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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
316/611

山城国一揆(やましろのくにいっき)

 茸丸たけまる涙滴るいてきを逆さにしたようなガラス管を前にして、片田に言った。


「このガラス管の上半分には植物をけた蒸発液じょうはつえきが入っている。植物から溶け出した成分が含まれている」茸丸が言う、片田が見ると確かに上半分の液体に色が付いている。

「蒸発液というのは、石英丸達が塩酸と酒精エチルアルコールを混ぜて作ったものだ。空気中に放置すると、あっというまに蒸発する」

“エーテルのことだな”片田が理解する。有機物を分離するのによく使用される。

「下半分の色の無い所は、蒸留水が入っている。ここに上から塩酸を加えると、水の方に藍之素あいのもとだけが溶けだしてくる。透明だから見ても解らないけど、溶けている」

“アニリンを抽出しているのだな。『溶媒抽出法ようばいちゅうしゅつほう』を発明したようだ。片田が感心する。


 室町時代に戻ってきた翌日、片田と茸丸は茸丸の植物研究所にいた。


初代のキノコ小屋、その一角に置いた棚ひとつから始まった茸丸研究室は、大きな植物研究所になっていた。

 研究所は、片田村上流にある広大なキノコ工場群の一角に建っていた。工場群はシイタケだけでなく、ヒラタケ、エノキ、マイタケなども栽培している。

 マイタケの栽培など、一九六七年の日本でも実現していない。どのようにやったのだろう。




 二人が茸丸の部屋に戻る。彼の所長室だ。

「最近の政治について、教えて欲しい」片田が言う。

「政治か、そうだな、まず東国の方は手が付けられない程荒れているようだ」

「やはり、そうなのか」

「西国はそれ程でもないが、二つだけどうにもならないものがある。一つは畠山義就よしひろ政長まさなが。もう一つは赤松あかまつ山名やまなだな、播磨はりま備前びぜん美作みまさかあたりの取り合いをしている」

「細川や大内はどうだ」

「その二人は朝鮮との貿易で国力を蓄えている。いずれいくさになるかもしれないけど、今のところはおとなしくしている」

 茸丸が言うには山名宗全そうぜんも細川勝元かつもと鬼籍きせきに入っており、それぞれ

山名政豊まさとよと細川政元まさもとが後を継いだそうだ。

「幕府の方は」

「将軍様のだいわられたのは知っていたか」

「そういううわさまでだ」

「そうだったか。じゃあ『じょん』が居なくなったすぐ後のことだったかな。義政よしまさ様の御子おこ義尚よしひさ様が将軍様になっておられる。今は近江おうみ六角ろっかく氏の討伐で出陣している」

「なんで六角を討伐しているんだ」

「さあ、なんでも六角が公家くげや寺社の領地を片っ端から奪い取ったそうだ」


「他には、なにか目立った動きはあるか」

「そうだなぁ、目立ったといえば。ああ、そうだ。和泉いずみ共和国の真似まねをするような連中が出てきている」

「共和国の真似だと」

自検断じけんだんとか、一国成敗いっこくせいばいなどと言うらしい。南山城やましろ国人こくじん達が、そこで合戦をしていた畠山義就と政長を追い出して、惣国そうこくというものをつくったらしい」


山城国一揆やましろのくにいっき』のことを言っているらしい。

 山城国一揆とは文明ぶんめい十七年(西暦一四八五年)十二月に南山城三郡の国人こくじんや農民が決起して、山城国守護の畠山政長の軍と、彼を畠山氏の総領そうりょうと認めない畠山義就の軍を南山城から追い出したことに始まる。

 守護を追い出してしまった時に、守護が持つ成敗せいばい権はどうなったのか。

 ここで成敗とは、その国内での行政と司法をあわせたようなものである。徴税したり、条例を定めたり、罪人を捕縛ほばくして罰する、などである。

 彼らは、この成敗権を、国人の合議体で運営することにしたのである。そのことが和泉共和国に似ている、と茸丸には思えたのであろう。


 川岡勉という歴史学者が書いた『山城国一揆と戦国社会、吉川弘文館、歴史文化ライブラリー三五七、二〇一二年、POD版二〇二一年』に、このあたりのことが理解しやすそうな例が出ていたので部分的に編集して引用する


ーー引用開始ーー

後大慈三昧院殿御_記のちのだいじざんまいいんどのぎょき』文明十八年条によれば、「山城国人ども一国成敗、年行事・がち行事これをさだむ」と書かれており、国人たちが「国の成敗」のために、年行事、月行事などの役職を定めていたことも判明する。その名称からいて、年行事・月行事という役職は、年単位・月単位の回り持ちで職務を担当する者を指したとみて間違いあるまい。

ーー引用終了ーー


 そして、この文章の後に、彼らの行政の具体例として、月行事役が国内のある村に、年貢の半分をよこせといった文と、村の方が、それは断る、といった文を出したことが例示されている。この文面については、『大乗院寺社雑事記』の文明一八年五月九日条とあるので、尋尊じんそんさんが記録したものであろう。


 月行事が村に出した手紙は、


 山城国寺社本所ほんじょにおいて神領しんりょううちたりいえどもも、両三社(春日大社などのこと)の外は諸事入紐(組)年貢ねんぐ公事くじ以下、うまの年(一四八六年のこと)一年中半済(はんぜい)たるべくそうろうおもむき奸謀かんぼうなく速やかにもっ惣国そうこくしょおさめらるべき者なり、よって国の定めくだんごとし、


卯月(卯月)十一日

                            惣国

                             月行事 判(押印してあるということ)

                             月行事 判

 スカイ


 半済とは、荘園領主におさめるべき年貢の半分を惣国の方に納めよ、ということである。


 要するに、山城国の荘園は、春日大社の荘園などの例外を除いて、今年は領主におさめる年貢の半分を惣国に納めよ、よこしまなことなど考えず、速やかに惣国まで納めるがよい。

仍て件の如し


 と書いてある。『仍て件の如し』は、定型文である。日本歴史を学ぶ学生などが、言葉遊びで、語尾につけたりする。

 スカイは書状を送られた村の名前である。


それに対して村の方では、


   返事

当年国中の半済につきそうらいて御折紙おりがみ委細いさい拝見しつかまりそうろう、仍て此方このほうは、御本所ごほんじょ大乗院だいじょういん殿として、春日の御神楽米かぐらまいたるにて候あいだ御除おんのぞき在所ざいしょにてあるべく候、諸篇しょへん御目出おんめでたく候、恐惶きょうこう謹言きんげん


   卯月二十三日

                              すかい惣庄

 月行事御返報へんぽう


 今年は国中で半済を徴収する、ということは承知いたしました。でも当村は春日大社の神楽米をお作りさせていただいている村でございます、半済には該当しませんので悪しからず。

 恐惶謹言。


 月行事が二名連署しているのは、不正防止のためだろうか。また年貢等を『惣国』に納めよ、といっている。惣国に徴税の機能があるということだ。

 また今年は『半済』とする、というのは、国内の条例(地域を限定した法律)を定める権利が惣国にあることを示している。


 徴税も条例制定も従来は守護がこれを定める主権者であった。それを国人の集合体が奪い取ったということを意味する


「で、石英丸せきえいまるは、その一揆に対してどう出たのか」

「いや、和泉共和国は畠山氏に近いので、なにもしていない」茸丸が言った。

 片田が安心する。下手に南山城に加担して畠山義就との関係が崩れるのはよくない。


「そういえば今年の夏には加賀の方でも一揆が起きていて、守護が殺され一向宗いっこうしゅう衆徒しゅうとが国を治め始めた、といううわさもある」茸丸が付け加えた。

「加賀でも起きているのか」

「そっちの方も、一応後任の守護は置かれたようだが、なにも出来ないようだと聞いている」

 片田の和泉国建国の影響が、各地で出始めているのかもしれない。


 本日のお話、よっくだんごとしし。


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