梃子(てこ)
少し前の応仁三年(西暦一四六九年)の年末。堺の藍屋に片田順、藤林友保、野村孫大夫の三人が集まっていた。
「もうすこし、続けたいとは思いますが、そろそろ収め所を考えておこうと思います」
「うむ」
「はい」
「前回にお願いしましたが、まず元旦の洛陽新報で、今回の南洋新株発行についての、全体的な枠組を報道してください」
「それは、すでに小猿達に用意させている、ここに記事の原稿を持ってきた」藤林友保が原稿と呼んだ紙を片田に示した。
「ここの、『その利息、もとい期待利益』というところ、本当にこのまま書くのですか」片田が尋ねる。
「小猿が言うには、世論が高まれば、守護債が徳政令の対象になるかもしれない、とのことです」
「確かに、守護債が全て紙切れになれば、南洋社は大打撃ですが、二文子ですからね。それはどうでしょう」
「駄目で元々だと、小猿は言っていました。筆先を少し滑らせただけで八十万貫が吹き飛ぶ、と考えたらやめられない、のだそうです」
「そうですか、究極の梃子というわけですね。忍者魂ですか」
極小の動きで最大の効果を得るのが、忍者の真骨頂ということのようだ。
「では、これはそのままとしましょうか」
「次は、『南洋<忽>』についてなのですが」
「おっ、鯉次郎の出番だな。孫大夫は最近鯉次郎が板に付いて来ているからな」友保が言う。
「よしてください」孫大夫が笑いながら答える。
「『南洋<忽>』については、廃止しましょう。出来るだけ早く回収してください」片田が言った。
「なぜでしょう」孫大夫が尋ねる。
「財梃子という言葉をご存じですか」
「『ざいテコ』ですか」
「最近片田村あたりの子供たちの間で流行っているそうです」
「なんですか、その財梃子とは」
「子供達が親から銭を借りて、『南洋<忽>』を買うことを言うのだそうです」
「なるほど」
「小遣いの十倍の銭を借りれば、十倍の利益になる、それを梃子に例えているのだそうです」
金融の世界では梃子とも言う。
「そんなことが流行り始めたのですか、『南洋<忽>』は、大人が富籤ぐらいの気軽さで投資出来るようにするのが目的だったのですが、それでは止めるしかありませんね」孫大夫が言う。彼自身は『うなぎや』の店頭に出ることはなかったので、そんなことが起きているとは知らなかった。
三人は、自分たちのしていることが、褒められたものではない、ということは自覚している。これは形を変えた戦だと思っている、だからやれるのだ。しかし、必要もないのに子供達まで巻き込むのは望ましくない。
「知ってるか、『うなぎや』がナンヨウコツ売るの止めるんだと」
「ああ、聞いた。なんでも、俺たち子供がナンヨウコツを買うのはよくない、っていうんで止めるんだそうだ」
「一月中に持っているナンヨウコツは『うなぎや』に持って行って、銭に替えなければいけないらしい」
「あーあ、あたし、新しい小袖買おうと思っていたのに」
「わたしもよ、鏡台欲しかったなぁ、手鏡で我慢するか」
「お前はどうだ」
「ああ、今銭に替えたら八十文くらいになるかな」
「だったら欲しがっていた『せっちょ』(節用集)と『てーきん』(庭訓往来)が買えるじゃないか」
「ああ、まあ、キリがいいかもしれない」
「ちぇ、大人ばっかりかよ。ナンヨウ買えるの」
「いつだってそうなんだよな。なんか面白いことがあると、すぐに俺たちから取り上げるんだ」
君たちの言い分もわかるが、子供のうちから博打で銭を稼ぐことを覚えてはいけない。




