銀行券(ぎんこうけん)
昨年、雲雀が空高く鳴く頃に、野村孫大夫は運河の建設事務所に来た。運河工事の目付役として、畠山義就から派遣されたのだった。
それから、半年以上の時が過ぎ、長禄二年(西暦一四五八年)の一月になった。目付役なので実作業はない。事務所に姿を現さないことも多い。一月程出所しないこともあった。
孫大夫がいなくとも運河工事に支障はないので、事務所の者達は孫大夫のことを気にせずに、日々作業をしていた。
目付役などは、臨時の仕事であろうから、他に仕事を持って兼業しているのであろう、彼らは思っていた。
昨年中に誉田水道橋の仕事は仕上げを除いて終わっていた。応神天皇陵に大乗川から水が引き入れられる。
今年の仕事は、天皇陵の濠を囲む堤を八尺高くすることだった。これにより陵の濠の水位が、岡の郷の尾根より高くなる。
さらに、濠に水を貯えられれば、それより下流の水流が安定する。
『ふう』が出産のため、外山の村に帰る。それと入れ違いのように片田が片田村から堺に行く途中に、建設事務所を訪れた。
「それで、盆栽の価格が暴落しました」片田が孫大夫に話す。世間話である。
「そのようなことが、おきましたか。勢いとは、恐ろしい物ですな」孫大夫が感心する。
野村孫大夫は、後の応仁の乱で、藤林友保と共に片田に協力する忍者であった。この時はまだ、彼が忍者であることを、片田は知らない。
孫大夫は忍者の中でも上級の忍者であった。一国一城を誑かすような工作を得意としている。
義就は、彼を工事の監督という名目で派遣していたが、真意は片田村の物産、硫安、セメント、黒色火薬の調査にあった。
「その丑松という男の鑑定書売却、それもたった三枚の売却から、総崩れになったのですね」孫大夫がつぶやく。
梃子を使って、小さな力で大きな仕事をするようなことは、上忍である彼の関心事であり、得意なことでもあった。
「最近銭の代わりに流通している紙幣でも、同様の事が起きるのでしょうか」孫大夫が尋ねる。
「紙幣には、例えば百文の楽民銀行券であれば、その紙幣を持参した者に、この紙幣と銭百文をいつでも交換する、と書いてありますので、価格がすぐに暴落することはないでしょう」
「暴落しませんか」
「たぶん、わかりませんが。しかし、交換希望者が殺到して、銀行に銭の在庫がなくなれば、銀行を一時閉めるしかなくなるでしょうね」
現在の日本の銀行券、日本銀行券には、金や銭と交換する、とは書いていない。ただ『日本銀行券』と書いてあるだけだ。そう書いてあれば、あとは分かるであろう、といいたげな様子だ。
しかし、世界中の多くの民族が集まって出来た国、アメリカ合衆国では、そうはいかない。国民の出身背景も、教育レベルも、言語も、宗教も、多様である。そこで合衆国のドル紙幣には、わざわざ、このような文章が書かれている。
THIS NOTE IS LEGAL TENDER FOR ALL DEBTS, PUBLIC AND PRIVATE
この券は、すべての負債に対する正式の支払い手段である。公私は問わない。
表現は異なるが、元王朝の紙幣、交鈔も初期には金銀と、増刷した後には塩との交換を保証していた。元は合わせて塩を国家の専売にしてしまっている。なので、交鈔を持っていなければ塩が手に入らないということになっている。うまいことを考えたものだ。金銀とは異なり、塩ならばいくらでも生産できる。
同様に、片田の時代の楽民銀行券も、山口の羽衣券も、持参者に額面と同額の銭を交換する、書いてある。このように書いておかないと誰も紙幣を信用しない。
「あと、長い目で見たときに、銀行が準備している信用を超えて紙幣を発行した場合には、紙幣の価値が下がるといわれています。楠葉西忍さんが、明の紙幣がそのようになっている、と言っていました」
「それは、長い期間がかかるのですね」
「おそらく」
しかし、紙幣というものが、これほど流通するようになったいま、本当に長い時間がかかるであろうか、孫大夫は思った。片田が言う明の宝鈔は、明という大国が発行している紙幣だ。信用を失うまでには、なるほど時間がかかるであろう。
しかし、楽民銀行券にしても、羽衣券、鯉券、赤入道券にしても、いずれも一商人が発行している紙幣だ。
大名は、戦が始まれば、大量の銭が必要になる。そうなれば、商人に圧力をかけて、大量の紙幣を発行させるだろう。そうなったときには。
これは、面白い。考えてみる価値がある事だ。孫大夫は思った。




