大権現(だいごんげん)
気が付くと、玄室の中に戻っていた。あたりは暗闇であるが、羨道の先から光が少しばかり射していた。
肩にかかる力の感触で、リュックサックも無事なのがわかる。
“さて、いつの時代に来たのかな。あの時から余り離れていないといいが”
立ち上がり、入口の方に向かって歩き出す。入口の上縁に、荒縄のようなものが見えて、そこからギザギザの和紙がブラ下がっている。
外に出てみる。ずいぶんと景色が変わっていた。古墳の入口前が開かれて、神社の境内のようになっていた。
左手に手水舎があり、木製の柄杓が数本置かれている。その先には白木の鳥居が建てられていた。
入口の左右には狛犬が鎮座している。狛犬は向こう側を向いていた。
“ということは、こちらが本殿になるのか”
そう思って、背後を見ると、古墳の入口が本殿になっているらしかった。羨道入口の上に杮葺きの庇が伸びており、左右を石柱に支えられている。庇の下に注連縄が下げられている。ずいぶんと太い注連縄だ。
注連縄からは稲妻様に切られた白い和紙がぶら下がっていて、風に揺れている。紙垂というのだそうだ。
“古墳を御神体にして、祭っているのか。石でも大木でも御神体にしてしまうことがある、こういうのもあるのかもしれない”片田が思った。
注連縄と玄室入口の間に額が架けられている。それを読んだ片田の頬に朱が走る。
『片田大権現』とあった。
よく見ると、庇の両側を支える石柱にも、『片田大権現』という文字が彫られていた。これは好胤さんの字だな。片田が思った。
好胤さんは、前回片田が室町時代に来た時に、片田を拾ってくれた僧侶だった。
石柱の脇に、石碑があった。それには『主上御幸之碑』とある。
“陛下まで、いらしたのか”片田の顔が真っ赤になる。
要するに、片田が突然の失踪をした後、片田村の住民たちが、彼を神として祭り上げたということである。
このようなことは、いくつも例がある。豊臣秀吉は豊国大明神、徳川家康は東照大権現となった。近代になってからも、東郷神社、乃木神社が建立されている。
それにしても、これは恥ずかしい。そう思う一方で神社の様子からすると、前回来た時からあまり離れていない時代に来たな、と安心もした。
粟原川まで下って街道にでる。右に折れて片田村に向かう。季節は秋のようだ。遠くに無数の馬が放牧されている。尾根を回ると片田村が見下ろせる。『ふう』達の水道橋が架かっている。
村人の姿が見えてくる。子供の数が多い。そうとう人口が増えているのだろうと思った。
村の建物も増えている。村役場を探すと、元の所にそのままあった。中に入り、職員と思われる若い娘に声をかけた。
「ここは今でも村役場ですか」
「そうです。入村のご用ですか」
どうしよう。先ほどの『大権現』を思い出して、ひるんでしまうが、他に方法が無い。
「私は、片田と申しますが、村長さんのお名前は、なんとおっしゃるのでしょう」
「村長ですか、村長は『いと』、と申しますが」娘が不審そうに答える。
“やれ、助かった。『いと』が村長だ”
「村長さんに面会したいのですが」
「村長に面会、ですか。そこにお掛けになって少々お待ちください」
娘がそう言って、壁際の椅子を指さし、奥に去っていった。椅子が普及している。
奥の方から駆け足の音が聞こえる。片田がそちらの方を向くと、『いと』がいた。齢は五十歳程か。
「『じょん』、『じょん』なの、本当に『じょん』なのね」娘のような声で叫び、駆け寄ってくる。
片田が『いと』と初めて会ったのは、彼女が十一歳の時だった。そして二十四年を室町時代で過ごし、彼が室町時代を去った時には三十五歳になっていたはずだ。しかし、彼女にとって片田との記憶は、娘時代のままだったのだろう。
「ああそうだ。突然いなくなってすまなかった」
「なぜ、急にいなくなっちゃったの」そういいながら両手を伸ばし、片田の肩や頬をなでる。幽霊などではなく、実体であることを確かめているようだった。
「それは……、故郷に急用ができた」
「和泉、淡路、二国と片田村を放り出すほどの用事だったの」
「まあ、そうだ」
「『じょん』がいなくなったので、石英丸達、大変だったのよ」
「それは、申し訳なかった」
「でも、帰って来たのだから、まぁ、いいわ。許してあげる」
二人の周りに役場の職員が集まってくる。
「村長室に行きましょう」『いと』がそう言った後で、先ほどの娘に指示した。
「おねがい、茸丸を呼んできてちょうだい。村長室まで」
村長室は昔のままだった。
「今、何年だ」片田が尋ねる。
「今年は長享の二年よ」
片田がリュックサックを降ろし、中からノートを出して広げる。応仁の乱が短期で収拾したため、応仁が二十一年まで続き、その年の七月に長享元年に改元されたと、『いと』が言う。文明という元号がそっくり抜けたわけだ。長享二年は史実どおり、一四八八年ということになる。
片田が室町時代を去ってから、現代で一年半過ごした。その間に十五年が過ぎていた、ということだ。
一四八八年は、コロンブスが大西洋横断に成功する四年前だった。スペイン人が本格的にアメリカ大陸に進出するのは、さらに先の事になる。また、ヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到着する十年前でもある。
もう少し早い方がよかったのだが、まず間に合ったと思う。行先を指定出来ない旅で、これならば上出来のほうだ。




