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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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 それは、朝鮮より先に、琉球からやってきた。

「堺のホンの商人が、おまえに会いたい、と言ってる」鉛屋が片田に言った。

「堺に来い、ということか」

「そうだ、やつらは行から、あまり出たがらない。言葉もよく通じないしな」

 行とは、琉球りゅうきゅうの商人組合の建物である。

「見本が必要だろうし、今日というわけにはいかない。これから帰って準備をして、明日なら行けるが」

「よし、なら明日の昼前までに来い。二泊くらいの準備をしておけ」




 矢木市やぎいちの西側は飛鳥川に接している。伊勢街道の橋のたもとにとまりがあり、そこから市に荷をあげている。

 二人は泊で舟に乗った。舟はむしろで出来た帆を揚げて岸から離れる。冬至の風が冷たいけれども、舟旅は楽しかった。岸には冬の渡り鳥が群れていて、舟が近寄ると飛び立っていく。

「右から合流してくるのが、大和川だ」鉛屋が言った。

 『とび』の村あたりに比べ、ずいぶん川幅が広がっている。


 日が生駒山脈の向こう側に隠れた頃、王寺の泊についた。その日は王寺の宿に泊まった。


 翌朝、舟は、山脈の中に分け入る。だいぶ流れが急になってきたな、と片田が思った頃に、舟が北岸に着いた。

「ここで、いったん降りる」鉛屋が言った。

「この先は、亀ノ瀬といってな、流れが急になっていて、舟が通れないんだ」

 石だらけの岸を二百メートル程歩くと、木の杭が立っていた。ここが下流側の泊りなのだろう。たしかに、徒歩で渡ったところは川面に白波が立っていて、舟では無理だろう。

 北岸は、崩れたことがあるな。片田が思った。南岸は岩がむき出しになっており、しっかりしているようだ。

 しばらく待っていると、下流側から船が来た。今まで乗ってきた舟より一回り大きい。山脈を抜け、左手より来る川が合流するところで、舟を降りた。

「この川は、このあと、どこに流れていくんだ」片田が聞いた。

「淀川と一緒になって、尼崎あまがさきあたりで海に出る」


 そのあと、二人の足で、二刻足らずで堺についた。堺の港は、足利義満のとき、一度焼かれている。その時すでに一万戸あったという。いまはさらに栄えているようだった。


 琉球の建物は、港に面したところにあった。大きな貿易船がいくつも停泊している。

 阿麻和利アマワリと名乗る琉球の商人と、通訳を介して商談を始めた。

「これがピァンチァンというものか」阿麻和利が言った。

 片田の眼鏡箱は、表に『片田』という焼き印を入れていた。そこで明の人々は眼鏡のことをピァン(片)チァン(田)と呼んでいた。

「どれ、試してみるか」そういって検眼器をのぞき込む。

「ほう、良く見えるもんじゃの。若返ったようじゃ。これは翻訳せんでもよいぞ」

 片田が調整した眼鏡をかけて、阿麻和利さんはいたく感心した。

「これは、明人がほしがるわけじゃ。彼らは文字が大好きじゃからな」

「で、次はシァングゥ(香菇)じゃが」シイタケのことを明人はそう呼んでいるそうだ。

 片田が干しシイタケを見せる。

「ふむ」

 調理場を借りて、シイタケを水で戻し、軽く炊いて、塩味を付ける。

「うまいものだが、話しで聞いたほどでもないが」

「お国にも、仏教の僧侶がいらっしゃいますか。僧侶などは肉をたべないので、このようなものを好みます」

「そういうことか」

 片田が西忍の売上帳を見せた。

「さきの遣明船での売り上げです」

「これほどか、すさまじいもんじゃの。明から琉球にしきりに催促が来るのはこういうわけじゃったのか」

「金か銀で支払っていただけるのでしたら、この半値でお譲りします。まずは、今日持ってきた眼鏡二箱と干しシイタケ一斗はさしあげます。明に販売してみてください」

「そうか、くれるのか。では販売してみよう」


 二人は同じ道をたどって帰る。亀が瀬の急流のところで、片田は改めて対岸の様子を観察する。

”南岸側に運河が通せそうだな。そうすれば、海から直接大和盆地に舟が通せる”片田は思った。




 数か月後、堺の行から、大量の注文が来た。支払いを銀、金にすることも承諾するといってきた。試供品の眼鏡は明の皇帝が買いあげたそうだ。


「茸丸。設備の無いところでも栽培できるような菌床はないかな」

「うーんそうだな。二十三番の菌床なら、十一月に植えて、三月から五月くらいまで取れるだろう。乾燥させなければ。あと、十七番なら、五月に植えて、九月から十一月までとれる。こちらも乾燥させちゃだめで、日陰の涼しいところにおかなくちゃいけない。それどうするんだ」


「宇陀郡の百姓に手伝ってもらうんだ」

 宇陀郡の沢氏、秋山氏などは、かつては南軍に属し、興福寺との仲は悪かった。しかし片田の頃には、それも沈静化していた。依然として、伊勢の北畠きたばたけ氏の勢力圏といってもよかったが、このことで背後が固められるかもしれない、と片田は思った。


 その後、朝鮮からの注文も来ているようだった。西国の大名がしきりに片田に打診してくるようなった。



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