藍屋与兵衛(あいや よへえ)
応仁二年(西暦一四六八年)八月。
この頃、京都の北部は焼け果て、焦土のなかに堀を巡らせた邸や土倉が要塞のように点在するばかりだった。
主戦場は東山の裾野に移っている。
この八月に西軍は青蓮院、法勝寺を焼いた。二つの寺は清水寺より北側にあり、現在の知恩院の北面から京都市動物園のあたりである。
一方東軍は清水寺の南側、泉涌寺、妙法院を灰にした。
いずれも皇室ゆかりの寺である。バチあたりなことだ。
そんな中、深夜に堀川を小舟が幾艘も上ってくる。周囲を多数の私兵に守られている。
私兵たちの服装などに印はなく、誰の兵か見分けることは出来なかった。
小舟は古ぼけた俵を幾つも載せている。重い品なのだろう、舟が深く沈んでおり、重たげに堀川を進み、支流の小川に入る。
『池沼屋』の土倉は小川沿い、細川勝元邸の近くにある。そこまで遡った小舟が池沼屋の倉に俵を運び入れた。
警護する私兵たちは、小山七郎さんの軍だった。積み荷の俵の中は銭と片田銀、それに砂金である。
すべて銭に換算すると十五万貫になる。
いくら寺院住が売れたから、といって寺院住だけで十五万貫も調達できる程売れるわけがない。
この銭と金銀は楽民銀行の準備から調達された。大橋宗長さんは当然渋い顔をする。
そこで、石英丸が備蓄の壺を砕いて、砂金を取り出した。彼らの砂金準備の三分の一程を取り崩すことになる。秘密を知る子供たちのみで、徹夜で壺を割った。
「当面、この砂金を楽民銀行の準備に当ててください」徹夜明けの赤い目をした石英丸が言う。
突然大量の砂金が出て来たので、大橋さんが驚いた。
「こ、これはどうしたのですか」
「すいません。申し上げられません。ただ確かに『じょん』、片田順の砂金です」
取り出した雑穀煎餅が大量に余る。壺を焼き直すにしても、すぐには出来ない。
子供たちは、飢饉でもないのに、しばらく雑穀煎餅を食べなければならなかった。
「備蓄壺に砂金を隠そう、なんて言うんじゃなかった」雑穀煎餅を前にして不満そうな息子、風丸の顔を見ながら石英丸がぼやく。
「昨夜、銭十五万貫相当分の銭貫、片田銀、砂金、確かに搬入されました」『池沼屋』が正面に座る薬師寺元長に報告する。安堵の表情である。自分の倉に大量の金銭がある、というだけで安心だ。借換が不調に終われば、その金銭はすべて守護債の持ち主に渡さなければならないのだが、いまこの時も細川勝元が土倉や問丸の主人を呼びつけて、借換を迫っている。
すべての借換が不調になることはないだろう。いくばくかの銭が倉に残る。
それに、なによりも藍屋が十五万貫も守護債を引き受けたという評判も大きい。
「そうであるか、よしよし、殿もお喜びになるであろう。藍屋、よくぞ預けてくれた」元長が言う。
『池沼屋』の隣には、藍屋の主人が並んで座っていた。藍屋与兵衛と名乗っていたが、正体は藤林友保である。
「いえ、この乱れた世に銭を預かっていただき、あまつさえ利息……もとい、『期待利益』までいただけるとは、ありがたい話でございます。お礼のしるしとして、『寺院住』百本を持参いたしました。お納め願えれば幸いです」神妙に頭を下げる。
「そうか、そうか、さっそく家人達に使わせてみよう。良い、ということになれば、さらに寺院住が売れるであろう。そちも潤う」
「ぜひ、そのようにしていただければ、と存じます」
「それでな、殿がそちに目通りを許したいと申しておる」
「武蔵守様が直々に、ですか」
将軍が遣明船に充てる費用千貫にも不自由する時代に十五万貫も動かせる藍屋である。細川勝元が会っておきたい、と思ったのであろう。
「それは、恐れ多いことでございます」藍屋与兵衛が、再度深々と頭を下げた。




