少怪しいかもしれない」


 有効数字が三桁、四桁もあるということが、とてつもないことを鍛冶丸は知っている。それらの桁を決めるためには、精密で注意深い実験をおこなわなければならない。金も労力も時間も必要だ。それをやらなくとも、この本の数字を見ればいい、ということか。


「このカタカナで書いてある元素は、まだ俺たちが知らない元素、ということか。知らない元素の密度まで書かれているのか」

「もちろん、そうだ」そういって、片田が紙を鍛冶丸達に渡す。主だった元素や液体、固体の密度が転記されていた。

「この紙を持って帰って、調べられる物の密度を測ってみてほしい。鍛冶丸は淡路に住んでいるのだろう、『ものさし』も一本持って行っていい」

 その紙には、元素だけではなく、エチルアルコール、硝酸、硫酸などの液体、ガラスや食塩、砂などの身近な物質の密度も書いてあった。もちろん砂などは乾燥具合、密集具合、混ざり物の量によって密度が異なるので、記された数値には幅があった。


 鍛冶丸が理科年表のページをってみる。そこには密度だけではない、弾性だんせい圧縮率あっしゅくりつ引張ひっぱり強さ、粘度ねんどなど様々な数字が書かれている。言葉の意味を正確には理解できていないが、もし鍛冶丸の想像どおりの性質の数字だとすると、驚くべきことだ。

 これらの数字を実験で決めていくのは容易ではない、容易ではないどころじゃない、気の遠くなるような労力の結果だ。


「わかった、『じょん』。持ち帰って密度を調べてみる。もし、この密度の数字が正しいようだったら、単位系を変えてもいい」鍛冶丸が言った。



 数週間後、理科年表の数字をすべて尺貫法で計算し直そう、という案も出たが、誰がそれをやるんだ、お前か、いやそれは、ということになり、片田商店がメートル法を採用した。


本文中の鉄密度7.86g立法センチメートルは、昭和の時代の鉄密度です。現在Wikipediaでは7.874となっているようです。

 元素の密度は不純物、同位体比などで測定がむずかしいものなのでしょう。


出典:理科年表 昭和64年/1989年 国立天文台 丸善株式会社


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[一言] 片田衆のなし得たことは、記録魔の日本人にとって、絶対に残り続けそうな……
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