鑑定書(かんていしょ)
長禄元年(西暦一四五七年)は、史実では旱と疫病の年となっている。京都のある山城国については『山科家礼記』が、大和国については尋尊さんの記録した『大乗院寺社雑事記』が根拠になっている。
そのために、九月に康正から長禄に年号が改められた。
しかし、この物語では少なくとも大和国の南東部は、旱の害を片田の揚水機と倉橋溜池で防ぐことが出来ている。豊作だった。
師走になり、農民達は銭で年貢を納める。彼らは、この年までには、前年の蓄えで納税できるまでになっていた。すなわち収穫した米を秋に換金しなくともよい、ということだ。
銭で年貢を納めるため、秋には米を銭に替える農家が多く、米価が下がる。
そこで、年貢は貯蓄した銭で支払い、米は、来年の春から初夏の、米価が上がる時期まで蓄えておき高値で売る、そのようなことが出来るようになっていた。
春まで米を持っていれば、二割から、うまくいくと五割増しの値段で売れる。
すると、こんどは備蓄してある米を担保にして、米以上に値上がりしそうなものに投資する者があらわれてくる。
『総本家しろむすび』屋で、朝倉の丑松という男が、猪口に入れた焼酎を舐めながら、卓の上の幾つもの書類を眺めている。
焼酎の肴は『ヌキ』と『かまぼこ』であった。
ここで言う『ヌキ』とは蕎麦猪口に入れられた『もり蕎麦』の『めんつゆ』の事である。『かけつゆ』に天ぷらを入れたものではない。
『かまぼこ』とは、魚のすり身を燻製にしたものであった。
いずれも、座の規制を迂回した商品であった。
『めんつゆ』に使われる醤油は、今年の秋あたりから堺で売られるようになってきたものだが、塩座の規制を迂回できる。焼酎は酒麹座、『かまぼこ』は魚座の規制の対象外である。
最近はこのような商品が増えてきた。
丑松が眺めている書類は、盆栽の鑑定書であった。八、九枚もある。
<これが、来年の春には二倍、三倍になる>そう思うと焼酎が旨い。彼も今年収穫した米を売り、盆栽の鑑定書を手に入れていた。
実物の盆栽は見ていない。鑑定書に盆栽の詳細と所有者が書いてあるからだ。
鑑定書を持参すれば、いつでも所有者が実物を引き渡すことになっている。
向こうの卓の周りに数人の男が集まり、盆栽鑑定書の取引を始める。五貫だ、七貫だという景気のよい声がしている。
米の預かり証と鑑定書が行き交う。
丑松が『ぬき』を口に含む。
二年程前の康正元年(西暦一四五五年)頃には、盆栽の価格は安かった。
平均で、『下』で百から二百文、『中』で一貫、『上』でも十貫あたりであった。上物でも現代の価格で七十五万円程度ということだ。
丑松は、その頃から『中』の鑑定書を集め始めた。十数枚程も貯めた頃には、それが一枚四貫にまで値上がりしていた。その内の三枚を処分して『上』を一枚買った。
この頃には、『上』の鑑定書を銭で買う者は少なくなっていた。鑑定書で鑑定書を買うということが当たり前だった。
鑑定書には、参考価格が記されている。しかし、二年後の現在、長禄元年(一四五七年)の年末には『中』で鑑定価格の五倍の五貫、『上』であっても二倍の二十貫という価格で取引されていた。皆、今買えば翌月には何割増しになるという思惑で買っていた。
参考価格(額面といってもいい)に関わらず、価格が上下するのは、現代の株券と同様であった。
「丑松よ、ずいぶんといい景色じゃねぇか。全部鑑定書か」男が一人寄って来て言う。
「ああ、平八か。まあな」
「どれどれ、『中』が八枚に。『上』が一枚か。ずいぶんと奮発したもんだな」
「今年収穫した米はすべて盆栽につぎ込んだ」
「そりゃあ、思い切ったもんだ」
「まあな、これがうまくいけば、来年には市場の株を買って、店が出せるだろう。そうすれば、石鹸でも蝋燭でも、何でもいいが商売を始められる」
「有徳人丑松の出来上がりってわけかい」
丑松が笑う。
「しかし、市の株もあがっているっていうぜ。先日の取引では七十二貫だったそうだ」
「なに、七十二になったのか」丑松が言う。
「ああ、そうらしい。来年まで待ったら、百を超えるかもしれないぞ」
「そうかぁ」
丑松が酔った頭で予想してみる。暗算は出来ない。
「たぶん、それはまずいぞ」丑松が言う。
「そうだろうな」
「市の株ではなく、別のことを考えなければいけなくなる」
「こうしたらどうだ」平八が持ちかける。
「なんだ」
「お前の持っている『中』の鑑定書を『上』の鑑定書と替えたらどうだ」
「ああ、確かに値上がりの仕方は『上』の方が速い。『上』を持っていれば、来年には市の株が買えることはわかっている」
「そうだろう」
「しかし、『上』の鑑定書は、なかなか出てこない」
「さっき、そこで取引していたぜ、『上』を二枚。成立しなかったがな」そういって平八が店内の卓を指す。
「そうなのか」
丑松が猪口の焼酎を飲み干して、取引をしている卓に向かう。
「『上』を売ってくれないか」
「いいが、いくら出す」
この時の店での相場は、『中』一枚が七貫。『上』は『中』三枚、二十一貫だった。所有者の名前や、品種、年数、参考価格で相場より多少上下する。
「『中』三枚出す」
「三枚じゃ売れない。いま『上』の人気が上がっているのを知らないのか。二十五貫以下では売らない」
さっき取引が成立しなかったのは、この高い価格が理由だった。
「知っている。が今銭は持っていない」
「それならば、『中』四枚で売ってやろう」
丑松がためらう。しかしこの数か月、『上』の値上がり率は『中』よりも高い。目の前の男がふっかけてくるのも、それが理由だ。
「わかった。ここに『中』が八枚ある。それで『上』二枚を買う」
「よかろう。取引成立だ」そういって、二人が鑑定書を交換する。
丑松の背中で、平八が取引相手に向かって、片目を閉じ、舌を出した。
想像であるが、チューリップ・バブルも、その末期には似たような状況だったのではないかと思う。すなわち、高価格帯の球根の取引は、金銭ではなく球根同士でおこなわれる。かつ、上位の球根の相対価格が急激に上昇したのではないだろうか。




