戦争の原因
矢木駅を出発した列車は、まっすぐに北上する。線路の両側は条里制以来の田畑と環濠集落が続く単調なながめだった。
「列車ははじめてかのぅ」隣の四人掛けにいた老人が声をかけてくる。彼も退屈なのであろう。
「え、はい、はじめてです」片田が答える。
「そうじゃろうの、乗ってからずっと、あちこち見回しておる」そういって笑う。外山駅から乗っている乗客だった。片田の四人掛けに移る。少々酒を飲んでいるようだった。
「列車とは、便利なものが出来たものだ。まったく、おそれいる」老人が感嘆する。
「あ、わしは堺の商人じゃ。橘屋の又一郎という」
「私は、片田といいます」また、『大権現』を思い出した。
「片田、というと片田村の方かな」
「はい、そうです」
テレビの無い時代である。片田銀の片田は有名だったが、顔を知っている者は少ない。
「わしは、片田村で干しシイタケを仕入れて、堺で商いをしている。前の貨車に、わしが買ったシイタケが載っている」
「それは、干しシイタケは儲かりますか」
「儲かる。琉球の商人、西国の大名が仕入れた傍から買ってゆく。彼らはそれを唐や朝鮮で売り、金銀や唐物を仕入れてくる。一往復すれば、十倍以上の儲けになるそうだ」
「そんなにですか」
「うむ。わしもいずれそのような商売に加わりたいものじゃが、少々歳をとりすぎた」
「……」
「しかし、いい時代じゃ。硫安、尿素、メガネ、本、次々と新しい商品が出て来て、飛ぶように売れていく。このような時には、戦など起きないものだ、各地の戦もいずれ納まるじゃろう」
尿素とは石英丸が硫安を改良したもので、窒素含有量が多く、土壌を酸性化しない、優れた窒素肥料だった。
「そうなのですか。商品と戦、どのような関係があるのでしょう」
「お若いの、なぜ戦が起きるのか、知っておるか」
「さて、わかりません」
「わしは、ただの商人じゃが、長年生きて商売をしてきた。戦も幾つも見とる。これは商人の見方だ」
「はい」
「戦が起きる理由は、いくつかある、と言われている。まず積年の恨みだ、土地争い、水争いなどじゃな。『あそこの土地は本来わしらのもんじゃ』、などと考えることが原因になる」
「それは、どこにでもありそうな理由ですね」
「次は一揆など、国の内部で揉めることだ」
「それも、よく起こりますね」
「最後は、力の差が大きいときだ」
「どういうことですか」
「二つの国で国力に大きな差があるとする」
「はい」
「強い国は、弱い国を攻めれば、容易に征服できると考えるであろう」
「なるほど」
「弱い国は、強い国の準備が整わぬ前に虚を突いて攻めれば、万が一勝てるかもしれない、と考える」
「そういうことですか。はい、そのとおりですね」
又一郎さんが言っていることを、Wikipediaの『戦争』という項目から抜粋して箇条書きにしておく。
・長期的不満
領土問題、国境問題、地方の独立要求など長期的に慢性化した不満
例:日露戦争、パレスティナ戦争、中東戦争
・国内的混乱
国内の民族間対立、反政府運動、国内諸勢力の対立
例:フランス革命、ルワンダ内戦
・軍事的優位
自国の軍事力が優位であることから、戦争を簡単に解決できると考えること
例:冬戦争、独ソ戦、朝鮮戦争、イラン・イラク戦争
最近のロシアによるウクライナ戦争もこれにあたるかもしれない。
・軍事的劣位
自国の軍事力が劣位であることから、先制攻撃だけが残された手段であると考えること
奴隷反乱、インディアン戦争、太平洋戦争(日本側)
「これは、いずれも戦の理由になるものじゃが、これらだけでは戦にならぬ」
「と、いいますと」
「戦は守護と侍だけで出来るものではない。農民などの百姓が加わらなければ戦にならぬ」
「それは、そのとおりです」
「民が戦をしてもよい、と思わなければ、なかなか戦になるものではない」
「そうでしょうか」
「そうなのじゃ。繰り返すが、これは商人としての、わしの見方じゃぞ。今日より明日がよくなる、と思っているとき、民は戦を望まない」
「それは、だまっていてもいい暮らしができるのならば、わざわざ戦に行って命を落とすことはしないでしょう」
「民が戦をおこすのは、明日の暮らしに希望が持てない時だ。そのような時には、民は余所の国を奪ってでも、いまの暮らしを保とうとする」
「民がそこまで考えるでしょうか」
「頭の中で言葉になってはいないかもしれないが、もやもやとした不満がそのような振る舞いになる」
「そうでしょうか」
「このあいだの、南山城を見てみるが良い。民が戦を望まず、守護大名を山城からたたき出してしまったではないか」
「それは、たしかに南山城では、そうでしたが」
「だからじゃ。次々と新しい商品がでて、飛ぶように売れる。このような時には国も百姓も富み、戦などおこらない、わしは、そう思うんじゃ」
列車が筒井の駅に入った。陽が目立って傾いてきた。
「国が順調に富んでいれば、戦など起こらぬ、ということか。もしそうなのであれば、それはとてもよいことなのだが」片田が思った。




