銀行家(Banker)
片田村の住人の多くは、戦や飢饉、天災など様々な理由で耕作地や店などの生活の術を失い、村に吹き寄せられてきた者達だった。
その彼らが、村の工場などで他には無い技術を得た。片田はそこに楽民銀行という仕組みを作り、彼らの独立を促した。
眼鏡、眼鏡装飾品、アンモニア、石鹸、マッチ、唐箕などの農機具、鉛、硫酸、コークス、磁石、紙、電球、各種化学薬品などを製造する多くの組が現れ、楽民銀行から融資を受けて起業した。工業以外にも、食堂、養鶏業を営む組もある。
電力すら、最初に倉橋堰堤から引いた水で発電所を作ったのは片田だが、それを払下げて村人達の組が経営していた。
官営事業の払下げと民間企業の勃興。明治政府方式である。
各組は、協力しあいながらも、独立採算を旨とした。社内カンパニー制のようなものだ。
例えば電球は片田村以外で使える場所が無い。それでも各工場は照明用に電球を必要としていたので、電球を高値で買い、電球製造を行う組の採算が取れるようにしていた。
彼らは真空管の試作を行うまでになっていた。
ただ、干しシイタケ、硫安、火薬は片田により戦略物資と位置付けられ、片田と子供達が直接経営した。
蒸気機関については、その後幾つも作られて各工場に配置され、小型化も図られたが、まだ採算が合うものではなかったので、これも片田が直接見ていた。
電池は、今のところ、あまり使い道がない。
元より片田と子供達だけで、これらの事業を全て行えるわけはない。それで銀行を設立した。しかし、これほどになってくると銀行経営だけでも負担になってくる。
加えて、好胤さんから、今が足利義政の時代である、と教えられてからは、飢饉対策も始めなければならなかった。
片田は銀行経営を任せられるような者を探すことにした。
片田が室町時代に来て六年目(享徳四年、西暦一四五四年)の十月。
楠葉西忍さん達の遣明船が帰国した、とのことであった。
十一月、西忍が明国での干しシイタケや眼鏡の売れ行きについて、片田に様子を伝えに来た。
『おたき』さんの店で、西忍と好胤、片田の三人が『シイタケ御膳』を前にしている。
好胤さんは、すでに自分の膳を空にしていた。
「『おたき』さんや、温かい『夢の浮橋』を頼む」好胤さんが茶碗蒸しを注文する。
離れた席にいた子供連れの母が怪訝そうな顔をする。
<お坊様がタマゴを食べるのかしら>
店内にある『お品書き』では、タマゴを使った料理にはヒヨコの絵が描かれている。注意して欲しい旨が店内のあちこちに書いてあった。
好胤さんが配膳された茶碗蒸しをおいしそうに食べる。
「初めて『ゆでたまご』を食べた時には大変じゃった。数日間自分が蛇になって生卵を飲み込む夢を見たものじゃが、慣れると旨い」
その様子を見ていた母親が、温かい方の『夢の浮橋』を二つ注文する。
「楽民銀行ですか。面白いものを思いつきましたね」西忍が言う。
「はい、機会さえあれば、皆起業するものです。これほどとは思いませんでした」そういって、片田が楽民銀行の方針を箇条書きにした書類を取り出し、西忍に渡す。西忍に相談しようと用意してきたものだ。
西忍が懐から眼鏡箱を取り出して、眼鏡をかける。
「渡明で、すっかり視力が衰えました」そう言って片田が渡した書類を読みはじめる。
あれは、『あや』が最初に作った眼鏡箱だ、西忍が取り出した眼鏡箱を見た片田が思った。あれは、たしか尋尊さんに五百文で売ったはずだが。
「担保なしで銭を貸すというのは、驚きですね。これで貸し倒れることはなかったのですか」西忍が片田に尋ねる。
「ん、どうしました」返事が無いので片田の方を見る。片田は眼鏡箱の方を見ていた。
「ああ、これですか。私がお願いして、尋尊さんから譲ってもらったものです。三貫程お支払いしましたが」そういって西忍さんが眼鏡箱を得意そうに持ち上げる。
<三貫だと、六倍にして西忍さんに売りつけたのか。しかも、譲られた、と西忍さんが言うということは、そうとう勿体つけられたに違いない。尋尊さん、僧侶にしておくのは惜しい>片田がそう思う。
「あ、はい。五年続けていますが、貸し倒れた案件は、数件程です」
「それは、すばらしい。融資という行為について、我々はなにか勘違いしているのかもしれませんね」
「さあ、金貸は初めてですので、これが特別なことなのか、私にはわかりません」
「起業するのは、生活を安定させるため、ですか。儲けることが目的ではないのですね。このあたりに秘訣があるのかもしれません」
「うまく、行っているようですが、なにか問題でもあるのですか」西忍さんが尋ねる。
「はい、次々に組が出来るので、手が回らなくなっているのです」
「なるほど」
西忍さんがしばらく考えてから、言った。
「私の土倉に、人物は間違いないのですが、変わった男がおります。やることが楽民銀行に似ています。その男を雇ってみますか」
「似ている、というとどういうことでしょう」
「新規事業に投資したがるのです。それはよいのですが、しばしば投資に失敗します。冒険的すぎるのです」
「会ってみましょう」片田が言った。




