電球(でんきゅう)
倉橋堰提の建設は、その年の冬中続いた。農繁期になり外山の村民は田に帰り、続きは片田村の村民だけで続けた。
翌年の収穫が終わり、農民がまた戻ってくる。
春までには堰堤の建設が終わるだろう。片田が子供達に言った。確かに堰堤は八割程完成していた。
その日は堤に数ヶ所設けられていた排水管の試験を行うことになっていた。
大人の背丈程の直径の丸い排水管が、異なる高さで五ヶ所ほど埋められている。排水管の天井には太さ五寸(十五センチ)の小さい管が溶接されており、小管の内部には、さらに一回り小さな鉄棒が収められている。
鉄棒は排水管先端の蓋に接手で溶接されている。前後に動くことができ、堤の下流側から押してやると、堤の上流側の水中にある蓋を開けることができる。排水管のため池側は、堤から一間程も水中に飛び出している。
水中にある蓋が開くことで、ため池の水が排水される。蓋を閉じるときには、鉄棒を引っ込めてやれば蓋が閉じる。
蓋の開閉試験は以前にもやっていたが、ため池の水位が上昇するに従い、その時の水圧でも動作するか定期的に確認しなければならなかった。
棒の下流側の端には、直線状の平歯車が取り付けられており、ラックの上の小歯車は、大きな円形のハンドルで回すことが出来るようになっていた。排水管の出口上部は、これらの機械を設置し、操作するための二間(三.六メートル)四方の操作台が設けられていた。
片田が、その丸いハンドルを回し始める。排水管の中から小さな唸りが聞こえ、それが次第に大きくなる。
そして、激しい水音と共に、大量の水が排水管から噴き出した。
「この水圧でも、動作するようだな」片田がそう言って、蓋を閉じる。
三月、倉橋堰堤が完成した。十市遠清を招いて完成式典を行う。この堰堤が完成したことにより、十市郷三十数ヶ村は、旱魃に悩まされることが無くなるであろう。
片田村にとっては、水力発電の電源も得られたことになる。
石英丸の前に水槽のようなガラス箱がある。上の部分は半分ガラス板が被せられている。中に水は入っていない。
代わりに充填されているのは二酸化炭素だった。ガラス箱の横には石灰石と塩酸が入ったビンが置かれていて、そこからコの字型のガラス管で導かれている。
石英丸がリンゴ程の大きさの、透明な丸いビンをガラス箱の中に入れ、ガラス管の先を丸ビンの口から中に挿し、丸ビンの中を二酸化炭素で満たす。
石英丸も茸丸も念のため、酸素盆兵衛を持ち込んでいる。戸も窓も開け放っていた。
丸ビンの中が二酸化炭素で満たされただろう、と判断した石英丸は、手前に置いてあった、紐を慎重に取り上げる。
その紐は二本の銅線を紙で巻いて被覆したものだ。先端には黒い螺旋状の壊れやすそうな糸が付けられていて、二本の銅線を繋いでいる。
先端から二寸程のところには鈍い色をした金属の栓が巻かれている。これは鉛製だろう。
石英丸が紐の先端を傷つけないように、用心深く丸ビンの中に差し入れ、鉛の栓をビンの口に合わせて変形させ、密封する。
「良さそうだな」茸丸がそう言い、石英丸も頷いて丸ビンを外に取り出す。
石英丸がガラス箱の上にガラス板を被せている間に、茸丸は積層鉛電池の充電を確認する。この電池は六列の鉛電池を直列に繋いでいるので、十二ボルト程の電圧がかけられる。
「行くぞ」石英丸がそう茸丸に言って、銅線を電池に繋げた。
丸ビンの中の黒い螺旋糸から白い煙が出てきて、ビンの中を満たす。真っ白になったビンの中で何か赤いものが、ぼぉっと光っていた。
「なんだ、これ」そう言って茸丸が笑いだす。石英丸も笑い出し、二人とも笑いが止まらなくなった。
片田は二人に電球を作らせようとしていた。片田の説明を聞いた二人は、丸ビンの中に、小さな小さな、輝く太陽のようなものが出来るのだろう、と想像していた。
それなのに、何の役にも立たない煙玉が出来たので、笑いが止まらなかったのだ。
目尻の涙を拭いながら石英丸が言う。
「焼いた竹墨に、まだ不純物が残っていたのだろう、二酸化炭素の中で一度通電して蒸し焼きにした方がいいみたいだな」まだ笑いが止まらない。やっとの思いで銅線を電池から外す。
「多分、そうだな」茸丸も、笑い喘ぎながら答えた。
ようやく笑いの止まった二人が、やり直し始める。石英丸は鉛栓を剥がし、細いガラス管を丸ビンの中に入れて息を吹き込んで、煙を外に出す。
その間に茸丸は石灰石と塩酸を追加した。
石英丸が束ねた銅線をガラス箱の中に入れる。
「通電してくれ」それを聞いた茸丸が銅線を電池に繋げる。竹墨が明るく発光して、わずかに煙が出てきた。二人が想像していたのは、これだった。
しばらくすると、煙が出なくなる。先ほど二人が笑いこけている間に不純物はほとんど燃焼し尽くしていたのであろう。
「もういいかな」石英丸が言う。
一旦電池から外し、石英丸が銅線を丸ビンの中に入れて、鉛栓をする。茸丸が通電すると、明るく輝く電球が出来た。
室町時代の片田村に電球の需要がそれほどあるわけではない。片田はそう思っている。ただ、電球を作っている内に真空管を作る技術が培われるだろう。それを期待していた。




