頃合い(ころあい)
「ありがてぇ」
「待ってました」
目の前に置かれた『うな重』を見て二人の職人が声を上げた。さっそく蓋をあけ、甘くて香ばしい脂の香りを楽しむ。
卓子に置かれている竹筒を取り上げ、筒の胴に差し込まれている竹片を外し、山椒の粉を『縅焼き』の上に振りかける。
よく見ると、竹筒には『真木丸』という焼き印が打たれている。
『まー坊』は山椒粉の販売も始めたらしい。
二人は割り箸を歯に咥え、箸の片方を思い切り引っ張って箸を割る。頭蓋骨にジンッという振動が来る。
「この瞬間がたまんねぇ、これから喰らうぞっ、てえのがな」
少し行儀が悪い。
彼らは汗を流しながら、『うな重』を掻き込んだ。
『うなぎや』は今日も、指値一株四百八十貫で、南洋株を取引所に出していた。これで五日連続である。
株を売って手にした、紙幣、銭、片田銀、砂金などは、片端から顧客が『うなぎや』に持参してきた分割債と交換する。
分割債を顧客が購入するときには二十分の一の手数料を取っていたが、引き取るときには手数料不要としていたので、沼野鯉次郎の手元に残る物は、自分が発行した大量の分割債だけである。
この回収した分割債は、来る側から、店の裏で焼いてしまう。
<この数か月、店主は何がやりたかったんだろう>そう疑問に思う店員もいたが、彼らには多額の退職金を約束していた。これらは当初分割債を発行したときの手数料が当てられている。
それ以上に詮索する者はいなかった。
翌日も、そのまた次の日も、『うなぎや』は指値を続けた。『うなぎや』の顧客達は、いつ交換に行っても一定額で引き取ってもらえるので、これを喜んでいた。
しかし、市場参加者達の一部で、空気が、だんだん怪しくなってくる。
警戒感が出てきたのは、借金をして南洋株を買っている者達だった。
「『うなぎや』、指値いつまで続けるつもりなんだ。もう五月も十五日になったぞ。半ばをすぎたのに、まだ四百八十貫のままじゃねえか」
「どんだけ、株持っていたんだ。『うなぎや』」
「取引所の記録によると、まだ五百株以上あるそうだ」
「それだけあるとすると、全部処分するのに、五月一杯かかりそうだな」
「五月末まで四百八十貫のままだと。ふざけるな。こちとら、八文子で銭を借りて投資しているんだ。そんなことになれば、利息も元金も払えねぇ」
八文子とは、月あたりの利息が八十パーセントということだ。五月一日に百貫借りたとしたら、五月末には百八十貫返さなければならない。
「株が値上がりしなけりゃ、話にならないんだよ」
「おう、みんなで『うなぎや』の所に行って、指値を止めさせようじゃないか」
十名程の株主が連れ立って『うなぎや』に押しかける。店員が応対するが、らちがあかない。株主達の声がしだい荒くなってくる。
「あの、もし。後ろをご覧になってください」店員が答える。
株主達が振り向くと、五十名程の片田村自警団が立っていた。自警団と言っても、そのなりは半ば軍隊のようだった。
背中に小銃を背負い、手には鞘を付けた槍を持っている。腰には日本刀まで挿していた。
「な、なんだ。やけに手回しがいいじゃあねぇか」株主達は怯んだ。
株主達が引き上げようとするところに、別の店員が駆け込んできて、応対していた店員に耳打ちする。
「皆様、いま店主から連絡がありました。明日百株を下限四百八十貫の成行で取引所に出すそうです」
「なんだぃ、それ」
「最初からそのように答えればいいんだ」
「わかればいいんだ、わかれば。よし、明日百株だな。そうと分かれば、借金をしにいかなければいけねぇ。こちとら忙しいんだ、ひきあげるぞ」
「そうだ、そうだ」
株主達が引き揚げていった。
<そろそろ、頃合いだ>野村孫大夫が思った、その『頃合い』というのは、このことだった。
彼が待っていたのは、高利の借金をして、南洋株を購入しようという者達の出現だった。彼らは株価が利息を超えて値上がりしないと立ち行かない。
なので、指値で株価を一定期間定額のままにされると、損切して撤退するしかないのだった。
野村孫大夫が『うなぎや』を開店した目的は、『南洋社』の信用を失墜させ、同社から琉球貿易の権利を奪うことだった。
千貫にも満たない資本を用意して、『うなぎや』を開店し、『南洋株』を購入しては、それを分割債券にして、即座に販売する。販売して集めた銭で、さらに『南洋株』を購入する。
それを繰り返し、しだいに市中の資金を南洋株に集中させていく。
目的に比べたら少ない元手でも出来た。ほとんどは他人の資金である。
株価の上昇に従い、より多くの資金が南洋株に集まる。盆栽式バブルの到来である。
やがて市場が過熱し、高利の借金をしてまで南洋株の分割債券を欲しがるものが大量に出てくる。ここまでくれば準備が整う。
あとは、貯め込んだ大量の南洋株を定額で市中に放出すれば、借金をして株を保有した者達が持ちこたえられなくなり、株価が暴落する。
最終段階で、株を処分しきれずに、多少損失が出るかもしれないが、全体からみればわずかなものである。
明日の成行百株は、未処分株を最小限にしようというものだった。




