触媒筒(しょくばいとう)
小猿が片田村に来て、一年が過ぎた。藤林友保はまだ安母(アンモニア)を作れないでいた。従って、小猿の片田村での仕事も終わらない。
当初石炭担ぎからはじまった小猿の仕事は、しだいに工場機械の操作、修理保守と変化した。小猿がそれだけ工場の仕事を熱心に覚えたからだ。
この工場は複雑だったが、基本的な仕組みは単純だった。
・石炭と水蒸気から、沼気(メタン)を作る
・沼気と水蒸気から、臭いの少ない気を作る(水素のことだ)
・臭いの少ない気と空気から、安母(アンモニア)を作る
・安母を盆兵衛の中に送り、常温にして液にする。
これが基本的な流れだ。工場が複雑になっているのは、各工程で反応しきれずに余った気体を前工程に戻したり、不要な気体を排除する工程が必要になるからだ。
小猿には原理は解らなかったが、工場が動く仕組みを覚えることはできた。上で箇条書きしている工程は、以前の小猿の報告よりも正確になっている。
藤林友保の所でも、小猿の報告に従って、同様な装置を組み上げて試している。それなのに安母が出来ない。
この工場には、まだ何か秘密があるのだ。
「鳶丸、今日の午前中は水素タンク手前の配管を交換してもらう。あの管は製造時のままなので、そろそろ傷んでいるはずだ」鍛冶丸が小猿に言う。
鳶丸というのは、片田村での小猿の変名だった。
野村孫大夫が実名で運河建設現場の目付役をやっているのに、小猿が片田村で変名を使っているのは何故か。
孫大夫は、めったなことでは手を下さない。彼の仕事は情報収集と判断・指示だけだ。表に出ることはない。
それに対して、小猿は必要とあらば、現地で手を出すこともある。それで変名を使わなければならなかった。
上忍・下忍という言い方もする。
鍛冶丸と鳶丸が工場の水素タンクの脇に登った。沼気タンクと水素タンクの間には二本の管がある。どちらも同じもので、保守などの時のために、片方を閉めても他方で操業が出来るようになっている。
鍛冶丸が手前の管の、沼気側の弁を閉じる。鳶丸が水素側の弁を閉じた。鍛冶丸は鳶丸が閉じた弁を自ら手にかけて閉じていることを確認する。
「いいだろう。では後を頼む」そう言って鍛冶丸が床に降りていった。
二つのタンクを繋ぐ管は径一寸(三センチメートル)程だったが、中央部に径四寸の部分があった。
以前から、これは何なんだろう、と小猿が不思議に思っていた部分だった。
水素タンクに繋がる細い管を止めている螺子を緩めると、管の中に残っていた気が漏れ出す音がして、わずかに沼気の臭いがした。
交換しなければならない細い管を外す。
管が繋がっていた所に空いている穴から、中を覗き込む。なにか、網目のようなものが見えた。ゴミを止める道具かな、そう思った。でも、こんなところにゴミが流れてくるだろうか。
なんだろう。しばし、考え込んだ。
意を決した小猿は、太い部分の反対側、沼気タンクと繋がっている細い管の螺子を緩めてみる。
音はしない。管の圧力は大気圧と同一だからだ。
沼気側の細い管を外して、その端に鼻を近づける。強い沼気の臭いがした。
つまり、沼気が、この網を通り抜けると、臭いがなくなるということだ。
これだ。これが秘密だったんだ。
小猿が、太い管と細い管を繋げている部分を外す。大きな筒の中に、網を張った篩のようなものが入っていた。
出してみると、金属の丸い輪の内部に金属の網が張ってある。八枚の篩が入っていた。
小猿が網に触ってみる。
「鉄、だろうか。なんだろう」
もう一度、篩を見る。どこかで見たことがあるな。どこだろう。
工場の一角に管理棟がある。管理棟の中に重要な部品や装置を保管している倉庫があった。倉庫の鍵は鍛冶丸が持っている。
その倉庫に一度だけ鍛冶丸と一緒に入ったことがある。
そこの棚で見たことを思い出す。
確か、径の異なる三種類の篩があった。その時はただの篩だと思っていたが、そうではないようだ。




