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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 外伝
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印章(いんしょう)

 片田は印章いんしょうというものを思い出す。印章とは、様々な書類に印影いんえいを押し記す道具で、その書類に書かれていることが、印章所有者本人の意思であることを示すためのものである。


 例えば、銀行から預金を引き出すときには、昔は引き出し用の伝票に口座番号、金額などとともに、あらかじめ銀行に登録した印を押していた。今でもこの業務は残っているであろうが、この方法で出金する人はほとんどいない。

 現在では暗証番号が登録印の代わりになっていて、本人しか知らない暗証番号を入れることで、その出金行為が本人の意思であることを確認している。


 日本において印章が用いられたのは、大化たいか改新かいしん後だと言われているそうだ。しかし、朝廷の没落とともに印章も忘れられていき、片田がいる時代には花押かおうを用いるようになっていたという。

 室町時代に、主に禅僧が、書画の作者であることや、所有を表す目的で印章を用いだした。それが次第に普及し、戦国時代には大名などの書状に用いられるようになった。織田信長の『天下布武』の印が有名である。


 片田商店や楽民銀行に口座を持つものに印章を持たせよう。これにより、預金、融資、為替かわせなどの本人の意思確認が出来るではないか。


 片田が子供の頃、木製の認印みとめいんを父親が購入し、その印面の一部に小刀で切り込みを作った。

「これで、お前だけの印鑑になった」そう言う父が、諏訪の郵便局に片田を連れて行き、郵便貯金通帳を作ってくれたことを思い出す。

 あの通帳、どこにいっただろう。まだ諏訪の実家にあるだろうか。




「いま、シイタケを落札してきたんだが、思ったより高値になったので現金が必要になった。この為替を銭に替えられるか」堺の商人が大橋宗長むねなが楽民らくみん銀行窓口にやってきて言った。

 入出金などは雇人やといにんに任せていたが、為替など新しい業務は宗長本人が、まずは担当することにしていた。


 宗長がその為替手形を受け取る。受取人は堺の津田与四郎よしろうとある。堺の片田商店が引受人、金額は二十貫だった。

 堺の片田商店の印章が引受人欄に押されている。見慣れた印だった。

「津田与四郎さんは、あなたですか」

「そうだ」


 宗長は、為替の裏面を見る。裏書はなかった。津田与四郎から、別の人間に譲渡された手形ではない。従って持参した津田与四郎の本人確認が出来た時、引受人である片田商店は、与四郎に銭二十貫を渡す義務がある。


「片田商店か、楽民銀行に口座がありますか」

「あるとも、これが届け印だ」そういって与四郎が首からぶら下げた巾着きんちゃくから印鑑を取り出す。


「こちらの書類に署名と押印をお願いします」

 与四郎が押した印影を、片田商店、楽民銀行に常備している印影帳と比較する。一致した。与四郎の本人確認が出来た。

 預金口座とは別に商業口座を作る場合、口座開設時に各地の片田商店に配るため、届け印の印影を十枚程作り、随時配布することにしている。


「印影確認が出来ました。銭貫でお支払いしましょうか」

「銭貫は二貫でいい、あとの十八貫は楽民銀行の預かり証を作ってほしい。それでもシイタケ市場は受け取ると言っていた」


「わかりました、では銭二貫と十八貫の預かり証を発行します」

 宗長が為替手形に、津田与四郎に支払い済みと記入押印し、傍らに与四郎が受取を認める印を押した。


 為替手形業務が始まっていた。他にも両替業務も行っている。


 与四郎の場合は片田商店が引受人になっていたので、引受金を支払っただけだが、他の土倉が引受人である手形を受け取ることもある。

例えば、昨日は京都みやこの薬師堂御倉みくらが引受人の手形を持ち込む者がいた。薬師堂は禁裏きんり御倉という、皇室の財宝金銀米穀を一手に預かり運用を行っている土倉だった。

この男も片田商店に口座を持っていたので、裏書をすることにより、片田商店

 が受取人となり、銭を渡した。




 為替以外に片田商店、楽民銀行に口座を持つ同士での口座振替業務も始めていた。

 口座振替は、商取引の決済としては為替より便利であったが、あまりにも簡単に行えるので、当初は片田村のみで行うこととして、振替時に振込人と受取人の立ち合いの元で試行した。


「では、振込人である辻宗秀むねひでさんの楽民銀行口座から、受取人である沢村平左衛門へいざえもんの楽民銀行口座に銭百七十三貫を振り込みます。よろしいでしょうか」

「おねがいします」宗秀と平左衛門の二人が並んで言った。

「では、お二人の通帳をお預かりします。平左衛門さんの口座は百七十三貫増えますので、残高は三百八十五貫九百二十三文となります。よろしいでしょうか」

「はい」

「宗秀さんの口座からは百七十三貫減りますので、これを引きますと五百六十九貫と三百一文が残高となります」

「はい」

「お前、そんなに持っていたのか。もっとふっかけてやればよかった」平左衛門が言う。

「なんだと」

 大橋宗長が両者の通帳に振替額、残高などを記入して押印し、銀行側台帳にも同一の記載をした上で両者に通帳を渡した。

 口座振替手数料は、三十文の振込人払いであった。


 翌日からは立会人の間に衝立ついたてが置かれ、残高は当人に見せるだけになった。




 口座間の振替は、十七世紀初頭のアムステルダム銀行で本格的に始まったといわれている。この時には手数料を課していなかったそうだ。

 同行の役割は預金、口座振替、両替、貴金属買取などであり、アムステルダムが当時の国際金融センターとなるのに大きく貢献した。


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