丑松崩(うしまつ くずれ)
「応接の盆栽を処分しましょう」片田が言った。
「え、売っておしまいになるのですか」大橋が尋ねる。
「はい、盆栽バブルも、そろそろ終わりでしょう」
「なんですか、その盆栽ばぶる、とは」
「いえ、なんでもありません」
「でも、持っていれば、さらに値上がりするでしょうに」
「盆栽は、いい趣味だとは思いますが、盆栽鉢一つに数十貫の価値があると思いますか」
「さあ、でも価値があるから、先を争って皆買い求めるのではないでしょうか」
「実用性としては、食事一回分の燃料になるくらいでしょう」
『身も蓋もないおっしゃりかたですね』
「あとは、芸術性です」
「その芸術性に価値があるのではないでしょうか」
「芸術性とは、形がなく、不変でもありません。明日には、不要なものとして捨てられるかもしれません」
「そうなのでしょうか。美しい物は、誰が見ても美しいと思いますが」
「それはそうなのですが、流行というものもあります。盆栽に芸術性があるにしても、いまの価格は高額すぎます。応接の二鉢は取引所の鑑定士に鑑定させて、売却します」
「は……い」
「どうしましたか。もしかして、盆栽に投資しているのですか」
「はぁ。実は先日、奮発して、『下』の鑑定書を一枚買いました」
「そうなのですか。売っておいた方がいいと思います。無理にとはいいませんが」
片田は、応接間にあった二鉢の盆栽を鑑定に出し、それぞれ、五百文と六百五十文の参考価格を得た。その場で取引所に出して、実物と鑑定書を合わせて販売してしまう。
二つ合わせて、六貫六百五十文で売れた。実物付きだったので、相場より少し高く売れたようだった。
その場には、丑松もいた。昨日に続いて『上』二枚の鑑定書を売りに出し、九枚の『中』を手に入れる。それをさらに六十三枚の『下』と交換し、全てを銭、銀貨、米の預かり証に替えてしまった。昨日手に入れた『中』『下』の残りも売り、あわせて二百貫近くになっただろう。
最近売り物が少なかっただけに、多くの者が群がるように丑松の鑑定書を買っていった。
しかし、それがピークだった。
その夜、総本家と元祖の『しろむすび』屋に集まった投機家達の間で、なぜ丑松が立て続けに三枚もの『上』鑑定書を売りに出したのか、話題になった。
「母親の薬の為に換金した、と言っていたぞ」
「人参に二百貫も必要か。初日に換金した『上』一枚で十分だろう。それなのに翌日さらに二枚売った」
「まるで、鑑定書から足を洗うんだ、てな売り方だったな。全部銭に替えていった」
「確かに、見ていてハラハラするような売り方だったな。値段交渉もしないで、買い方の言い値で全部売り払った」
「見ていて、気持ちのいいような、悪いような売り方だったよな」
「……」
「鑑定書、銭に替えられるんだよな」
「ああ、丑松が替えていったろ」
「でも、もしみんなが一斉に売りに出したらどうなるだろう」
その夜は、店での鑑定書の取引は行われなかった。
翌朝、取引所が開く。
冒頭に数枚の試し売りが出た。銭との交換を要求していた。それが、昼近くになっても売れない。
そこからは総崩れとなった。誰もが鑑定書を売りに出した。いずれも銭や銀貨などとの交換を希望していた。
その希望価格が、あっという間に安くなっていく。
昨日八十貫を超えていた『上』の鑑定書が、十貫を切る値で売りに出されている。『中』や『下』は一貫未満だった。
誰もが頭を抱えた。
不穏な空気を感じ取った盆栽鑑定士と、その弟子が行方をくらます。
彼らの参考価格は、決して八十貫などという高価な参考価格を提示してはいなかった。彼らなりに適正であろうという参考価格を出していた。
鑑定書に書いた参考価格は、『上』でも二十貫止まりだった。
しかし、相場が上がるにつれ、それに引きずられて、最近はやや高めの参考価格を出していた。
責任を追及されたのでは、たまったものではない。
この盆栽バブル崩壊は、後に『丑松崩』と呼ばれることになった。丑松にしてみれば不本意な名前である。彼は家族と共に朝倉を去り、奈良の方に引っ越していったという。
母親の病は完治したとのことだった。




