蒸気機関車(じょうききかんしゃ)
「僕が教えてあげられるのは、これくらいまでかな。これ以上のことは堺の石英丸達に聞いた方がいい」茸丸が言った。
ほとんどの時間を片田村の研究所で過ごしている茸丸だ、無理もない。
「そうだな。ずいぶんと助かった。明日にでも堺に行ってみよう」片田が言う。
その時、遠くから小さな笛のような音が聞こえた。汽笛のような音だった。
「今からでも堺に行けるよ」茸丸が言った。
「どういうことだ、駅馬を使うのか、それほどの急用でもないが」
「いや、列車に乗っていくんだよ。今の汽笛は片田村に列車が到着した合図だ」
「列車が走っているのか」
「うん、去年『亀の瀬隧道』が開通したので、列車で直接堺までいけるようになった。毎日午の一刻(午前十一時)に外山駅に到着して、未の一刻(午後一時)に出発する。それに乗れば、二刻(四時間)程で堺に着く」
片田が以前にいたときに、蒸気自動車までは出来ていた。その時も、当初は蒸気鉄道構想が出たのだが、鉄道を引くほどの経済効果が見込めなかったので、蒸気自動車の試作で落ち着いていた。
茸丸が言うには、応仁の乱が終わり、京都で大量の建設資材などが必要になった。それで採算が取れそうだということになり、十年程前から奈良縦断の鉄道建設が始まったという。線路や枕木の製造は片田村が行っていたので、建設は外山駅から開始された。
まず外山から矢木の市までの試験線が開通した。矢木から線路は北上し、大和川と佐保川の合流点近くの筒井で二手に分かれる。片方は北上して奈良を経由して木津川まで伸びている。この路線で木津川水系を上ってきた商品が奈良盆地南部まで運ばれるようになった。
木津川南岸から、奈良に至るところは、わずかに山城国の領域だったが、ここは興福寺が守備の兵を置いた。亀の瀬運河が出来てはいたが、それでも木津川からの水運は興福寺にとって重要だった。
反対方向の物の流れとしては、奈良盆地南部の木材など建設資材が木津川まで運ばれ、そこから水運で京都に運ばれる。大和川を下って、尼崎を回ってくるよりよほど早い。
もう片方の路線は筒井から西に曲がり、亀が瀬渓谷を目指す。ここは難所なので一旦工事が止まる。
河内では同時に、堺から開始して畠山義就が建設中の城、高屋城まで、鉄道が引かれた。これに出資したのは畠山義就だった。
高屋城から東に石川を渡れば、そこは亀が瀬渓谷の下流側の出口だ。両者を結びつける渓谷に鉄道を通すには、幾つかの隧道を掘らねばならない。この隧道建設が難工事だったが、それが昨年完成したという。
畠山義就は、河内国内で鉄道をさらに延伸させていた。高屋城から生駒山地の麓を辿りながら北上し、山城国に至る路線だ。彼はこれを京都まで延ばそうとしていた。
このようにすれば、彼の高屋城の城下が山城、大和、河内を結ぶ中心になる。現代ならばハブになるということだ。
鉄道は平時には物流により経済を興す。戦時には兵員や兵糧、物資などを迅速に前線に輸送できる。鉄道があれば普仏戦争におけるプロイセン軍のように縦横に軍隊を移動させることができる。畠山義就はそれに気づいていた。
義就の路線北上計画は、河内と山城の国境で停止している。そこから先には入っていくことができない。
義就が南山城を得ようとして、執拗に畠山政長と戦っていた。その理由の一つが鉄道の延伸計画だった。
義就の計画を妨害しようとする勢力がもう一つある。石清水八幡宮である。
石清水八幡宮は、彼の線路が途絶えている場所、そのすぐ目の前にある。八幡宮は京都の朝廷や幕府に対する政治的工作を行い、鉄道建設を妨害した。それだけではなく、八幡宮の神人による鉄道破壊工作なども行われた。
加えて、八幡宮の社殿では、日夜鉄道修祓の祈祷が行われているという。
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等、この度河内に下りし、彼の蒸気機関車、これ諸の禍事・罪穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと、恐恐白す、」
なにしろ彼らの眼下の淀川を行き来する舟、これに積んだ座の商品。これを一旦『神への捧げもの』であるとして八幡宮に納めさせ、この大部分を『余りもの』であるとして座に下げ渡すという形をとるだけで、莫大な差益が得られるのである。もちろん、商品の量を勘定するだけで、商品自体は舟に乗せたままだ。
そこに鉄道などが出来て、商品を載せたまま素通りされては、たまったものではなかった。
八幡宮の妨害に対して、畠山義就は路線を南に大きく迂回させて巨椋池の東方にでる方法を考えていた。このためにも畠山政長の勢力を宇治川より北まで後退させようとしていた。
だが、南山城に一揆が起きてしまい、この構想はしばらく実現できなくなっていた。
未の刻に出発して二刻ならば、日没前には堺に着ける、と茸丸が言っていた。片田は乗ってみることにした。
「それだったら、今日は晴れているから、堺の石英丸に狼煙便を送ろう。堺の駅に迎えに来てもらえばいい」茸丸が言った。金剛山系岩橋山頂上にある狼煙台を経由して通信しようというのだった。




