片田軍上洛(じょうらく)
片田の受諾の意を受けた一条兼良は、急ぎ上洛した。
「何、幕府の門には下らぬが、皇室にならば従う、というのか。なるほどのう」足利義政が言った。
「何故そのように考えるのか、よくわからん。武家の棟梁の立場としては、捨て置けぬが」
「それでも、片田が上洛するのであれば、京都の事は収まるのではないか」兼良が義政を説得する。
「内裏も仙洞も、今はこの御所(室町第)におるのじゃ。内裏を守るということは御所を守る、ということであろうな」
「そのことは、念を押して片田に尋ねております。幕下(征夷大将軍のこと)も併せてお守り申し上げると誓っています」
「それならば、よかろう。早速除目と叙位を行うがよい。このことは武蔵守(細川勝元)には言わないで進めよ」
義政は、除目を待たずに、山名宗全、細川勝元の両者に停戦を命じた。
両者は、即時停戦し、兵を京から下がらせて、国元に返すこと。
河内については、畠山義就と政長が話し合い、二人で半国ずつ納めるなどして解決せよ。
などを、御内書として発行した。
東西両軍の将は、いずれもこれに従わなかった。
従うわけがない。この時までに、山名宗全は、播磨国を東軍の赤松政則に奪われていた。細川勝元も、片田に和泉国、淡路国を獲られていた。ここで収まりがつくわけがない。
義政は諸将が従わないであろうことは予期していた。それでもよかった。ここで一旦停戦を命じて置けば、片田を上洛させる口実になる。
将軍御内書と入れ替わるようにして、今上陛下により臨時の除目と叙位が行われ、片田順は従五位下、左兵衛佐となった。
併せて、急ぎ上洛し拝謁せよ、との命が下る。
この時の陛下は、後に後土御門天皇と呼ばれるお方であった。
「河内の遊佐は和泉に攻めてきますかね」犬丸が小山七郎さんに尋ねる。
「いやぁ、来るとは思えんな。二正面に敵を抱えるようなことは、せんじゃろ」
遊佐が和泉国を攻撃すれば、和泉と京都、正反対の二方向から攻撃されることを言う。
「和泉と和平を結んででも、河内で米と兵を集め、京都に回すか、ないしは淀川北岸の西軍の兵站路を絶つかするほうが余程よい」
「なるほど、そうですよね」
小山七郎が言う通り、遊佐の兵団は和泉国国境どころか、大和川以南に来ることもなかった。なるべく和泉国との衝突を避けたいという意図が見える。
片田のところには、現在約二万の兵力があった。淡路国の平定に五千、和泉に三千を残すことにした。加えて片田村の復興などに二千の兵を送る。残りの一万で上洛することとした。
どこを通って上洛するか。
方法は二つあった。
一つは河内国を突破する方法である。もう一つは大和国から、木津、宇治と登って京都に向かう方法である。
河内国を突破する方法では、突破後、後顧の憂いが無くなることが利点である。しかし、一方で所々に籠城する河内軍を押さえるために、兵を割かなければならないことが欠点であった。時間がかかるというのも好ましくない。
片田は大和行きを選んだ。
大和国と山城国を分かつ低い峠を越えて山城国に入ると、やがて木津川に出る。橋を渡れば狛の集落である。
この橋を片田の軍が進軍し、京都のある山城国に入っていく。
先頭は犬丸と小山七郎さんが率いる、百騎の騎兵の集団である。その後ろに千名の銃歩兵と荷車が通る。荷車には重迫撃砲とその砲弾、軽迫撃砲弾、小銃弾などを納めた木箱が無数に乗せられている。
続いて多連装噴進砲の車両が十両過ぎてゆく。架台の脇に『かぞえ』の小柄な姿も見えた。噴進砲車両は、噴進砲弾の納体を積んだ荷車を多数従えていた。
茜丸の姿も見える。従軍医師達の集団であろう。
また、騎兵の小集団が来て、その後ろには、奈良で合流した、興福寺、東大寺などの僧兵群が参加していた。朝廷の官軍である、という名目のもと参加してきた者達だった。十市遠清さんの軍も参加していた。多数の僧兵の後ろに小さく見えるのは、また銃歩兵とその装備品を運ぶ荷車であろう。どこまでも続いている。
最後尾は、まだ大和国との国境を跨いでいないに違いない。




