摂津国(せっつのくに)
片田が足利義政から呼ばれて、上洛することになる。桂川流域に野営していた西軍兵の兵も、多くは国に帰り、桂川・淀川流域が安全になったという。片田は海路で京都に登ることにした。
桂川に入ると、なるほど、河原に無数の野営の跡があったが、兵達はいなくなっていた。大内政弘は摂津に、畠山義就は河内に居残っているが、大方の大名の兵は国に帰ったようだ。
山名宗全は、大内政弘に、摂津は止めて置けと言っていたが、宗全の兵も細川の丹波国に、半分程残して駐留したままであった。食えない男だ。
東軍側は、細川勝元の摂津国、丹波国が、それぞれ大内政弘と、山名宗全に占領されたままなので、下向せず待機している。
堀川で舟から降り、御所と内裏を囲む『片田構』の内に入る。堀と土塁はほぼ完成していた。土塁の上には、一部に練塀が建てられ始められていた。
馬出を抜けて内部に入る。中は焼け果てたままであった。まだそこまで手が回らないようだ。
「片田、よく来てくれた」足利義政が言う。室町第には、義政、細川勝元、山名宗全、大内政弘がいた。
「私にどのような御用があるのでしょうか」
「うむ、周防介(大内政弘)がな、手ぶらでは国に帰れん、と申すのだ」義政が言う。
「手ぶらで、ですか」
「そうじゃ。莫大な費用を投じて上洛しておいて、なにも成果がないというのは納得がいかないという」
「当然のことだ。勝ち戦も同然の戦いであったのじゃからな」大内政弘が憮然とした表情で言う。
「竜骨式の商船を十隻程作って差し上げましょうか。費用はいただきますが」片田が言う。
竜骨を持つ片田の船は和船に比べ、丈夫であり、外海の荒波にも強かった。明や朝鮮、琉球と交易するのに打って付けの船だった。政弘も、水軍の村上義顕も片田の船を欲しがっていた。しかし、砲艦隊を『応仁の乱』までに造らねばならなかったので、片田はその注文を断っていた。
政弘は、少し考える素振りを見せたが、思い直したようだった。
「火薬の製法を教える、というのであれば聞かぬこともないが、そのような子供騙しの話に乗るか」
「最近では、摂津の国人を呼び出して、土地台帳、人別帳を出せとか、検地、人別改めをする、などとやっておる、ふざけておる」細川勝元が言った。そうとう怒っている。怒り過ぎて、冷静になれないようだった。
「摂津国を獲ろう、というのですか」片田が尋ねる。
「そのつもりのようじゃ」義政が他人事のように言う。政弘は黙っていた。
堺を片田に獲られた細川勝元が、摂津国と摂津国にある兵庫、尼崎の港を獲られたら、京都へ持ち込む商品の陸揚げ港をすべて失ってしまう。細川勝元としては、とうてい認められることではないだろう。大内政弘も、まさか本気で摂津を獲ろうとしているのではあるまい、と片田は思った。
おそらく、ここでごね倒して、讃岐か土佐を寄越せ、そんなふうに持っていこうとしているのかもしれない。
「片田、なんとかならぬか」義政が言う。
「あの、私は幕臣ではないのですが」
「それは、わかっとる、わかっとるがなんとかならぬか」義政が無理なことを言う。山名宗全は何か考えているようだったが、自分から口に出すことは出来ないようだった。
なんとか、といわれても、摂津の大内を攻撃するようなことは出来ない。今までの西軍諸将との関係を失ってしまうであろうし、名分もない。幕臣でもないのに将軍の命令で攻撃したなどというのは、変な話だ。内裏(天皇)は摂津国のことなど、関心も無いであろう。
「周防介(政弘)様、国内の御様子はどうなのでしょう」片田が言ってみる。
「どういうことだ」
「私は堺で商売をしておりますので、自然といろいろな噂が耳に入ってきます」
「だから、どうした」
「肥前の少弐殿、御身内の道頓殿などに、最近動きがあるやに聞いております。摂津などにいらして大丈夫でしょうか」
「あれは、陶に任せておる、たいしたことではない」
政弘が断じるが、最近国内の動きがあわただしいことは確かだった。道頓や少弐教頼が既に挙兵している。国に居る陶弘護からは、しきりに帰国を促す便りが届いていた。政弘も遠からず帰国するつもりであるが、帰国前に戦果が欲しい。
山名宗全の顔が曇る。彼も事情は同じだった。通常、大きな乱があるときには、一揆は収まる。一揆を起こさなくとも、乱に参加すれば戦利品が得られるからだ。であるのに、美作や備後などでしきりに国人一揆、土一揆が起きる。
しかも強い。
現地からの報告では、かなりよい装備を持っているという。どこからそんな銭が湧いてくるのか。
宗全は丹波に残した半数以外の兵をそれら一揆に投入していた。
山名宗全が、疑わしそうに片田の顔を見る。
「そうですか、ここまで申し上げても摂津に居られるというのですか、わかりました」片田が言う。
「私は幕臣ではありません。従いまして、大内殿を攻めるようなことは出来ません。しかし、北陸道、ウツロギ峠の封鎖を解くことは出来ます」続けて片田が言った。
「その手があったか、何故気づかなかったか」細川勝元が言った。怒りにとらわれ過ぎていたのだろう。
山名宗全が、やはりそうきたか、という顔をする。将軍義政は、何も考えていなかったようだ。
安宅丸が封鎖するウツロギ峠の向こう側には、畠山政長、京極政高、富樫政親、斯波義敏などの東軍一万余りがいた。摂津、丹波が占領されたままなので、みな待機している。西軍が引き上げつつある今、これらの軍勢に、若狭の武田国信、近江の京極勝秀らが加わり、摂津国に攻め込めば、大内とて堪るまい。
「本気で言っておるのか」大内政弘が尋ねる。
「本気で言っています。大乱は終わりつつあります。もうウツロギ峠を閉塞し続ける意味はなくなりました」片田が言う。
「大樹(足利義政)様、近江、若狭の通行証と、駅馬の利用許可をお願いいたします。さすれば、明日中には、ウツロギ峠の封鎖が解けるでしょう」
「よろしい、すぐに祐筆に用意させる」
「わかった、俺も承知した。摂津から引き揚げる。片田船十隻で、手を打つことにしよう」大内政弘が不承不承言った。




