方鉛鉱(ほうえんこう)
矢木の市の鉛屋が、飛騨神岡の鉱山師を連れて片田村にやってきた。鉱山師は荷馬に俵を二つ載せていた。
「片田、神岡の山師を連れてきたぞ」鉛屋が言う。
「どんな鉱石をお望みじゃ」鉱山師はそう言うと、俵を開き、地面に鉱石見本を拡げた。
地殻のなかに、有用な鉱物が集中しているところがある、集中する理由の一つは、熱く溶けたマグマの地殻への貫入である。貫入された側の地殻が溶けて、含まれている各種鉱物が集中する。そのようなところを鉱床という。
神岡鉱山の場合は、地中の空洞にさまざまな鉱物が溶け込んだ高温の熱水があった。その熱水が周囲の岩石の裂け目などにしみこむ過程で有用鉱物が集中して鉱床となったとされている。
いろいろな石があった。ほとんどは片田が名も知らぬ鉱石だった。片田の知識は子供の頃に家にあった鉱物図鑑止まりである。
最初に目についたのは水晶と方解石、雲母だった。これらは白い半透明の鉱物だからだ。
雲母は絶縁体に使えるかもしれない、そう思って片田が雲母を取り上げ、脇に置いた。
片田の欲しかったのは方鉛鉱だった。方鉛鉱から鉛と硫酸が作れる。方鉛鉱はサイコロが無数に固まったような形をしているので、目立つはずだ。黄色い物が目に留まる。
「これは硫黄ですか」
「ああ、そうじゃ。硫黄じゃよ。大きいのはめずらしいがな」鉱山師が答える。
これも脇に置いた。
金色に輝くものもいくつかある。
「これは、何ですか」一つを拾って鉱山師に尋ねる。
鉱山師はそれを受け取って、懐から出した磁器の欠片にこすりつける。
白い磁器に緑黒色の条痕が付く。
「これは銅石だな」黄銅鉱のことらしい。
片田は受け取って、それも脇に置く。
この時期の日本では、まだ磁器が作られていない。日本で磁器が作られるのは豊臣秀吉以降だ。したがって、鉱山師が持っていた磁器の欠片は、輸入磁器の破片だろう。
やっと方鉛鉱を見つけた。
「これ、鉛石ですよね」片田が訪ねる。
「そうじゃ、よく知っておるな」
「これがたくさんほしいのです」
「これを買うというのか、かまわぬがこの石から鉛を取るときに焼かなければならない。焼くと瘴気が出るのは知っているのか」
「はい、知っています。その瘴気も欲しいのです」
「変わったやつじゃ。体に悪いということを知っておるのならば、よかろう鉛石のままで売ってやる」
ふた月に一度、十俵の方鉛鉱と百貫の銅、銅の方は精錬済みのものを買うことにした。
さらに硫黄一俵、雲母一合も注文することにした。
「輸送費が高くつくが、いいのか」
「かまいません、長期続けて買うのでよろしくお願いします」
「わかった、では取引を始めることにしよう」
「あと、この見本、すべて購入しますので、置いていってください」
「購入せんでも、やる。持ち帰る手間が省ける」
「それはありがたい」
鉱石を外から見ただけではわからない。どんな金属がふくまれているのか、時間のあるときに分析してみよう。
鉛と硫酸、それに銅と硫黄の継続的な供給の道が出来た。
鉛は小銃弾の弾頭に使う他、鉛電池の電極にもなる。瘴気とは亜硫酸ガスのことで、水に溶かせば硫酸が出来る。銅は電気回路や薬莢になる。薬莢は銅と亜鉛の合金である真鍮製である。硫黄粉末は硝石、木炭粉と混ぜて黒色火薬になる。
いずれも、まだ先のことであるが、これでその材料がそろった。
二か月後、最初の鉱石が届くまでのあいだに、方鉛鉱を焼く炉をつくることにした。
瘴気が出るので、片田村から少し離れた西の山の中腹に炉を置くことにする。
工程の最初は方鉛鉱を砕く石臼である。方鉛鉱は硬貨で傷つけることが出来るくらい柔らかいので、石臼で細かく砕ける。
粉砕された方鉛鉱は、密閉された第一炉のなかに送られる。第一炉にはフイゴが付けられて、外部から強制的に大気を送る。排気口から出た排気はパイプで水の入ったビンに送る。ビンは十個ほど直列につなげられている。
第一炉からの排気は瘴気、すなわち二酸化硫黄というガスである。二酸化硫黄を水浴させると水が亜硫酸になり、さらに硫酸となる。
ビンは定期的に移動させる。
炉に一番近いビンは取り外し、硫酸として保存する。
ビンは炉から一番遠いビンより、近い方に順に定期的に移動させる。炉に近いビンほど硫酸濃度が濃くなる。一番遠いところに真水をいれたビンを加える。
方鉛鉱は鉛と硫黄が一対一で結びついたものである。これを第一炉で大気を送り込んで焙焼すると、硫黄と酸素が交換され一酸化鉛という黄色い粉末になる。交換された硫黄は、上記のように酸素と結びついて二酸化硫黄という気体になるのだった。
第二炉はコークス炉である。コークスとは石炭を酸素が無い状態で蒸し焼きにして、炭素のみにした石炭版の木炭のようなものである。
コークス炉は燃焼時に酸化鉛の酸素を奪う(還元)ため、第二炉で酸化鉛から酸素が奪われて金属鉛になる。奪われた酸素はコークスの炭素と結合して二酸化炭素という気体になる。




