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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 外伝
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夏越の祭り(なごし の まつり)

 六月の晦日みそか(六月の最終日)は、夏の終わりにあたる。この時代には、夏とは現代の五月初旬の立夏りっかに始まり、同八月上旬の立秋りっしゅうの前日に終わる。今の感覚とは少し違う。

 なので、例えばアサガオは秋の季語きごである。


 六月晦日は夏越なごしはらえが行われる。夏(彼らにとっては秋)の疫病を避けるための祭りである。

 外山とびの南にある春日社では、茅輪ちのわくぐりが行われる。夏越の祭場である春日社境内の入口に、青竹を曲げて大きな輪にしたものを置き、それに色々な飾り物をぶら下げる。それを茅輪と呼び、それをくぐると、その年の疫病えきびょうを避けられるというものだ。


 祭りの日なのであるが、『あや』は外山の市の中央にある両替所の番をしている。この年の六月晦日は、西暦では一四五七年七月二十一日にあたる。梅雨が明けるか、明けないか、という時分であった。幸いこの日は日中曇りであったため、暑さに苦しめられることはなかった。

 両替所には、計算の出来る『あや』が窓口になり、代官所の役人一人が管理職となって、『あや』が客の依頼で作成した取引計算書の決済を行う。二人以外には四人の兵がいて、両替所の紙幣などを守っていた。


 この両替所は、各地方の土倉が発行した紙幣や銭貨、銀貨などの交換を行う。手数料は二分(二パーセント)である。

 外山の市には、諸国から商人が訪れるので、楽民銀行の頭取代理、大橋宗長むねながが設置した。


 石英丸せきえいまる茸丸たけまるなどは、春日社の境内で屋台店を開いている。『あや』の店も出店しているが、両替所の店番をしなければならなかったので、今は、店を弟達にまかせている。


『あや』の屋台はヌイグルミ屋だった。糸に出来ない綿を添毛織パイル布でくるんで、ウサギ、ネコ、イヌ、クマなどの動物のヌイグルミにしている。

 パイルは、『いと』が考えた織り方の一種で、縦糸を膨らませて織る布地だった。現在のタオルに似ている。


「ねえちゃん、男の俺たちが、ウサちゃんのヌイグルミいかがですか、なんて言えるかよ」

「いいから、店番やんな」そういって『あや』は、嫌がる弟達を送り出した。


 その日、両替店は暇だった。

 周囲の山裾やますそには、帯のように綿ワタの畑が広がっている。田畑にならぬ山のきわが一面に綿畑になっていた。

 ワタの花と、綿毛が混じる時期だった。


 暇だったので、両替交換率表を眺めてみる。細川勝元かつもとこい銀行券、山名宗全そうぜんの赤入道券などは、楽民銀行券と同じ割合だった。この三つは近畿圏でよく使われている。少し交換率が低いのは大内の羽衣券などの地方銀行券だった。低いと言っても二分か三分安いだけだ。これは近畿圏で流通が少ないからだった。

 店によっては地方の銀行券を受け取らないところもある。それでわずかに安い。


 さるの刻(午後四時頃)になった。頭取代理の宗長さんが来る。

「あれ、交代、宗長さんなんですか」『あや』が言う。

「ああ、今日は夏越の祭りで、店番をやってくれる人がいない。日暮れまでは私がやることにした」


『あや』が店番から解放される。祭りの屋台に行くことにする。『あや』はこの年、数えで二十一歳になっている。祭りが楽しみ、という歳ではない。店番をまかせた二人の弟が不安なので行くのである。


 外山の市の前を横切る三輪道を右に行き、慈観寺の辻に出る。そこで右に折れて、伊勢道を進む。慈観寺を回るようにして橋を渡る。左手に『ふう』が作った運河を見ながら伊勢道をさらに歩く、片田村との境の宇陀うだヶ辻を過ぎて粟原おおはら川を渡る。しばらく行くと左手に春日社が見える。


 楽民銀行の融資を受けた提灯組が、大量の提灯を売りつけたようだった。神社の両側には無数の提灯が並ぶ。それぞれの提灯には、玉垣たまがきのように寄進者きしんしゃの名前が書かれていた。暗くなったら壮観だろう、と『あや』が思う。

 鳥居のところに、長い青竹を幾つも組み合わせて円形にしたものがあった。これが今年の茅輪ちのわなのだろう。竹には水辺で刈ったかやすすきが結び付けられていて、綿で飾られていた。


 縁起物だから、と思いながら『あや』が茅輪をくぐる。流行り病になりませんように。


 茅輪のすぐ内側の左手には大男の造物つくりもの、右手には富士山の造物が飾られている。造物とはねぶた祭の山車のようなものである。

 左手の大男の脇には蘇民将来そみんしょうらいと書かれている。蘇民将来については、調べてみてほしい。


 境内に入ると、参道の両側に屋台の出店が並んでいる。梅干しは、これも疫病祓いの縁起物だ。枇杷びわ、ヤマモモなどの果物を売る屋台がある。

酒と塩を売る店もある。酒豪を自任する男達が、塩をさかなにして酒を飲む。干しサバ、干しアジを売る店も出ている。


 和紙や飾り蝋燭ろうそくを売る店がある。和紙には押し花が織り込んである。飾り蝋燭に書かれた絵が見事だった。『あや』は数本の絵蝋燭を買った。


「あら、『あや』ちゃん、来たのね」そう声をかける者がいた。『いと』だった。

「ああ、弟たちが心配なのでな。『いと』は屋台を出しているのか」

「出しているわ、あれよ」そういって右手を指さす。


新手拭しんてぬぐい】と書かれた屋台であった。女たちが屋台を囲んでいた。

棚の上に草木で染めたタオルが赤から青へと色相の勾配グラデーションを成して並べられていた。ユニクロみたいである。

「これは、素敵すてきね。並べ方一つで売れ方が段違いでしょう」『あや』が言う。

「そうね」『いと』がうれしそうに含み笑いをする。


<相当もうけているな>『あや』が思う。


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