表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
195/629

摂津国(せっつのくに)

 片田が足利義政から呼ばれて、上洛することになる。桂川流域に野営していた西軍兵の兵も、多くは国に帰り、桂川・淀川流域が安全になったという。片田は海路で京都みやこに登ることにした。

 桂川に入ると、なるほど、河原に無数の野営の跡があったが、兵達はいなくなっていた。大内政弘まさひろ摂津せっつに、畠山義就よしひろ河内かわちに居残っているが、大方の大名の兵は国に帰ったようだ。

 山名宗全は、大内政弘に、摂津はめて置けと言っていたが、宗全の兵も細川の丹波たんば国に、半分程残して駐留したままであった。食えない男だ。

 東軍側は、細川勝元の摂津国、丹波国が、それぞれ大内政弘と、山名宗全に占領されたままなので、下向せず待機している。


 堀川で舟から降り、御所と内裏を囲む『片田構かただかまえ』の内に入る。堀と土塁どるいはほぼ完成していた。土塁の上には、一部に練塀ねりべいが建てられ始められていた。

 馬出うまだしを抜けて内部に入る。中は焼け果てたままであった。まだそこまで手が回らないようだ。


「片田、よく来てくれた」足利義政が言う。室町第には、義政、細川勝元、山名宗全、大内政弘がいた。


「私にどのような御用があるのでしょうか」

「うむ、周防介すおうのすけ(大内政弘)がな、手ぶらでは国に帰れん、と申すのだ」義政が言う。

「手ぶらで、ですか」

「そうじゃ。莫大な費用を投じて上洛しておいて、なにも成果がないというのは納得がいかないという」

「当然のことだ。勝ち戦も同然の戦いであったのじゃからな」大内政弘が憮然ぶぜんとした表情で言う。

竜骨りゅうこつ式の商船を十隻程作って差し上げましょうか。費用はいただきますが」片田が言う。

 竜骨を持つ片田の船は和船に比べ、丈夫であり、外海の荒波にも強かった。明や朝鮮、琉球りゅうきゅうと交易するのにってけの船だった。政弘も、水軍の村上義顕よしあきも片田の船を欲しがっていた。しかし、砲艦隊を『応仁の乱』までに造らねばならなかったので、片田はその注文を断っていた。

 政弘は、少し考える素振そぶりを見せたが、思い直したようだった。

「火薬の製法を教える、というのであれば聞かぬこともないが、そのような子供だましの話に乗るか」


「最近では、摂津せっつ国人こくじんを呼び出して、土地台帳、人別帳を出せとか、検地、人別改めをする、などとやっておる、ふざけておる」細川勝元が言った。そうとう怒っている。怒り過ぎて、冷静になれないようだった。

「摂津国を獲ろう、というのですか」片田が尋ねる。

「そのつもりのようじゃ」義政が他人事のように言う。政弘は黙っていた。


堺を片田に獲られた細川勝元が、摂津国と摂津国にある兵庫、尼崎の港を獲られたら、京都へ持ち込む商品の陸揚げ港をすべて失ってしまう。細川勝元としては、とうてい認められることではないだろう。大内政弘も、まさか本気で摂津を獲ろうとしているのではあるまい、と片田は思った。

おそらく、ここでごね倒して、讃岐さぬき土佐とさ寄越よこせ、そんなふうに持っていこうとしているのかもしれない。


「片田、なんとかならぬか」義政が言う。

「あの、私は幕臣ばくしんではないのですが」

「それは、わかっとる、わかっとるがなんとかならぬか」義政が無理なことを言う。山名宗全は何か考えているようだったが、自分から口に出すことは出来ないようだった。

 なんとか、といわれても、摂津の大内を攻撃するようなことは出来ない。今までの西軍諸将との関係を失ってしまうであろうし、名分もない。幕臣でもないのに将軍の命令で攻撃したなどというのは、変な話だ。内裏(天皇)は摂津国のことなど、関心も無いであろう。


「周防介(政弘)様、国内の御様子はどうなのでしょう」片田が言ってみる。

「どういうことだ」

「私は堺で商売をしておりますので、自然といろいろなうわさが耳に入ってきます」

「だから、どうした」

肥前ひぜん少弐しょうに殿、御身内の道頓どうとん殿などに、最近動きがあるやに聞いております。摂津などにいらして大丈夫でしょうか」

「あれは、すえに任せておる、たいしたことではない」

 政弘が断じるが、最近国内の動きがあわただしいことは確かだった。道頓や少弐教頼のりよりが既に挙兵きょへいしている。国に居る陶弘護ひろもりからは、しきりに帰国を促す便りが届いていた。政弘も遠からず帰国するつもりであるが、帰国前に戦果が欲しい。


 山名宗全の顔が曇る。彼も事情は同じだった。通常、大きな乱があるときには、一揆は収まる。一揆を起こさなくとも、乱に参加すれば戦利品が得られるからだ。であるのに、美作みまさか備後びんごなどでしきりに国人一揆、土一揆が起きる。

しかも強い。

現地からの報告では、かなりよい装備を持っているという。どこからそんな銭が湧いてくるのか。

 宗全は丹波に残した半数以外の兵をそれら一揆に投入していた。

山名宗全が、疑わしそうに片田の顔を見る。


「そうですか、ここまで申し上げても摂津に居られるというのですか、わかりました」片田が言う。

「私は幕臣ではありません。従いまして、大内殿を攻めるようなことは出来ません。しかし、北陸道、ウツロギ峠の封鎖を解くことは出来ます」続けて片田が言った。


「その手があったか、何故気づかなかったか」細川勝元が言った。怒りにとらわれ過ぎていたのだろう。

 山名宗全が、やはりそうきたか、という顔をする。将軍義政は、何も考えていなかったようだ。

 安宅丸あたかまるが封鎖するウツロギ峠の向こう側には、畠山政長まさなが、京極政高まさたか富樫とがし政親まさちか斯波しば義敏よしとしなどの東軍一万余りがいた。摂津、丹波が占領されたままなので、みな待機している。西軍が引き上げつつある今、これらの軍勢に、若狭わかさの武田国信くにのぶ近江おうみ京極きょうごく勝秀かつひでらが加わり、摂津国に攻め込めば、大内とてたまるまい。


「本気で言っておるのか」大内政弘が尋ねる。

「本気で言っています。大乱は終わりつつあります。もうウツロギ峠を閉塞へいそくし続ける意味はなくなりました」片田が言う。

「大樹(足利義政)様、近江、若狭の通行証と、駅馬の利用許可をお願いいたします。さすれば、明日中には、ウツロギ峠の封鎖が解けるでしょう」

「よろしい、すぐに祐筆ゆうひつに用意させる」


「わかった、俺も承知した。摂津から引き揚げる。片田船十隻で、手を打つことにしよう」大内政弘が不承不承ふしょうぶしょう言った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ