楠葉西忍(くすばさいにん)
「父ちゃ、ここに硫安勝手にいれただろ」茸丸が言った。茸丸が指を指す田の一角の稲が他より大きくなっており、先日の大風で倒れていた。大風は大和国に被害をもたらした。京のある山城国では、よりいっそう被害が出たという。年の初めからの疫病に加えて大風の被害で、今年の山城は凶作になるだろうとうわさされていた。
「多くいれたら、もっととれるかもしれんと思ったんじゃ」茸丸の父が言った。
”さすが茸丸の父親だ。試してみずにはいられなかったようだ”片田は思った。
「初夏にだけいれればいいんじゃ、余計にやっても葉が茂るばかりで、実の付きが悪くなる。風が吹けば、このように倒れるしな」茸丸がぼやいた。
この時代の暦で七月になっていた。父親は、草取り爪という、指より一回り大きな竹で作った爪を指先に付けて田の除草を行っていた。田の作業のうちでも、除草は大変なもののひとつだ。
片田と茸丸、石英丸は、除草具を作ろうとしていた。彼らの足元には、長さ五十センチメートル、幅二十センチメートル程度の小さな木の舟があった。舟の中心に四角い穴があけられており、そこに鉄でできた風車を重ねたようなものが取り付けられている。風車の羽は小さな鎌のような形をしていた。
「両側は鉄で補強したほうがいいな」石英丸が言った。
「そうだな、その方が幅を取れる」と茸丸が同意する。
この機械は、船を田で滑らすと、雑草を搔き取ることができる。
「これで、柄を付ければ立ったままで押せるから、ずいぶん楽になる」
「問題はお父たちが、まっすぐ田を植えることができるかどうかだな」
この除草具、田打ち車というが、これが機能するためには、稲の苗を一定の間隔で真っすぐ植えておかなければならない。間隔のあいたところにこの除草具を通して、雑草を埋め込んでしまう。
「それは、田植えの時に、一定間隔の印をつけた紐を張っておけばいい。そうすれば、縦横等間隔に苗を植えられる」片田が言った。
「なるほど、そうだな」二人が答えた。
「失礼ですが、片田さまですか」片田は声をかけられて振り向いた。編み笠を被った僧侶が居た。従者を一人連れている。
「はい」と答えて振り向いた片田は、息をのんだ。
”インド人か”片田は思った。ニューギニアに行く途中のマニラでインド人を見ていた。
「驚かせてもうしわけない。私は楠葉西忍といいます。大乗院の用でやってまいりました」西忍と名乗る男は日本語で話した。容姿に驚かれることに慣れているようであった。
「少し、お話を聞いていただきたいのですが」
片田は、楠葉を慈観寺に連れていくことにした。
好胤さんは、楠葉西忍という異人がいることを知っていた。楠葉は尋尊からの注文書を持参していた。もっとシイタケを送れ、とのことだった。
「来年、明国に船を遣わすことが決まりました」楠葉が言う。
遣明船というやつだな、片田は思った。
「その船団のなかに、長谷寺が船主に加わる船があります。その船に片田さまが作るシイタケと眼鏡を乗せたいのです」
「シイタケですか」
「はい、私は明国に渡ったことがあります。シイタケは彼の国でもたいへん好まれるものです。きっと高値で売れることでしょう。私はそう思います」
「眼鏡は、検眼しないと、売れませんよ。人によって合うレンズが異なりますから」
「知っています。私は尋尊様が眼鏡の検眼をするところを遠くから見ていましたから」
「そうでしたか」
「あのとき、あなたは木の箱を持っており、そこにいくつかのレンズと眼鏡枠、検眼器などをいれていました。あの箱ごと売るのです」
片田の箱には、眼鏡枠と、各度数のレンズそれぞれ五枚。凸と凹の検眼器二枚、眼鏡紐、瓢、鮎などが収めてある。あの箱ごと売れば、余るレンズが出てくるものの、何人分かの眼鏡ができるであろう。検眼は向こうで各自がやればいい。
「それなら、商売になりそうですね」片田が言った。考えることが日本人離れしている。
「一つの箱に眼鏡枠や眼鏡紐は五十程いれてください。揺れたり、箱を落としたりしても割れないように、布などでレンズを保護してください。それと瓢や鮎は別の箱にまとめて入れてください」
「でどれほど用意すればよいのでしょう」
「眼鏡箱を百ほど。一箱五十貫。瓢などは同じ大きさの箱にいれていただき、一箱で十分でしょう。これは百貫払います」
「ずいぶんな量ですね。いつまでに用意すればいいのでしょうか」
「来年十月に京を立ちます。それまでにお願いいたします」
「それならば作れるでしょう。受けます」
「ありがとうございます。つぎにシイタケですが」楠葉が言った。
「シイタケは刻んだものの方をお願いします。その方がたくさん積めるでしょう。桐の箱に詰めてください。箱型にした蝋紙を上から被せ、海水を浴びても濡れないようにお願いします」
そういって、箱の大きさを指定した。これは船倉に充填するのに都合の良い大きさなのだろう。
「いま、シイタケはどれほどの価格でお売りですか」楠葉が尋ねた。
「そうですね、量り売りなのですが、一升(一.八リットル)で五百文くらいでしょうか」
「船荷の場合には、重さで考えるのですが、一升のシイタケは重さでどれくらいになりましょうか」
「そうですね、半斤(約三百グラム)くらいなものでしょう」
「当初考えていた商品よりも、はるかに高く売れると思っていますので、乗せられるだけ乗せようと思います。そうですね、船が四万斤ほどですので、五千斤、一万升ぐらい作れますか」
片田は唸った。
「とうてい無理ですね」
「では、来年の出立までに出来るだけをお願いします。一升で六百文出します」
「作れるだけ、ということでよろしければ、受けたいと思います」
楠葉西忍が帰っていった。彼の言うことであればまちがいないであろう、好胤さんは言った。彼は天竺人と日本人との間の二世である。出家してはいるが、南都に土倉を持ち、海外と商売したこともある優秀な商人だということを好胤さんは教えてくれた。シイタケ工場をさらに二棟建てることにした。
この年の八月、南都では、筒井と古市の小競り合いがあったという。




