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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 外伝
232/631

鑑定書(かんていしょ)

 長禄ちょうろく元年(西暦一四五七年)は、史実ではひでりと疫病の年となっている。京都みやこのある山城やましろ国については『山科家礼記やましなけらいき』が、大和国については尋尊じんそんさんの記録した『大乗院寺社雑事記だいじょういんじしゃぞうじき』が根拠になっている。

 そのために、九月に康正こうせいから長禄ちょうろくに年号が改められた。


 しかし、この物語では少なくとも大和国の南東部は、ひでりの害を片田の揚水機ようすいきと倉橋溜池で防ぐことが出来ている。豊作だった。


 師走になり、農民達は銭で年貢を納める。彼らは、この年までには、前年の蓄えで納税できるまでになっていた。すなわち収穫した米を秋に換金しなくともよい、ということだ。

 銭で年貢を納めるため、秋には米を銭に替える農家が多く、米価が下がる。


 そこで、年貢は貯蓄した銭で支払い、米は、来年の春から初夏の、米価が上がる時期まで蓄えておき高値で売る、そのようなことが出来るようになっていた。

 春まで米を持っていれば、二割から、うまくいくと五割増しの値段で売れる。


 すると、こんどは備蓄してある米を担保にして、米以上に値上がりしそうなものに投資する者があらわれてくる。




『総本家しろむすび』屋で、朝倉あさくら丑松うしまつという男が、猪口ちょこに入れた焼酎しょうちゅうめながら、卓の上の幾つもの書類を眺めている。

 焼酎のさかなは『ヌキ』と『かまぼこ』であった。


 ここで言う『ヌキ』とは蕎麦猪口に入れられた『もり蕎麦そば』の『めんつゆ』の事である。『かけつゆ』に天ぷらを入れたものではない。


『かまぼこ』とは、魚のすり身を燻製くんせいにしたものであった。


 いずれも、座の規制を迂回うかいした商品であった。

『めんつゆ』に使われる醤油しょうゆは、今年の秋あたりからさかいで売られるようになってきたものだが、塩座の規制を迂回できる。焼酎は酒麹さけこうじ座、『かまぼこ』は魚座の規制の対象外である。

 最近はこのような商品が増えてきた。



 丑松が眺めている書類は、盆栽ぼんさい鑑定書かんていしょであった。八、九枚もある。


<これが、来年の春には二倍、三倍になる>そう思うと焼酎がうまい。彼も今年収穫した米を売り、盆栽の鑑定書を手に入れていた。

 

 実物の盆栽は見ていない。鑑定書に盆栽の詳細と所有者が書いてあるからだ。

 鑑定書を持参すれば、いつでも所有者が実物を引き渡すことになっている。


 向こうの卓の周りに数人の男が集まり、盆栽鑑定書の取引を始める。五貫だ、七貫だという景気のよい声がしている。

 米の預かり証と鑑定書が行き交う。

 丑松が『ぬき』を口に含む。


 二年程前の康正こうしょう元年(西暦一四五五年)頃には、盆栽の価格は安かった。

平均で、『下』で百から二百文、『中』で一貫、『上』でも十貫あたりであった。上物でも現代の価格で七十五万円程度ということだ。

丑松は、その頃から『中』の鑑定書を集め始めた。十数枚程も貯めた頃には、それが一枚四貫にまで値上がりしていた。その内の三枚を処分して『上』を一枚買った。


この頃には、『上』の鑑定書を銭で買う者は少なくなっていた。鑑定書で鑑定書を買うということが当たり前だった。


鑑定書には、参考価格が記されている。しかし、二年後の現在、長禄元年(一四五七年)の年末には『中』で鑑定価格の五倍の五貫、『上』であっても二倍の二十貫という価格で取引されていた。皆、今買えば翌月には何割増しになるという思惑で買っていた。

参考価格(額面といってもいい)に関わらず、価格が上下するのは、現代の株券と同様であった。


「丑松よ、ずいぶんといい景色じゃねぇか。全部鑑定書か」男が一人寄って来て言う。

「ああ、平八へいはちか。まあな」

「どれどれ、『中』が八枚に。『上』が一枚か。ずいぶんと奮発ふんぱつしたもんだな」

「今年収穫した米はすべて盆栽につぎ込んだ」

「そりゃあ、思い切ったもんだ」

「まあな、これがうまくいけば、来年らいねんには市場の株を買って、店が出せるだろう。そうすれば、石鹸せっけんでも蝋燭ろうそくでも、何でもいいが商売を始められる」

有徳人うとくじん丑松の出来上がりってわけかい」


 丑松が笑う。


「しかし、市の株もあがっているっていうぜ。先日の取引では七十二貫だったそうだ」

「なに、七十二になったのか」丑松が言う。

「ああ、そうらしい。来年まで待ったら、百を超えるかもしれないぞ」

「そうかぁ」


 丑松が酔った頭で予想してみる。暗算は出来ない。

「たぶん、それはまずいぞ」丑松が言う。

「そうだろうな」

「市の株ではなく、別のことを考えなければいけなくなる」


「こうしたらどうだ」平八が持ちかける。

「なんだ」

「お前の持っている『中』の鑑定書を『上』の鑑定書と替えたらどうだ」

「ああ、確かに値上がりの仕方は『上』の方が速い。『上』を持っていれば、来年には市の株が買えることはわかっている」

「そうだろう」

「しかし、『上』の鑑定書は、なかなか出てこない」


「さっき、そこで取引していたぜ、『上』を二枚。成立しなかったがな」そういって平八が店内の卓を指す。

「そうなのか」


 丑松が猪口の焼酎を飲み干して、取引をしている卓に向かう。

「『上』を売ってくれないか」

「いいが、いくら出す」


 この時の店での相場は、『中』一枚が七貫。『上』は『中』三枚、二十一貫だった。所有者の名前や、品種、年数、参考価格で相場より多少上下する。


「『中』三枚出す」

「三枚じゃ売れない。いま『上』の人気が上がっているのを知らないのか。二十五貫以下では売らない」

 さっき取引が成立しなかったのは、この高い価格が理由だった。

「知っている。が今銭は持っていない」


「それならば、『中』四枚で売ってやろう」


 丑松がためらう。しかしこの数か月、『上』の値上がり率は『中』よりも高い。目の前の男がふっかけてくるのも、それが理由だ。


「わかった。ここに『中』が八枚ある。それで『上』二枚を買う」

「よかろう。取引成立だ」そういって、二人が鑑定書を交換する。


 丑松の背中で、平八が取引相手に向かって、片目を閉じ、舌を出した。


 想像であるが、チューリップ・バブルも、その末期には似たような状況だったのではないかと思う。すなわち、高価格帯の球根の取引は、金銭ではなく球根同士でおこなわれる。かつ、上位の球根の相対価格が急激に上昇したのではないだろうか。



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