外山駅(とびのえき)
リュックサックを担いだ片田順と茸丸が片田村の目抜き通りを下っている。下りきったところが外山の村だ。
鉄や硫黄を使った工場、製紙工場、火薬工場などは全て淡路か和泉に移動していた。片田村のある大和川上流域では、工場廃液や産業廃棄物の処分が困難だったからだ。
片田村に残ったのはキノコ工場、出版業、メガネ工場、学校などだった。工業地帯というよりは、学園都市になっていた。
片田村から矢木に行く列車が運び出す製品もキノコ、書籍、メガネなど嵩張らないものに限られている。
「外山と矢木の間の路線は、線路が出来たのは一番早いのだけれど、今は支線のようなものになっている。だから蒸気機関車も小さい」
確かに茸丸が言うように、その蒸気機関車は小さかった。その機関車に炭水車、貨車が二両、客車一両が付いていて、最後尾に小さな車掌車が、オマケのように付いていた。
貨車も客車も現代の物より小さい。客車は四人掛けのボックス席が六つ程備え付けられているらしい。定員二十四人というところだ。
「その日にもよるけど、矢木の駅で大きな蒸気機関車に交代して、貨車十両、客車が二両か三両接続されると思う。そうなると、けっこうな眺めになる」
茸丸が外山駅の窓口で堺までの切符を買ってくれた。片田は現金のもちあわせがない。
「堺までで、二百文もするのか、ずいぶんと高価なものだな」片田が言う。この物語では、一文を七十五円と定めている。現代の相場に換算すると二百文は一万五千円ということだ。現代ならば東海道新幹線『のぞみ号』で東京から新大阪まで行ける程の料金だった。
「そうなんだ。まだ線路施設に投じた資金の回収ができていない。しばらくはこの価格のままだと思う。なので、価値の高い物を運搬するのに使われている。干しシイタケとか書籍とかね。しばらくすれば安くなるかもしれない」茸丸が言った。
茸丸が切符と、銭や片田銀の入った袋を片田に渡す。
「向こうに着いたら、石英丸が待っているはずだ。さっき堺から狼煙便の返信があった」
「そうか、それは助かる」
「向こうに着いたら、石英丸達に伝えてくれ、こっちは僕も『いと』も恙無く過ごしている。片田村も順調だとね」
「わかった、いろいろありがとう」そういって片田が客車のオープンデッキに足を掛けた。
汽笛が鳴る。連結器がガチャンという大きな音を立てた。客車が引っ張られる感じがする。
「『じょん』」茸丸が言う。
「ん、なんだ」
「『じょん』、戻って来てくれて、ありがとう」そう言って、茸丸が涙ぐんだ。
片田は虚を突かれたような気がした。茸丸の姿が徐々に小さくなる。片田がデッキで右手をあげ、そして茸丸に向かって大きく手を何度も振った。
茸丸の姿が見えなくなったので、デッキから客室に移る。矢木の市までは五キロメートルくらいのはずだ。機関車が加速を止めたときの速度が時速四十キロメートルくらいだろう、これならば十五分もあれば矢木駅に着くはずだ。片田が見当をつける。
まだ、時計が普及していないので、時刻表は一刻を四つに割った三十分単位の、あいまいなものだった。しかも、夏と冬とでは一刻の時間が異なる。
この頃の暦では日の出、日の入りを、それぞれ六等分したものが一刻である。春分秋分のときには、一刻が二時間であるが、夏至の日中は十六時間三十分、冬至の日中は九時間四十五分だ。
六等分すると、夏至の日中の一刻は二時間四十五分、冬至の一刻は一時間三十七分程度だ。
“それにしても”片田が茸丸の涙の意味を考えた。
彼自身は、なんとか室町時代に戻れないだろうか、そればかり考えていた。この一年半、石英丸や茸丸の立場で考えたことはなかった。
片田が『やりたい放題』にやり続け、ついに和泉共和国まで立ち上げた。その直後に彼自身が突然失踪した。
百戦錬磨の守護大名、細川勝元、畠山政長、朝倉孝景、北畠教具などに囲まれ、片田を失って取り残されたのだった。
石英丸も、茸丸も、『いと』も、『ふう』も、さぞや心細かっただろう。
“不本意な失踪ではあったが、彼らにはかわいそうな思いをさせてしまった”




