安宅丸(あたかまる)
将軍の前から退去した片田が、小山七郎さん、犬丸のいる陣屋に入る。
「小山さん、犬丸を数日貸してもらえませんか」片田が小山七郎さんに言った。犬丸は騎兵の百人隊長として、七郎さんの指揮下にいる。
「犬丸殿を貸せと。何にお使いじゃ」
「北陸道、ウツロギ峠への使者になってもらいます」片田が言った。
「なんで俺なんだ」犬丸が尋ねる。
「安宅丸達は、一年近く周囲を敵に囲まれて耐えてきた」片田が説明する。
「当然、警戒心が高くなっていて、なまじの者が行っても信用されないだろう。その点犬丸ならば、小山さんの側にずっと居て兵の訓練にも携わってきた。向こうのみんなに顔が知れている。安宅丸も犬丸の言うことならば信用するだろう」
「そうじゃな」戦場をよく知っている小山七郎が頷く。
犬丸は将軍の通行証と駅馬の使用許可証、それに片田が安宅丸に宛てて書いた書状を携えて、北陸に向かった。
北陸道の敦賀から、少し北にあがったところに越坂という小さな集落がある。中心にある少彦名神社を過ぎると、すぐに急な下り坂になる。その坂を下り切ったところが安宅丸の片田関だ。北陸道を囲む杉林を縫って三騎の騎馬武者が降りて来た。騎馬武者と言っても軽装である。先頭の白い旗を立てた武者は青の水干に茶色の袴、帯には鞘巻を差してしているばかりだった。
「あれ、先頭の男、犬丸殿でねぇか」片田関を守る兵が言った。
「お、おぅ、そうじゃのお、なんでこんな所に犬丸様がおるんじゃ」
皆、髪も髭も伸び放題のむさくるしい姿だった。
三騎が関所に入る。
「安宅丸は居るか」犬丸が尋ねる。
「安宅丸様は、峠の重迫陣地に居る」
「案内してくれないか」
「わかった、護衛をつけて案内する」
関所の兵は、護衛をつける、といっていたが、犬丸達を警戒しているのが感じられる。
“『じょん』が言っていたのは、こういうことか”犬丸は思った。
峠で馬を降り、西側の斜面を登る。斜面の木々は焼き払われていた。
尾根筋にたどり着く、そこから少し行ったところに迫撃砲の陣地があった。尾根向こうの斜面には、無数の爆発の跡があり、火薬の臭いと、木が焦げた臭いがする。犬丸が護衛に案内されて陣中にはいる。
「犬丸なのか、どうして犬丸がこんなところに来た」髪を振り乱し、無精髭を延ばした安宅丸が振り返って言った。明らかに犬丸のことを疑っていた。
“まるで山賊の親玉だな、よほど辛い思いをしたんだろう”犬丸が思った。
陣地を守る安宅丸の部下達も、土蜘蛛の群れのようだった。
「戦は終わった。御所と内裏は『じょん』が押さえた。目的を失った西軍は国に帰りつつある。まだ山城と丹波に西軍が残っているが、それを追い出すためにウツロギ峠の閉塞を解くそうだ。『じょん』が言っていた。これが『じょん』から預かった書状だ」
犬丸がそう言って安宅丸に片田の書を渡した。
安宅丸が書を開く。何かが落ちた。安宅丸はそれに構わず、見慣れた片田の文字を読む。犬丸が言っていたとおりの事が書いてあった。書状に、どこかおかしなところが無いか、探るように、前に戻り、後を探り、何度も読み返した。
読み終えた安宅丸が、書状から落ちた物を探して拾う。地面に丸い丸薬のようなものが三粒落ちていた。
安宅丸がそれを顔に近づけた。山椒の実だった。
山椒の事を知っているならば、『じょん』に間違いないだろう。
山椒の香りが、忘れていた色々なことを思い出させた。
「もう、戦わなくともいいのか……戦わなくとも、いいのだな」安宅丸の目尻から涙が落ちた。
「ああ、戦は終わったんだ。村に帰ろう」犬丸が言った。




