鶏卵(けいらん)
片田が室町時代に来てから五年目の夏だった。昼間の暑いときには農作業が出来ない。その時間に、子供達を集めて読み書きなどを教えることにした。
片田が籠と小さな壺を持って教室に入ってくる。教壇のところに籠を置く。なかには茹でて殻を剥いた『ゆでたまご』が入っていた。壺の蓋を開けて逆さにし、そこに壺から出した塩を盛る。
「これは茹でた卵だ。食べてもいい、と思うものは食べるがよい。無理に、とは言わない」
石英丸と茸丸が真っ先に手を伸ばして食べる。『ふう』と犬丸も手を出す。
この四人は、サクラである。あらかじめ打ち合わせしてある。
「それ、ヒヨコみたいのが中に入っていないか」ある男の子が言うと、女の子達の悲鳴があがる。
「入っていない。この卵は無精卵といって、母ドリが何日卵を温めても、ヒヨコにならない」
「どういうことだ」
片田が学校を始めてから、なんで、どうして、どういうこと、こういった言葉が子供達の口癖になっていた。
彼らは、雌鶏が産んだ卵が二十日程するとヒヨコになることを知っている。
「雄鶏と雌鶏を一緒に育てると、雄鶏の精が雌鶏の卵に入る。そうするとヒヨコが産まれる卵になる。そういうのを有精卵という」
「雌鶏だけを集めても卵が産まれるが、その卵は雄鶏の精が入らないので無精卵になる。無精卵は何日たってもヒヨコにならない。だから、この卵を食べても『殺生』したことにはならない」
「この籠の中には、たくさん卵があるが、どれ一つとしてヒヨコみたいのが入っている卵はない。皆で卵を割って試してみるがいい」片田は巧妙だった。手に取ってしまえば、食べるまでの距離が縮まる。
何人かの子が『ゆでたまご』を手に取って、割ってみる。なかにはきれいな黄色い玉が入っていた。茹でたてなので、いいにおいがする。
『ゆでたまご』を手に取ったほとんどの子がそれを口に入れた。片田が様子を見ると、おいしそうにしている子供と、気味悪そうにしている子供、半々くらいだ。
それでも、手を出そうとしない子もいる。そのような子供に片田が声をかける。
「ヒヨコが産まれない、というのが信じられないか」
その子達が頷く。
「では、雌鶏と卵を持ち帰って、二十日ぐらい育ててみないか」
何人かが頷いた。
その子達には、学校が終わった後、養鶏場に連れて行って雌鶏と産んだばかりの卵を鶏籠にいれて渡すことにした。
数名の父兄が学校に押しかけてくる。子供に殺生させるのはけしからん、というのだ。
「無理強いはしていませんし、殺生でもないのです」片田が説明する。
「でも、必要もないのに、怪しいことをさせるものではない。いくら片田が言うことでも、これは許しがたい」と、彼らが言う。
「必要なんです。子供達は体をつくらなければなりません。今の食事では栄養が足らないのです」
「そんなもの、豆でも食わせておけば足りるだろう」
栄養学などは知らないが、体に必要なものは本能的に分かっているらしい。
「豆も体をつくりますが、それだけでは足りないのです。殺生の疑いがあるのであれば、私が出しているヒヨコの出来ないタマゴを持ち帰って試してみてください」
彼らにも雌鶏と産みたての卵が貸し出された。片田は結果が出るまで二十日間、子供たちに『ゆでたまご』を提供しないことを約束した。
それでも一部の大人達の抵抗は強かった。
蝉が鳴いている。
慈観寺の僧房で片田と好胤さんが対面していた。片田は珍しく正座している。
二人の間には、『ゆでたまご』が幾つか入った椀が置かれていた。
「わしがこれを食べるのか」好胤が言う。
「おねがいします、好胤さんが食べるところを見れば、村のみんなも納得すると思うのです」
「それはそうじゃが、わしは僧だぞ。このようなものを……」
「食べても殺生にはなりません。子供たちが健康に育てば、余程利益になると思いませんか」
利益とは、仏教の教えに従って他を益すること、という意味だ。似た言葉の功徳は自らを益することを言う。
「それを言われるとのう」順め、いつの間に利益などという言葉を覚えたのか、好胤が思う。
「お願いします」片田が正座のまま、深く頭を下げた。
慈観寺の講堂である。
好胤が『ゆでたまご』が子供に必要なこと、無精卵を食べても殺生にはならないこと、などについて村人を集めて説教を行った。説教の最後に好胤さん自らが『ゆでたまご』を食べることになっている。
説教が終り、いよいよ好胤さんの講座(皆の方を向いて説教をする座席のこと)に『ゆでたまご』が運ばれてくる。それを見た村人達がざわつく。
「好胤さん、脂汗を出していないか」
「なんか、いつもと様子が違うよな、顔が青ざめてるようだ」
好胤さんが『ゆでたまご』を取り上げ、半分かじって、目を瞑って、飲み込む。
「飲み込んだぞぉ」講堂がどよめきに揺れる。
好胤さんの閉じた目に涙が滲む。子供達のためじゃ。




