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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 外伝
279/617

両替率(りょうがえ りつ)

 応仁元年(西暦一四六七年)八月の末。この年の八月末は西暦では十月の下旬になる。空にはイワシ雲が拡がっていた。


『いと』が片田村の若者二人を従えて、大橋宗長むねながさんの楽民銀行本店を訪ねる。二人の若者は背中に背負子しょいこを背負っている。なにか風呂敷ふろしきにつつんだ四角い物がくくられていた。


「大橋さん、こんにちは。お札持ってきました」『いと』が宗長さんに声をかける。

「いらっしゃい。紙幣の交換ですね。用意してあります」


 二人の若者が、応接の卓に二つの風呂敷包みを置く。宗長さんが拡げて中を改める。片方の包みは赤入道券百文札の札束だった。上に一枚の紙があり、九百貫と書かれていた。

 もう一つは羽衣券で同じく百文札だ。こちらは六百貫と書かれている。


「預かります、確認のため、数えさせますので、しばらくお待ちください」宗長さんがそう言って、隣室にいる銀行員を呼んだ。


『あや』が京都に去ってから、片田村の財布は『いと』が預かっていた。役場や工場にある銀行券を集めてきたのだ。

片田村にも山名氏の赤入道銀行券、大内氏の羽衣はごろも銀行券が流通している。

 流通を許しているのではあるが、細川の鯉券失墜しっついのような事件が起きると楽民銀行券の流通圏が混乱する。そのため、定期的にそれぞれの流通圏と銀行券を交換して、赤入道券や羽衣券の量を減らしている。

 それを行っているのは、それぞれの銀行だ。


 加えて、片田商店と楽民銀行は九月一日より、赤入道券、羽衣券と銭の交換率を変えると公表していた。

 これまで、一.〇〇五だったものを一.〇一〇とする、とのことだった。楽民銀行券は一.〇〇五のままだ。この端数については、手数料のようなものだと、とらえられているようだった。

 京都みやこでの乱に伴い、両銀行が大量の銀行券を発行した。両銀行券が楽民銀行圏に入ってくる量を調整するためだった。


 『いと』は役場や工場の従業員にも、そのことを話し、多くの銀行券を集めて来た。これらは楽民銀行券に交換される。


「なんか、不思議ですよね。両替率って」『いと』が宗長さんに言う。

「そうですか」

「銭一貫を、楽民銀行で赤入道券に替えると一貫と十文がもらえるということですよね」

「はい、そうです」


 売りと買いのレートは、現在とは異なり、同じだった。


「その赤入道券を京都みやこに持っていくと、一貫と五文の赤入道券で銭一貫になって、五文の赤入道券が残りますよね」都の赤入道銀行も、山口の羽衣銀行も、いままで両替率は横並びの、一.〇〇五だった。変更はされていないはずだ。

「そうなりますね」

「その五文の赤入道券はどこから出てきたのでしょう」


「そういうことですか。そうですね。このお金の世界のことは、ほんのちょっとの決め事、たとえば両替率ですね、それを決めるだけで、常識とは違うことがおきてしまいます」宗長が言った。彼が続ける。

「ただ、右から左に持っていっただけで、五文儲かってしまう、というのもそれですね」

「ほんと、不思議です」


「その五文は、赤入道銀行と楽民銀行の、赤入道券に対する価値観かちかんの差から出てくるのですが、わかりますか」

「どういうことでしょう」『いと』が尋ねる。


「極端なたとえ話をすると、わかりやすくなることがあります。さきに堺の片田商店が、鯉券の両替率を一.五にしましたよね。鯉券一貫に加えて、さらに五百文出せば、銭一貫と交換しても良い、と言ったことになります」

「はい、驚きました」

「あれは、鯉券は欲しくない、という意味です。鯉銀行は鯉券を銭と交換することができないので、鯉券はいらない、と片田商店はいっているのです。いらないけれども、どうしても交換して欲しいのなら、五割増しならば交換しても良いということです」

「それは、わかります」

「一方で、鯉銀行は、鯉券一貫は銭一貫と同じだ、と主張します。正確には一.〇〇五貫ですね」

「それは、そう鯉券に書いてありますから、つらぬくしかないでしょう」

「この考え方の差、鯉券に対する価値観の差が、鯉券五百文を生んだのです。げんに鯉銀行は、今でも鯉券一貫を銭一貫と交換し続けています。営業は断続的ですが」

「なんとなく、わかったような気がしてきました」


「両替率は、時々変わっていくものなのでしょうか」

「これまでは、ほぼ一定でした。しかし大量に紙幣を発行したり、そういうことを始めていますから、これからは時々変動することになるでしょうね」


「もしかして、最近物価が上がり始めているのも、それに関係ありますか」


<するどいな>宗長が思う。

「直接ではありませんが、似ています」そういって財布から片田銀を出して見せた。

「この片田銀は二もんめの重さがあります」二匁とは七.五グラムである。

「十年以上前、片田さんは二匁の銀で片田銀を造りました。その当時は片田銀一枚で銭一貫と交換できたそうです」

「そういえば、そんなこと覚えています。干しシイタケの市場が出来たころですね」

「現在片田銀一枚は四百文と交換されています」

「忘れていましたけど、確かにそうですね」

「これはシイタケをミン琉球りゅうきゅうに売ることにより、大量の銀が入ってきたからです。片田さんは気にしていないようですが」

「それは、そうですわ。『じょん』は銀が入ってきても、すぐに運河建設などに使ってしまいますもの。銭は持っているより、市中に流しておいた方がいい、って口癖くちぐせですから」

 自分で銭を抱えるより、公共事業などに投資しておいたほうがいい、という意味だ。


 銀一匁が二百文に下がるのは、史実では戦国時代の中頃以降である。各地の戦国大名が軍資金調達のため、しきりに金、銀山の開発を行い、日本の銀相場が下がった。

 オランダ商人は日本で銀を仕入れて大陸で売り、おおいにもうけたそうだ。


「銀でも、紙幣でも同じことです。希少性が少なくなれば価値が下がり、反対に物価があがるように見えます」



 隣室から銀行員が入ってくる。

「勘定が終わりました。金額、っていました」そう言って、千五百貫分の楽民銀行券を『いと』に渡した。


「また今度、その話くわしく聞かせてください」『いと』はそう言って出て行った。



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― 新着の感想 ―
[一言] もう編集し直して本章に組み込んだらどうでしょうか?(外伝)
[気になる点] >ほんのちょっとのルール この時代の人の発言で「ルール」は避けるべきではないでしょうか。
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