玄室一九六七年(げんしつ1967ねん)
玄室の暗闇のなかで目覚まし時計のベルが鳴った。
小松左京氏の『果しなき流れの果に』という名作の一シーンのようである。
かび臭い玄室の気に蚊取り線香の香が混じる。
片田順が起き上がり、傍らの懐中電灯を点ける。玄室の壁をなす巨大な岩が浮き上がる。時計の針は三時を指していた。
玄室とは、古墳などの死者を埋葬する墓室のことである。なんで片田が玄室で寝ていたのか。
室町時代に戻りたかったからである。
ここに居れば、いつか再び室町時代に行けるかもしれない。この玄室が室町時代への門のような気がしていた。むろん、最初の時にはニューギニアのジャングルから行ったのであるが、さすがにニューギニアに住むわけにはいかない。ここに戻って来れたのだから、ここから行くことも出来るかもしれない。
彼のアパートから二キロメートル程離れているので、毎晩玄室で寝る、というわけにはいかなかったが、天候が良いときなどは、ここで野宿した。
一九六七年六月。
今日は早朝に見たいテレビ番組があったので、いつもより早い時間にベルを設定していた。
寝袋をまとめ、線香の火を消し、懐中電灯を頼りにして玄室の外に出る。
夏至の直後であっても、三時ではまだ空は暗い。
国道に出た所で、右に曲がり桜井市内の、彼のアパートに向かう。アパートは大和川と粟原川が接近したあたりにある。
室町時代には外山の村の最上流の場所だった。
音がしないように開錠してアパートのドアを開ける。蛍光灯からぶら下がる紐を引く。数回点滅して白い光が室内に広がる。
午前三時四十分だった。
ガス台にヤカンをかけて、湯をわかす。戸棚からインスタントラーメンの袋を取り出す。
湯が沸いた。それをアルミ製の小さな鍋に移し替えて、鍋をガスの火にあてる。袋から乾燥したラーメンを取り出して鍋の中に入れる。
陶製のカップにインスタントコーヒーの粉と砂糖を入れ、ヤカンの残り湯を注ぐ。
インスタントのラーメンとか、コーヒーというもの、最初は不思議なものだと思ったが、試してみると便利であった。
熱いコーヒーを吹いて冷まして飲みながら、ラーメンが茹で上がるのを待つ。
ラーメンが出来た。鍋とコーヒーカップを『ちゃぶ台』兼用のコタツに置く。テレビの電源を入れ、音を最小まで絞る。まだ、空が明るみ始めたばかりだ。
テレビの画面がはじめわずかに、やがてぼんやりと明るくなる。まだ番組は始まっていないので、画面は砂嵐のようだ。
片田がラーメンをすする。
朝からラーメンか、そう思うかもしれないが片田は健啖家だった。陸軍士官学校を卒業した職業軍人であるから、当然である。
番組が始まった。画面に『宇宙中継』の文字が現れる。それが消え『われらの世界 OUR WORLD』と表示される。
片田のテレビは白黒テレビだった。
隣人を気にしながら、かろうじて聞き取れる程度にボリュームをあげる。
「おはようございます、おめざめでいらっしゃいますか。三時五十五分でございます。どうも、朝早く恐縮でございます」
アナウンサーが語り掛ける。
『OUR WORLD』は、英国放送協会(BBC)が企画し、五大陸十四か国の放送局が参加した、世界初の多元衛星生中継テレビ番組であった。
放送はイギリスの現地時刻で一九六七年六月二十五日午後七時から始まった。日本では翌朝の四時である。
日本放送協会(NHK)は午前三時五十五分から放送を開始している。
番組は複数のセクションに分かれていたが、最も有名なのはビートルズによるオール・ユー・ニード・イズ・ラブの収録風景だった。
そう言われると、ああ、あれのことか、と思う方が多いだろう。
「大西洋上にはアーリーバード、カナリーバード、二つの衛星を……太平洋上の方にもラニーバードとATS、合わせて四つの衛星を用いて……」
アナウンサーが衛星中継の仕組みを説明する。
地球上の複数の場所から生中継を行うことができるようになったのは、いくつもの通信衛星が打ち上げられたからだ。
アナウンサーが『なんとかバード』と呼んでいる衛星は国際電気通信衛星機構が持つ衛星である。ATSはアメリカ航空宇宙局(NASA)の技術試験衛星だ。
当初予定では、東欧諸国も参加する予定で、ソ連のモルニア1号も中継を行うことになっていたが、直前に発生した第三次中東戦争において、欧米がイスラエル支持を発表したことに反発して離脱した。
最初の生中継は日本。札幌の大学病院での新生児出産が中継された。日本は夜明けだった。その後デンマーク、メキシコ、カナダと続く。
デンマークでは午後八時、外が暗いので壁掛け時計を映して時刻を表した。メキシコとカナダでは日中の明るい空が映された。
“見事なものだ”片田が思う。地球の反対側の今の映像を見ることが出来るのだ。室町時代に人工衛星を打ち上げるのは無理だろうが、短波無線を使えば遠距離の通信が可能になるだろう。
どのように無線機を作ろうか、そんなことを考えているうちに番組が進んだ。水泳や馬術の様子が映る。ロープウェイのカゴのようなものが水中に潜っていく。
どこか教会のようなところが映る。若い娘が画面の左手から駆けて来て、若者に抱き着く。映画の撮影のようだ、監督が何か説明している。
次の瞬間、テレビ画面全体に女優のアップショットが映る。
“なんて美しい人だ”考え事をしていた片田が気をとられる。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を映画化しているようだ。片田は女優の名前を聞き漏らしたが、彼女はオリビア・ハッセーである。
教会の丸いステンドグラスにカメラがフォーカスして、場面が変わる。次はバイロイトの劇場だった。片田は、また無線機に戻る。
誰かがピアノを弾いている。曲はラフマニノフの協奏曲だが、ラフマニノフは片田の守備範囲外だ。雑音にしか聞こえない。
協奏曲が終わり、聞きなれた四人組のコーラスが聞こえる。テレビの方に注意を向ける。
片田はビートルズを好んでいた。彼らの曲はザラザラとした荒い感触があり、室町時代を思い出させる。
アルバムもいくつか持っている。「ヘルプ!」や「イエスタデイ」が彼のお気に入りだった。
All you need is love, love, love is all you need ♪
歌声が途切れ、カメラがコントロールルームに移動する。ジョン・レノンが「シー・ラブズ・ユー」を口ずさむ。ベース音が流れる。
次の瞬間、画面に地球儀が現れる。
“これだけか”
全体で三分もなかっただろう。ちょっとあっけなかった。
時刻は五時二十分になっていた。外はすっかり明るくなっている。
今日も、室町時代に行けた時のための準備をする。




