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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 外伝
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野村孫大夫の回想

 寛正かんしょう三年(西暦一四六二年)は、三年続いた飢饉の翌年である。

 昨年の春には麦の収穫があったので、飢饉は一息つくのであるが、京都みやこでは体力を失った者達が疫病えきびょうに襲われる。民の生活が回復するには、まだしばらくの時間が必要であろう。


 一昨年の九月に義政の勘気かんきに触れた畠山義就よしひろは都落ちして嶽山城だけやまじょうこもっている。すでに二年になる。


 昨年夏に、河内運河が開通した。

ひでり対策のため、開通を優先した工事となったので、やり残した工事がたくさんある。全てをやりおえるには今年一杯かかるだろう。

野村孫大夫まごだゆうは、義就宛ての報告書をまとめている。


 運河工事の費用については、当初の約束では、ほぼ全体を義就が出資することになっていた。ただし工事失敗の危険性があり、費用のかさむ可能性が高い仲哀ちゅうあい水道橋については片田が建設費を出す約束となっていた。


 工事が進行している間に、畠山義就が家督かとくを対立する畠山政長まさながに奪われ、河内守護職もはく奪される。

 そのため、仲哀水道橋以降のさかいまでの費用は片田が一時立て替えていた。


 昨年末、片田が嶽山城に呼ばれたときに義就に銭一万貫という条件で、石川から応神天皇陵までを片田が譲り受けることになった。銭の半分は相当する米を渡している

 同時に仲哀水道橋から堺までの片田の立替金も義就に請求しないことにして、運河全体を片田の所有物とすることが決まる。


 本来ならば、昨年末の時点で孫大夫は用済みになるはずだった。それを工事の最後までの費用を確定させたいから、という理由で孫大夫が残されることになる。

 義就と片田の間で、なにかの合意があるのだろう。例えば将来義就が守護に戻った時に買い戻す、などの約束があるのかもしれない。


 工区こうく毎に材料費、工賃などを集計し、積み上げていく。目の疲れを癒すように窓の外を眺める。秋が深まってゆく。

 窓にはガラスというものがめられていて、外光を取り入れながらも、風をさえぎることができる。これも孫大夫には不思議な物だった。


 不思議と言えば、片田順という男も孫大夫には不思議だった。

 工事現場の飯場はんばに侵入してくる政長兵を爆裂火箭ばくれつかせんとかいうもので容赦ようしゃなく叩きのめす一方では、いくさなどしている場合ではない、ともいう。

 何か、いつも遠くを見ているような男だった。

「いつか、外国から大きな災いが来るかもしれない。そのような時に備えるため国内でめていてはいけないのだ」

 そんなことも言っていた。


 他にも、火薬、セメント、硫安りゅうあん、ガラスなど、新しい物を次々と作り出す。

 片田村に忍び込んだ者からの報告を藤林友保ともやすから伝え聞くと、驚くことばかりだ。

 いずれ、この目で片田村を見てみたいものだ。孫大夫が思う。




 今年の春には、工事現場周囲の農家に硫安を配っていた。

飢饉の時には仕事と食を用意して水路を建設する。飢饉が終われば復興のため、肥料を配る。周囲の民は片田に感謝している。

そのおかげで、食料を狙った政長兵が接近すると、彼ら農民達が知らせてくれる。


 金があるから出来るのだ、といってしまえばそれまでだ。しかし将軍や守護、土倉酒屋の有徳人うとくじんなどは金があっても片田のような使い方はしない。


 大急ぎで国を富ませようとしている。そんなふうに孫大夫には見える。

 彼の言う災いに備えようというのか。


 視察しさつにでも行くか、孫大夫が思った。


 工事が設計通りに行われているか確認するのも彼の仕事の一部である。しかし設計通りに行われているに決まっているので、視察は半ば気晴らしである。


石之垣いしのがき大夫だゆうと『ふう』達は職人だ。


そう孫大夫は思っていた。この場合の職人とは、現代の技術者というくらいの意味だ。

 技術者は、放っておけば良い仕事をしようとするものだ。悪い仕事になってしまうのは、たいがいはミスか知識不足であり本人達の意図ではない。技術者は誤りを見つければ、必ず修正しようとする。技術や法則は誤魔化ごまかせないからだ。

 ミス以外に技術者がおかしな仕事をするのは、時間や金などの何かの制約に追い詰められた時だ。

 今の彼らにはそのような制約が無い。だから必ず良い仕事をするだろう。


 馬を出して、仲哀水道橋の方に向かう。秋空が高く、空気は澄んでいる。

左手に仲哀水道橋が山裾やますそうように見え隠れする。

右手側、運河の水が回る低地は一面黄金の稲穂が敷かれている。

稲穂の絨毯じゅうたんは、見渡す限りに、はるかに柏原、八尾のあたりまで広がっていた。


 あと数か月で、天皇陵の現場を去ることになる。この現場では誰でも前を向いて生きているのを感じた。気持ちのいい職場だった。


 去るのが少し名残なごりしい、孫大夫にしては珍しいことだが、そう思った。


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