田舎市
「星田の伊勢屋五郎さん、今日はどうだったい。二百文、稼ぐねぇ」
「で、今日はどうするんだい。五十文だけ、持ち帰る。そうかい、じゃあ、一割で、こっちで手間代として十五文いただいて、残り百三十五文の預かりだね。いいかい」
五郎と呼ばれた百姓がうなずいた。
「ほしだの、いせやの、ごろう。 ひゃくさんじゅうごもん、と」
男は、帳面を出してきて、五郎のところに数字を書き加えた。
「すごいねえ。もう一貫ばかりになるじゃないか。唐傘と草鞋でこんなに儲かるもんかい。おれもこの仕事やめて、そっちやろうかな」
男と五郎が笑う。
「次は誰だい。なに、身分証をなくしたって。しかたねぇなあ。深野の油屋の次郎だって、そんなこといわれたって、本人かどうか、こっちじゃわからねぇ。もしお前さんが騙りだったら、ほんとうの次郎にもうしわけねぇことになっちまうだろう」
「すまねぇがな、一度村に帰って、村の乙名五人の連判をもらってきてくれ、最初に身分証を作った時と同じだ。そうしたら、身分証をもう一度出す。あと、これをやる。」
男は、紛失と一三七と書かれた紙を渡した。
「帳面のお前のところに、一度紛失して、一三七番を持っている、と書いておく。次からは金を引き出すときには、この紛失券も身分証と一緒に出せ。無くしたお前の身分証を持ってくるやつがいるかもしれないから、念のためだ。はい、次」
「繁盛しておるようじゃな」
「は」
男は、つぎの客を見た。
「あ、伊予守さま。これは失礼いたしました。こちらにいらっしゃるとは存じませんで」
伊予守と呼ばれたのは、十五歳くらいの若者であった。畠山義夏(後の義就)である。
「今朝、京からこちらに参った。市の様子を見たかったのじゃ」
三年の間に寺の小僧は立派な伊予守になっていた。
「そうですかぃ。いや、流行ってますよ。田舎市。座におさめるよりも高く売れますし、買う方も座から買うより安く買えますからね」
この市は、田舎市と呼ばれている。義夏が発案して持国の許可を得て始めた。手始めに、京に近い四條と堺に近い長曽根というところに市を開いた。ここでは近隣の村の者が自由に物を売り買いすることが出来る。座を排している、ということになる。地元の者同士の取引の場だ、ということにして、座の方は押さえている。
それでも、堺あたりから、海産物を持ち込んでいるものもいて、時々小競り合いになることがある。そのため、畠山の者を置いて暴力沙汰にならないようにしている。
田舎市に田舎土倉を置こうと発案したのは持国であった。座の者たちが、いやがらせで、田舎市から金を持って帰る百姓を狙って銭を奪う事件が発生したからだった。一割の手数料を取ることで、市の経営を独立させることができた。
河内国というのは、おもしろい国であると思う。海に近い国であるが、海に接していない。摂津国との間に淀川があるが、淀川の河口は摂津国である。また、西の方で、海に向かって張り出しているが、堺に海を押さえられている。堺の町自体は、南半分が和泉国、北半分が摂津国に属している。堺は、摂津と河内と和泉の三国に接しているため、その立場は非常に緊張したものにならざるを得ない。
経済的にも、おもしろい。調べた限りでは、座が一つしかない。南部に鋳物師座がひとつあるばかりである。山城、大和には数えきれない程の座がある。二国の経済圏の内部ということかもしれない。しかし、北の摂津には十を超す座があり、南の和泉でも四つほどの座が数えられる。
また、市についても、中世を通じて市らしい市を見つけることが出来なかった。なにか河内国固有の理由があるのだと思うが、わからなかった。
そんな国に、義夏は田舎市を立ててみた。
「百姓たちも喜んでいると思いますよ。一貫以上貯めているものも出てきています。最近不作の年が多いですからね、銭があればしのぎやすいでしょう」
「それは良いことだ」
「座から外れた不思議な商品もでてくることがあります。このようなものは取引が自由です」
「ほう、たとえば」
「干しシイタケとか、硫安とかですね。シイタケ座というのはありませんから、自由に取引できます」
「そんなにシイタケが出回るのか」
「はい、なんでも大和の南の方に、年中シイタケが採れる村があるそうです。それを仕入れて売ると結構な儲けになるといわれています。出来るもんなら私がやりたいくらいです」
この男は、新興商人の集団から雇っている。
「硫安とはなんだ」
「これがよくわかりません。半分透き通った砂のようなものなんですが、春に、田にすこし撒くと稲がよく育つといわれています。畑にやってもいいそうです」
「不思議なものだな」
「魔法、っていうんですかね。吉野の行者かなにかの魔法の術かもしれません。よくわからないものです」
「あと、商人の私から見ると意外なのは、思ったより座の扱う商品が多く入ってきますね」
「どんなものだ」
「油とか、塩、干魚、干貝、海藻、そういったものですかね」
田舎市に入るには、地元の民であることを示す身分証が必要なため、外部の、例えば座の人間とかは、入ってくることが出来ない。
「そうか、勇敢なものだな」義夏が笑った。
これらの商品は、義夏が流しているものだった。彼は堺に畠山の商館を建てている。そこで座を通さず仕入れた商品を、堺の近くの田舎市に流しているのだった。
命知らずの者たちが、堺の田舎市から、こちらの市に持ち込んで商売をしているのであろう。




