エピローグ1 菊丸
戦争の被害にあうのは、戦場に出る兵士達だけではない。ことに応仁の乱のような市街戦では、市民にも多くの被害が出る。
家を焼かれ、生業を失い、親を殺された子供達。彼らは生き延びても将来の芽を摘まれてしまう。
菊丸は、そのような子供だった。
菊丸の家は京都一条室町の老舗香屋だった。店の名を桃林堂といった。
桃林堂は、応仁元年五月、上京の戦いの時に足軽に襲撃され、主人の山崎公延が殺害され、母の保子が重傷を負う。
その夜、上京を焼いた火災が、桃林堂の店舗にも襲い掛かる。
元服したばかりの兄、山崎公世と菊丸が傷ついた母を担いで、命からがら炎上する店舗から抜け出す。
桃林堂店舗が、沈香抹香の妖艶な香りを放ちながら焼け落ちる。
火の粉が掛からぬところまで母を運んだところで、一条大路に横たえる。この時、公世は自分の右手に大きな火傷を負っていたことに気付いた。
三人の上に、空から激しい雨が降ってくる。
翌朝、焼け果てた桃林堂の奥に蔵が残っていた。蔵の扉は開かれている。火災の前に足軽どもが香を盗んでいったからだ。
母親を蔵の中に運び入れ、仮の住まいとした。
通り土間の跡に井戸が焼け残っている。縁の下の米櫃と味噌の樽も無事だった。当面の食料には困らない。
ただ、母の刀傷と、公世の手の火傷、どちらも重傷だった。煮炊きは菊丸がやるしかない。幸い竃と釜、鍋などは焼け残った。井戸から水を汲み、洗って食事を用意した。
「手、痛いのか」菊丸が兄に言う。
「ああ、我慢できない程痛い」兄の右手は焼けただれて皮が剝がれていた。右で箸を持つことが出来ないので、左手で不器用に飯を食っていた。
「母さん、お粥だ」そういって、母の頭を高くしてたべさせようとする。
「わたしは、まだ苦しくって、とても食べられない。お前たち二人だけで食べておくれ」そういって食べようとしない。
食事が終わり、医者を探してみることにした。菊丸が三条のあたりまで行き、医者を訪ねる。
「先生は、昨夜から大忙しなんだ。いつ行けるかわからない。一条室町の桃林堂だな。よし、書き留めておく。けれども何時いけるか、約束できない」医師の門人と思われる若者が菊丸にそう答えた。
医院から帰って来て、兄弟二人で焼け跡を探す。なにか売り物になる物があるかもしれない。
青磁の聞香炉、金属製の銀葉挟などが見つかった。銅や鉄の釘なども出て来た。市で売れれば、いくらかの足しになるだろう。
蔵の中も探してみる。二階の隅に、足軽が見落とした銭貫が一本見つかった。二人がほっとする。
翌日、医者が来た。小刀で母の腹を切開し、腹に溜まった悪い血を抜く。
「これで、急場は凌げるだろう。あとは体力次第だな」そういって、傷口を洗い、飲み薬を菊丸に渡す。
「一日二回、朝晩これを母親に飲ませるんだ」医師がそう言い、菊丸が頷く。
「次は、兄さんの方だな」そういって兄の手を診察する。
「こちらもひどいな。これでは右手は使えなくなるかもしれない」そういって、注意深く右手を洗い、綿布に膏薬を塗り、兄の手を包んだ。
「この膏薬を布にぬり、一日一回交換してやるんだ」これも菊丸に十日分程の量を渡す。
「お代は、いくらですか」菊丸が問う。
「ん、焼け出されたのに、銭を払えるのか。ならば、受け取るが、そうだな百二十文だが」
菊丸が昨日、蔵で見つけた銭貫から、銭を外して支払う。
医師が銭を受け取って母親に尋ねる。
「近くに住む身内は居るか」
「それが、主人は三代続いた独子で、近しい親戚がおりません。この子達二人がともに袴着を迎えた時には、それはもう喜んだものでした」
「そうか、頼る者がいないのか。お前様の方の親戚はどうなのだ」
「先の飢饉の後の流行り病で、こちらも皆」
「そうであったか」
これは、この家族の行く末は気の毒なことになりそうだな、医師が思った。




