忍坂山城(おさかやまじょう)
「春日義雄さんは、片田順さんの甥御さんですよね」
作家と称す男が、地元の新聞社の紹介で、取材したいと言って春日義雄の家を訪ねて来た。
「そうです。片田順は私の母の兄で、伯父にあたります」
「片田順さんが諏訪の実家から失踪したあと、あなたのお母さんが片田さんを匿っていた、とのことですが、本当のことでしょうか」
作家は、片田順の失踪後についての本を書こうとしていた。作家は義雄の許可をとりICレコーダーで録音しながら、タブレットでメモを取る。
「はい、当時、私たちは父の仕事の関係で奈良市内に住んでいました。そこに突然、順伯父さんがやってきたのです。マスコミにつきまとわれ、観光客に追い回されるので、逃げて来たそうです」
「それで、同居されたのですか」
「はい、一週間ほど同居していました。けれどもその間に母が、桜井市内にアパートを借りる手続きをして、賃借契約が出来たのでそちらに引っ越していきました。片田順という名前は有名になっていましたので、名義は私の母のものでしたが」
「それっきりですか」
「いえ、伯父は戦前の男でしたので、家事はさっぱりでした。それで母が週末に通い、伯父の身の回りのことをしておりました。私は母と一緒に桜井の伯父のところで週末を過ごしました。伯父が自分のことを出来るようになったのは私が小学校を卒業する頃でしたでしょうか」
「どのようなことを話し合われたのですか」
「伯父は、戦争で負傷したあと、室町時代の日本にしばらくいたのだ、と言っていました」
「室町時代に、ですか」
「はい、変におもわれるかもしれませんね。でも当時小学生だった私は、否定しませんでした。それにとても面白い話でしたので、伯父にもっと話してくれるようにねだりました。それなので、伯父も私をかわいがってくれたのでしょう」
「どのような話をされたのですか」
「桜井市を散歩しながら、いろいろな話をしました。伯父は母がいるところでは、この話をしてくれませんでした。母には信じられないと思ったのでしょう。ですから話を聞いたのは二人で外出したときでした」
「大和川が盆地に出てくるところにある慈観寺の脇を歩きながら、昔ここに好胤という僧侶が居た。その僧に拾われて、伯父は寺男をやっていたそうです。それから、倉橋の溜池の方に登っていき、国宝の水道橋を見ながら、この水道橋を設計したのは『ふう』という名前の女性だ、とも言っていました」
「室町時代に女性が水道橋を作ることが出来るんでしょうか」
「さあ、わかりません。本当かどうか、そんなことはどうでも良かったんです。それよりも話が本当に面白いのです」
「面白い、というと例えばどんな話ですか」
「スクリュー式ポンプを作って外山の村の水不足を解消した。白米で『しろむすび』を作って立売したら良く売れた。シイタケの菌床栽培に成功して、干しシイタケを明にまで輸出して大儲けした。眼鏡を作って興福寺の尋尊さんに高く売りつけた、などです」
「菌床栽培の干しシイタケや眼鏡が当時あれば、それは売れるでしょうね。『しろむすび』の立売ですか、『コンビニおにぎり』のようなものですかね」
「はい、飛ぶように売れたそうです」
「他には、なにかありますか」
「あります、不思議な所に連れて行ってもらいました」
「不思議なところですか」
「はい、倉橋溜池から、さらに粟原川沿いに東に登っていく途中に、地元でもよく知られていない古墳があります。少し山に入らなければなりませんが」
「古墳ですか。古墳が片田さんとなにか関係があるのですか」
「はい、ニューギニアで死にかけたときに、気が付いたら、その古墳の玄室にいたのだそうです。それも室町時代の」
作家と称す男が、疑わしそうに言う。
「それは、にわかには信じがたいですね」
「そうでしょうね。でもいいんです。当時の私は伯父の話に夢中でした」
「そうですか」
「で、室町時代で二十四年程暮らした後に、玄室を覗きに来たら、現代のニューギニアに戻ってしまった、というのです」
「いや、それは」作家が言う。
“これは小説のネタにはならんな”作家が思った。
「信じられませんか」義雄が言う。
「はい、どうも。ちょっと無理なようです」
「そうですか。でも私を玄室に連れて行ってくれたのは、伯父が桜井に引っ越した翌日でした。母と三人で引っ越し荷物の整理をして、その夜は伯父のアパートに泊り、翌朝のことだったのですよ」義雄が続ける。
「生まれてからずっと諏訪に住み、士官学校時代は東京で暮らしていた伯父でしたが、桜井の地理をよく知っていました」
「地元の人ですら入口を知らないような古墳にまで、伯父は迷わずに連れて行ってくれました。これでもですか」
「いや、失礼ですが、それはあなたがおっしゃっているだけですから」
「それはそうですね、ではもう一つだけ申し上げましょう」
「はい、お願いします」
「忍坂山城というのをご存じですか」
「知っています。片田衆の山城ですね。外山のすぐ南にあります。中世の城にしては大変良く残っている城です」
「城の奥に多数の庫が残っています」
「はい、戦国時代の空になった備蓄壺が多数残されています。あまりに多いので奈良県も大部分は放置したままだといいます。小さな山城一つのために、数万人が一年も過ごせるような備蓄を何故したのか、歴史上の謎だと言われています」
「伯父は、その壺の中から、縁に切り込みのある壺を選び、私に言いました」
「ここに切り込みがあるのが、見えるか。この壺を割ると、ほら底に砂金が入っているだろう。これは私たちが入れたものだ、そういって土器に閉じ込められていた砂金を、小学生だった私の手に握らせたのです」
「これが、その時の砂金です」義雄は引き出しから砂金を取り出して作家に見せた。
「あなたも忍坂山に行ってみてください。切り込みのある空壺は、まだたくさんありますよ」
作家の手が止まった。
「もっと詳しく、片田さんの室町時代の話を聞かせてください」
- いったん おしまい -
長い物語、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
片田順のお話は、ここで一旦停止です。
この先は、片田達がアジアやインド洋に出ていくのですが、
筆者にその方面の知識が不足しております。
また、楽しんでいただける物語を書くため、研鑽してまいります。
しばらく、お時間をください。
あと、感想を書いてくださった方々、ありがとうございました。
”感想が書かれました”とホームページに表示されると、
いつもドキドキでした。
ろくに返信もできませんで、申し訳ありません。
では、またいつか、お会いしましょう。
弥一




