蒸気機関車
片田村は、北西から南東に向けて、粟原川沿いに二キロメートル程の長さがある。大橋宗長は、その道に循環幌馬車の路線を設けた。
料金は一文だ。
足腰の弱い者向けに路線を設けたつもりだったが、朝夕の工場への通勤時には勤労者も利用した。特に雨や風の時には利用が多いので馬車の数を予定より大幅に増やした。
馬車は二頭立てで、貨客混載だった。
通勤時には人が乗り、それ以外の時間は工場間などの荷物を運んでいる。
停留所などはないが、自然と乗降場所が決まる。てんでに乗り降りしていると、前に進まないからだ。
その馬車で、宗長が村を登っている。幌馬車の路線を登りきったところは馬の放牧場だった。最近は牛も少し放たれている。
後に小山七郎さんの練兵場になるあたりだ。
ここに蒸気機関車の実験線が引かれていた。長さ百メートル程の線路である。宗長は試験走行を見学しに来たのだった。彼以外の村人達も多くが見学に来ていた。
このところ、石英丸、鍛冶丸は蒸気機関の小型化を進めていた。ようやく台車に乗る程度まで小さくすることが出来るようになっていた。
彼らは機関の小型化のために、復水器をとりはずして、蒸気は一度使用したら大気に放出することにした。また、シリンダーを小型化し、二気筒とした。
最も難しかったのは高圧化だった。蒸気室を高圧にすることにより危険性が増す。そのために二重三重の安全弁を工夫しなければならなかった。
「ボイラー圧よし、シリンダー圧よし」鍛冶丸が言う。
「蒸気溜温度計も大丈夫だ」これは、石英丸。温度計と言っても、摂氏を採用しているわけではない。片田も基準を持っていない。二種類の金属を張り合わせたバイメタル温度計である。
計器盤には幾つかの目印があるだけだった。
「水面計も大丈夫。全部大丈夫だ。」鍛冶丸が石英丸の方を向く。
「やるか」
「うん」そういって石英丸が制動弁桿を戻し、加減弁桿を前に押す。
鉄が軋む音がして、蒸気機関車が前進し始める。貨車も炭水車も連結していない。
「動いたぞ、」鍛冶丸が興奮して言う。
見物する村人から歓声があがる。
人が軽く走るほどの速度になったところで、加減弁桿を戻す。機関車が惰性で走る。実験線を半分まで行ったところで、制動弁を効かせて停止する。
「逆転機を試す」石英丸が言う。
「おう。圧力、水面計は大丈夫」鍛冶丸が答えた。
石英丸の左前にある逆転機桿を左回りに何回か回す。
「後進する」石英丸が言い、加減弁を開く。後退を始めたところで、弁をすこし戻す。
機関車が、人が歩くほどの速度でゆっくり後退していく。
実験線の端には三台の貨車が連結されて停止している。三台とも石炭をいっぱいに積んでいる。機関車がそこまで後退して、大きな音を立てて、停止する。連結された。
「牽引を始める」逆転機を右回りに回した石英丸が言った。加減弁を押す。
機関車が前進しようとするが、金属音がして、貨車に引き留められる。
石英丸が加減弁をまた開く、さらに二回連結器が鳴るが、機関車は前進しない。
停止するところまで加減弁桿を一杯に開く。
運転手が調整可能な可変安全弁から蒸気が漏れる音がする。石英丸が安全弁を調整して閉める。蒸気室の気圧がさらに上がる。
もう一つの安全弁は固定されていて、運転手は操作できない。さらに圧力が上がったら、運転手の意思にかかわらず開放される。
機関車に引きずられた貨車が動き始めた。
「あんなに一杯に積んだ貨車が動いたぞ」見物人がどよめく。
興奮した村人が機関車に駆け寄ってくる。
操縦室右手に立っていた鍛冶丸がそれを見て、汽笛弁を開く。
当時の人が聞いたこともない、悲鳴のような汽笛が耳を突く。
機関車の近くまで来ていた数名が、腰を抜かして尻もちをつく。
<すごいもんだな>大橋宗長が思う。<これが実用化されたら、循環馬車はお払い箱になるかもしれない>
石英丸達の計画では、循環馬車と並行して粟原川の対岸に鉄道線路を敷くことにしていた。路線はほぼ同様だ。
その先は。
外山から矢木、高田、當麻寺と西進し、そこから北に向かい香芝、志都美を経由して王寺に至る。
この路線だと、沿線を南北に流れる複数の川を横断する形になり、水運を補完することになるので便利である。
さらに王寺から外山までを風に頼らずに遡れるので大幅な時間短縮にもなる。
JRの和歌山線、桜井線のルートに一致する。
ただし、河内とは異なり、大和は分権的であった。なので各荘園地権者の同意が必要であり、路線が完成するのは、いつのことになるか見当もつかない。
もし、実施の運びとなった場合には、楽民銀行の有望な投資先になる。宗長は、そう思った。




