取引所(とりひきしょ)
大橋宗長が、片田順と相談して、代官所の一室に取引所を設けた。
取引するものは特に限定していない。少額の取引は、外山市の両替所で行っている。この取引所は高額で第三者の立ち合いが必要なものの取引のために置かれた。例えば外山市の株式の取引などに使われた。
外山市の株式だけであれば、めったに所有者の移動はないので、取引のたびに臨時の席を設けるだけでよかった。しかし、最近では諸国の大名や国人が、土木事業や貿易業などのために株式会社を設立することが増えてきた。
株式の取引も、それに従い頻繁に行われるようになってきたので、常設の取引所を設けることになった。
さらに、この取引所は株式だけを扱うのではない。現在の証券取引所と商品取引所を合わせたような機能を持っている。現物も取り扱っていたのだ。
片田は、軍人時代に株式の取引などをおこなったことがない。なので、このようなことになった。
最近は、その取引所で盆栽が多く扱われるようになった。
さらに、盆栽鑑定士なる職業があらわれ、持ち込まれる盆栽に参考価格と評語を付けてくれる。
盆栽の価値を評価する者は以前からいたのだが、それは貴族や寺社向けであり、職業というよりは趣味の行いだった。
しかし、盆栽趣味が大衆に広まり、売買が盛んになるようになったので、専門に価値を評価する者が現れたのだった。
盆栽鑑定士は、鑑定士補佐という者を連れている。鑑定士補は盆栽の第一枝(一番下の枝)が幹から生えているところを上から見て、東(九十度)または西(二百七十度)として、二枝以降がどのような角度で伸びているか、それぞれの枝の上下の角度や長さ、枝相互の距離はどのようになっているか、ということを測定して鑑定書に記す。これで盆栽が特定できる。
最後に鑑定士が全体の枝振りや樹皮の様子などを評価して、上、中、下、外、の四段階評価をして、その評語を選ぶ。『外』は取引する価値の無い物である。
また、上のうえに、さらに特別なものとして、鶴、亀がある。この二つは特に高値で取引される。鶴、亀ともなれば銘といって、その盆栽に名前が付く。
取引所で扱うのは中以上のもので、価格で言えば一貫以上あたりのものであった。
鑑定士補が作成した、盆栽の特徴を記した紙に、鑑定士は、この評語、取引参考価格、鑑定士と鑑定士補の名前、所有者の名前、そして最後に鑑定した日付を記入して、鑑定書として依頼者に渡す。
鑑定日付は重要であった。書画などの骨董と異なり、盆栽は生き物である。時とともに姿が代わっていくので、鑑定日が新しい物ほど取引参考価格に信用性が増す。
鑑定料は八十文の前払いである。
八十文払って鑑定してもらっても、鑑定料以下のこともある。
「これは、駄目だ」鑑定士が言う。
「なんで駄目なんだ。五年物だぞ」
「五年物かもしれんが、駄目なものは駄目だ。枝がうなっている。無理やり曲げたのであろう。それに左右が揃っていない。枝のあるべきところに枝がない。もっと自然にある木を観察しなければならない」
持ち込んだ者に心当たりがあるらしい。針金で変形させたり、おかしな剪定をしたのだろう。
「それでも、一貫以上はするだろう」
「いや、そんな価値はない、これは『外』じゃ。外も外、外道じゃ」
「なんだと、このやろう」
持ち主が鑑定士に掴みかかろうとして、代官所の兵士に取り押さえられる。こんなことは彼らの本来の仕事ではないのに、迷惑な話である。
まれではあるが、良い物がもちこまれることもある。
「なんと、これは素晴らしい仕事ですね」鑑定士が感嘆の声を上げる。
樹齢四十年にはなろうかという真柏であった。大きく捩れた幹に舎利(幹の樹皮が一部剥がれて白くなっている部分)が長く伸びている。
鑑定士がよく観察する。人為的にいれた舎利ではないようだ。
「これは、どうなさったのでしょう」鑑定士が持ち込んだ若者に尋ねる。これほどの物となると、盗品の可能性がある。
「それは、『じさま』が育てたんだ。『じさま』の道楽は、この盆栽一鉢だけだった」
「だけだった、おじいさまは」
「すこし前に死んだ。その後俺が水をやっていたが、世話の仕方がわからない。俺なんぞのところに置いておくよりも、世話の出来る人の所にいったほうが、『じさま』も喜ぶだろう」
鑑定士が、代官所の役人の方を見る。
「藤吉の言っていることは本当だ。藤吉のじいさま、伍平は先月に亡くなっている」
鑑定士が、改めて藤吉の様子を見る。そして視線を移して盆栽の真柏をもういちど観察する。
「本当に売りますか」
「もちろんだ」
「わかりました。では私が買いましょう。八十、いや九十貫でどうでしょう」
あまりの高額に藤吉が驚き、何度もお辞儀をする。
鑑定士が鑑定書の評語欄に「亀」、参考価格欄に「九十貫」と書き、その右に大きく「銘 伍平」と記した。




