『うさぎや』
応仁三年(西暦一四六九年)六月半ば、南洋社株は三十六貫から三十八貫で取引されていた。
この頃から細川勝元の発行した守護債と、南洋社株との交換が増えてくる。
南洋社の株券は大和国片田村の印刷所で銅板印刷されていた。それを京都の『うさぎや』こと野洲弾正忠の所に持ち込み、弾正忠が肌身離さずに携帯する、南洋社の社印を押す。印があることで株式として成立する。これをさらに南洋社社員が片田村の取引所に持ち込み、銭や守護債と交換する。
これが間に合わなくなった。
「しばらくの間、片田村に行ってこようと思います」弾正忠が薬師寺元長に打診する。
「うむ。よろしくたのむ」
「はい」
「ところで、守護債の回収はいかほどになった」
「はい、昨日の報告によると、百二十枚程の守護債が手元に回収されております」
「百二十枚か、まだ百分の一ほどであるな」
「はい、記名者の多くは、藍屋殿ですが、ちらほらと他の記名者のものも入って来ております」
「そうであるか。守護債回収高と新株発行高については、毎日報告して欲しい」
「それはもう、承知しております」
片田村に入った野洲弾正忠を、彼の弟の藤吉が迎えた。
「兄さん、待っていました。来てくれて助かります」
「助かる、とはどういうことだ」
「実は色々なところから、新株を守護債と替えたい、と申し込みが来ています」
「なんだ、聞いていないぞ」
「つい、この数日のことです」
「どこから来ているのだ」
「土倉ならば正実坊、光聚院、寺社ですと大乗院、日吉社、石清水八幡。それ以外にも薬師堂、細倉、角倉などの商人達も来ています」
「なんだというのだ」
「取引所を通さなくてもよいので、大量の守護債と交換して欲しいという希望です」
取引所を通さなくてもよい、といっているのは、南洋社の株主会議での議決権はいらない、という意味だ。
「大量の、というのか」
「はい、それも出来れば表沙汰にしたくないそうです」
「そのようなことでは、特定の所とだけ、大口の取引をすると、後々問題になるだけだな」
「はい、それで困っています」
「よし、では誰が来ても、わしは一切面会しない。大和に来ていることも口外するな。それと新株は、毎日わしが様子を見ながら発行する。その株はすべて取引所に持っていき、公開で売り出すのだ。いいな」
「はい、承知しました」藤吉が答えた。
「『うさぎや』の野洲弾正忠が、片田村に入ったというのか」片田が言う。
「はい、片田村にいる大猿と山田八郎衛門が報告してきました。それと村の取引所周辺に普段見ない者が多数逗留しているようです。守護債を売りに来ている者達です。取引所に南洋株が出されるたびに守護債と交換しているそうです」藤林友保が言った。
「機が熟してきた、ということかな」
「そのようです」藤林友保が答える。
「今までで、どれ程守護債を売った」片田が尋ねる。
「百十枚、一万一千貫です」
「引き受けた十五万貫の十五分の一か」
「そうなりますな。で、手にした南洋株は三百四十株です」野村孫大夫が応じた。
「どうなさいますか」藤林友保が片田の方を見る。
「いままでより、少し競りで食い下がってみよう」片田が言う。
「より高値まで指してみる、ということですね」
「そうだ」
「量はどうなさいますか」
「それは、こだわらなくてもいい」
「売りに出た南洋株、すべてを買い取る必要はない、ということですな」
「そうだ。取引所に出た新株の四分の一程度購入すればいいだろう。それ以下でもいい」
「目立たないようにしろ、ということですか」
「そういうことだ。今までは、守護債を新株と交換するのは、ほとんどが藍屋だった。でも、他の買い手が出始めたのだから、もはや無理やり購入する必要はない」




