アンモニア工場
何者かが、火薬製造の秘密を盗もうと、組織的に片田村に潜入していた、石英丸からの報告には、そのように書かれていた。
何者であろうか、片田が考える。一番可能性がありそうなのは、畠山義就だった。彼は火薬を欲しがっている。
仮に義就が動いているとすると、彼との接点といえば、野村孫大夫だ。
彼が探っているのか。
可能性はある。運河建設現場の目付役で、暇そうにしている、と『ふう』達が言っていた。だが、彼であるという確証はない。
孫大夫については、いま詮索しても無駄だろう。しばらくはそのままにしておこう。
それよりも気になることがある。片田は村に向かった。
村に着いた片田は、まず役場に行き、石英丸から辰吉事件と、一斉点検について聞き取りをした。
次いで、片田一人でアンモニア工場に向かう。まだ自警団は組織されていないが、応急の守衛が立っていた。
守衛に名前を名乗り鍛冶丸を呼んでもらう。
「『じょん』、どうしたんだ、あの件か」鍛冶丸が出てきて言う。
「それもあるが、工場の倉庫にある私物を取りに来た」片田が言う。
「じゃあ、倉庫の鍵を渡す。俺は安母の取り出し口のバルブを交換している。帰るときに、事務室に俺がいなかったら、そこに持ってきてくれないか」
片田は、わかった、と答えて鍵を受け取る。
片田が気にしていたのは、触媒篩だった。片田は子供たちに触媒について教えていなかった。
触媒篩についても、不要物がタンクに入らないようにするろ過材だと説明していた。なので、重要なものではない、というつもりで無造作に棚に置いておいた。
触媒篩は、彼が置いた棚にあった。径四寸がニッケル、三寸が白金、五寸が鉄の触媒だった。枚数を数える。
どれも七枚ずつだった。
「おかしいな」
触媒篩を格納する触媒筒は、八枚一組となるように設計してある。なので、予備の触媒篩も八枚ずつ作っておいた。
この倉庫にも侵入している、片田が思った。しかも触媒の事を知っている。この時代に触媒の原理を理解している者がいるとは思えないが、触媒により気体が変化するということに気付いているようだ。
そうでなければ、触媒篩だけを盗むわけがない。備品の棚卸で紛失した物がなかった、ということは、闇雲に窃盗に入ったのではなく、この篩のみを狙ったのだろう。
メタンを作るために、水蒸気からニッケル触媒を使用して水素を生成する反応、硝酸を得るために、アンモニアを一酸化窒素にする白金触媒。
いずれも触媒があればいい、というものではない。反応させるためには、温度、圧力、接触時間などの条件を整えなければならない。
触媒というものを知り、装置を組み立てたところで、いきあたりばったりでは極めて効率が悪い。しかも、実験計画法など知らない時代だ。おそらく実用にはならないだろう。火薬の大量生産など、出来るわけがない。
この工場を自らの手で建設した片田は、自信を持ってそう言える。
しかし、火薬は無理だとしても、他にも盗まれて欲しくないものはたくさんある。石英丸が自警団を作りたいと言っていたな、あれは許可しよう。
水車に巻き込まれた辰吉は硝酸工場に勤めていた。事件後失踪した室生の庄八は硝カリ工場だ。しかし触媒篩が盗まれているということは、二人以外にも、まだ、このアンモニア工場にも潜入者がいるのかもしれない。
石英丸は、二人と同時期に勤務を開始した者達を、別工場に移動させると言っていた。それで排除できればいいのだが。
なにか方法があるか、と考えるがすぐには良い術を思いつかない。
倉庫から出て、鍵をかける。事務所には鍛冶丸の姿がない。片田はアンモニア取り出し用のバルブのある方に向かった。
「用は済んだ。鍵を返す」片田が鍛冶丸に声をかける。鍛冶丸はもう一人の男とバルブの付け替え作業をしていた。
「あ、『じょん』、もう済んだのか。遠回りさせてしまってすまない」そう言って鍛冶丸が鍵を受け取る。
「この人、鳶丸というんだ」鍛冶丸が一緒に作業している小柄な男を片田に紹介する」
「私が片田です」短く自己紹介する。
この男が片田銀の片田か、想っていたより若いな、小猿がそう思う。
「鳶丸といいます、鍛冶丸さんにはよくしてもらっています」
「鳶丸さんが仕事を覚えるのが上手だからだ。いまでは安母工場のほとんどの仕事をまかせられる」
片田村は急拡大しているので、人手がいくらあっても足りない。優秀な人材であれば大歓迎だった。
「これからも、鍛冶丸の事をよろしくお願いします」鳶丸の方が鍛冶丸より年長のように見えたので、片田はそう言って二人と別れた。




