亀の瀬運河(かめのせ うんが)
享徳四年(西暦一四五五年)は正月から東国で戦が始まる。享徳の乱である。現代の日本史では、この乱が東国における戦国時代の始まりとされているという。御霊合戦が応仁の乱の始まりだとすると、それよりも十二年早い。
片田は六月初旬に亀の瀬運河工事のために、技術者たちと同地に向かった。この年の六月一日が西暦では七月十五日なので、梅雨明けを待っての作業となる。
仮設の工事用住居を建設し、実際の作業に取り掛かり始めた頃から、亀の瀬の往来が明らかに増えてきた。
河内の畠山義就が大和を攻略しようとしていた。六月の末には義就軍が南の竹内峠を越えて、大和盆地の西部、当麻寺付近に侵入する予定であった。軍は二千を超える歩兵と騎兵の群れである。大和川の水運を使って小舟で分散して移動することなどはできない。そのため彼の軍は南の竹内峠を越える。
しかし、大和盆地の軍に対する補給については水運を用いた方が便利である。従って、畠山義就は亀の瀬を押さえることにした。
「そのほうたちは、何の工事を行っているのか」下流の河内から三十名程の兵士を従えた武士が上がってきた。
「大和川、亀の瀬の南岸に河道を作る工事だ。大和の興福寺と立野氏の許しを得ている」片田村の土木技術者の一人が応える。
「頭を呼んでまいれ」河内の武士が言った。
呼び出された片田に河内武士が言う。
「このあたりは河内の峠八幡神社の神域である。何故に勝手に普請を行うか」
「それは、大和川の北岸は確かに峠八幡の土地であるかもしれませんが、私共の普請は大和川の南岸のみで行っております。こちら側は大和の龍田大社の社領であり、私は地元の立野氏の許可を得て普請をおこなっております」
「なんだとぅ」
確かに、片田の言う通り、このあたりの北岸は河内、南岸は大和国であった。河内武士は、それほど細かい地理は知らない。
その時、爆発音が鳴る。河道を掘削するための発破だった。
河内武士が怯んだ。聞いたことの無い衝撃的な音だった。
片田の方を見ると、片田は平然としている。周囲を見回すと、作業の人夫達までもが、何事もないような顔をしていた。
「た、確かめてまいる。相違があれば、ただではおかぬぞ」そう言って河内武士は手下を従えて上流の王寺の泊めざして去っていった。立野氏の所に真偽を確かめに行くのであろう。
その後、例の河内武士がやってくることはなかったが、その代わり亀の瀬北岸の大和側、河内側それぞれの泊に仮倉庫が建てられた。河内の兵達が材料を持ち込んで建設した。
この小屋は、どこかに建てられていた建物を解体して持ち込んだようであった。ホゾ
もホゾアナも既に加工してあり、現地で組み立てればいいだけになっているので、あっというまに出来上がった。これが六月の末のことであった。
同時期に畠山義就軍は大和へ侵攻し、七月二日には筒井城の南方で、筒井軍と野戦を行い勝利している。筒井軍は籠城した。
河内から大量の兵糧などが、舟で川を上り、亀の瀬で陸運され、さらに大和川を上り、筒井城南面に布陣する畠山軍のもとに運ばれていく。
畠山軍としては、来るべき城の総攻撃に向けて、備蓄をする時期なのであろう。
亀の瀬の仮倉庫に一人の若い武士が来た。二十歳程の年頃だった。彼は軍需物資の運搬をしにきたのではなさそうだった。
しきりに運河工事の様子を見ている。発破の音に、「ほぉう」と感心したような声を上げる。
時々大和川を渡ってきて、セメントの様子などを観察しているようだった。
やがて、その若武者はいなくなった。
七月末。運河がほぼ出来上がり、魚簗舟を通してみることにした。それを聞きつけてきたのか、またあの若武者が戻ってきた。
舟が運河を上下しているのを、興味深そうに見ると、また大和の方に去っていった。
それから、数日がたつ。河内軍の使者が来て、亀の瀬運河を利用させてほしい、と申し込んできた。
舟一艘につき七十文の運河利用料を払う、と言ってきた。現代の五千円くらいにあたる。片田はもう少し安い利用料を考えていたが、高い分には文句はなかった。
翌日から河内軍の輸送舟艇が無数に運河を上下した。あの若武者が、下りの河内軍舟艇に乗ってやって来て、下流側で乗り換え、来た水路を戻っていく姿が見られた。
「あの若武者は、何者なんでしょう」いぶかしく思った片田が石工頭に尋ねる。
「さあ、あのように気儘に振舞うなど、もしかしたら畠山の殿様かもしれませんな」
「畠山のって、伊予守様(義就)のことですか。まさか」
畠山義就は、この年の二月には右衛門佐に叙任しているが、一般にはまだあまり知られていない。
鋼製の鏨と棒状に整形された爆薬のおかげで、亀の瀬運河は二か月程の短時間で船が通せるまでになった。片田の予想よりも早い。そのため、まだ所々セメントを施せていないところがあり、馬道の整備も不完全だった。
しかし、片田は村にも仕事がある。
あとは、現地の者にまかせることにして、完成を待たずに片田村に帰っていった。




