単位系(たんい けい)
列車が矢木の駅に到着する。外山の駅から、あっという間だった。ここで待機していた車列と連結する、って茸丸が言っていた。連結にはしばらく時間がかかるであろう。片田は客車から降りて連結を見物することにした。
外山駅では、列車後方から乗車したので、機関車を見ていない。前にまわってみると、見覚えのある豆機関車だった。
この豆機関車は長禄二年(一四五八年)に石英丸と鍛冶丸が製造した実験機だった。蒸気機関車の寿命は非常に長い。
長禄二年といえば、片田村に初めての銭湯、『桜湯』が出来た年だった。
片田村の放牧場に長さ百メートル程の実験線を引き、三台の石炭を満載した貨車をけん引した、あの機関車だった。
復水器を省略し、シリンダーを小型二気筒にするなどして軽量化した車体だった。
それが、三十年後のいまでは、煙室正面の顔にあたる部分に誇らしげに『一』というナンバープレートを掲げている。
一号機関車、という意味だろう。
『輸送係』と呼ばれる駅の職員が、炭水車と貨車の間の連結を解除し、操縦士に合図する。
一号豆機関車が前進し、待避線の方に逸れていった。
次いで輸送係が転轍機の所に行き、二人がかりで『転轍てこ』(ポイントリバー)を反対側に倒す。後にトングレールと呼ばれる部分が横に移動して、列車の移動方向を待避線から本線にもどす。人力である。
新たに接続される列車の先頭部に向かう。客車が二両、貨車が八両あった。そして、先頭には一号豆機関車よりも二回り程も大きな機関車が連結されていた。
ボイラー室周囲には、たくさんの蒸気管が巡っていた。おそらく空気ブレーキや給水ポンプなど、多数の補機が備え付けられているのだろう。軽量化に苦心した一号豆機関車とは別物である。
こちらのプレートには『六』と掲げられていた。
機関車が長い汽笛を鳴らして、後進することを周囲に知らせる。逆転機は一号機関車からついていた。
片田が走って自分の客車に戻る。連結したら、すぐに発車するだろう。
客室に戻って、ほどなく鉄がぶつかる音が聞こえた。連結されたようだ。
それにしても、十五年程のあいだに、あれほどの機関車を造ったことに驚かされる。
“あの蒸気機関車を造る程に精緻化された工業文化に対して、単位系を変えるといったら、どういう反応を見せるだろう”そのことが心配になった。
説得の根拠はもう決めてあったが、その方法が問題だと思う。考えているうちに列車は矢木駅を出発していた。
線路の両側の田は黄金の草原だった。石清水八幡宮が、蒸気機関車の振動や黒煙で稲が実らなくなる、などとありもしない風聞を流すため、路線沿いの農家には肥料提供や農業指導など、鉄道会社が配慮していた。
鉄道沿いの田でも、他と変わらずに、いやそれ以上の収穫が見込める、ということを事実で示さなければならない。
単位系変更の問題は慎重に扱わなければならない。
日本に住んでいると、ほとんどがメートル法になっているので、複数の単位系を持つことによる弊害を感じることは少ない。
おそらく、住居に関することくらいだろう。四畳半というと、ああ、あれくらいの広さね。という生活体感がある。
アメリカ合衆国においては、生活体感はヤード・ポンド法だろう。スーパーマーケットに売っている商品はオンスとミリリットルが併記されている。高速道路にあがれば、目的地まではマイルで体感され、速度も時速何マイルで感じる。
そのアメリカでも産業や科学の分野では多くがメートル法を使用し始めているということだ。電気の分野ではアンペア、ボルト、クーロンを使用している。
銃器においても、NATOとの相互運用性からNATO弾は『七.六二ミリ弾』と呼ばれる。
アメリカの二重単位系で、最も問題になるのは航空分野であろう。航空分野といってもNASA(アメリカ航空宇宙局)はメートル法を採用している。問題なのは民間航空産業である。
航空産業はアメリカが発祥で、以来ずっとアメリカ合衆国が先導してきた産業である。
そこでヤード・ポンド法が使われている。アメリカ以外の国もアメリカに従わざるを得ないのが現状である。
例えば民間旅客機の標準巡行高度は三六〇〇〇フィート(約一万メートル)、略してFL三六〇と、フィートで呼ばれる。FLはフライト・レベルの略である。
当初、航空機高度にメートル法を採用していたロシアですら、高空域では二〇一一年にメートルからフィートに変更した。相互の空域を出入りする際の換算と航空機操作が面倒だったからだ。
航空機部品の長さはインチやフィートで測られる。
機内に持ち込める液体の制限は三.四オンス(百ミリリットル)とオンスで決められている。
二つの単位の間での変換が確実に行われれば問題ないのだが、単位系を伴わず数値だけ独り歩きすると問題が起きる。
一九九九年NASAの火星大気探査衛星『マーズ・クライメイト・オービター(以下MCO)』が単位系の齟齬で失われた。
MCOはロッキード・マーチン・アストロノウティクス社(以下LM社)によって制作され、NASAによって打ち上げられた探査機だ。
火星接近時に周回軌道に入るため減速しなければならないが、その時に減速量を示す数値に間違いが生じた。
LM社はその数値をヤード・ポンド法で計算してNASAに渡した。受け取ったNASAの探査機運用チームは、それをメートル法による数値だと思い、探査機に送信した。そのためMCOは予定高度より低い軌道に入り、失われた。
英語版Wikipediaによると、この失敗したミッションの費用は三億ドルとも五億ドルとも言われている。
すでに作られた機械は尺貫法によって作られている。この時代尺も貫も地域によってまちまちなので、大和国南部の尺貫法、と言った方が正確かもしれない。
なので、これらの修理部品などは尺貫法を維持しなければならない。
それに対して今後新たに製造したり、建設したりするものはメートル法によろうと考えている。
両者の混同を避けるための配慮が必要だ、と片田は考えた。




