村祭りの一日
十市遠清が布等を使用した投石術を知らないはずはないと、ご指摘をいただきましたので修正
関心がおありになるかたはWikipedia「印地」を参照してください。
村の収穫祭の日が来た。内検と収納の日でもある。というよりも後者の方が本当は大事なのである。
内検は、領主の代官、羽鳥氏が来て、今年の収穫を確かめ、村人と年貢高を確定させて、書類を交わすことである。収納は、その後領主が酒や料理を用意して村人にふるまうことである。現代の日本の会社も、決算の後に幹部会などと称して社員に飲食をふるまうが、これは昔のなごりかもしれない。
慈観寺の川向こうに小高い丘がある。その丘の頂上に耳成神社がある。ご神体は、丘の上から西に望む耳成山である。
朝、代官の羽鳥氏が村を訪れ、沐浴をした後に耳成神社に榊を奉納する。今年は領主の十市播磨守も来ていた。内検といっても、先日播磨守が、直々に村に来ていたので、今年は形ばかりだった。十市遠清と、羽鳥氏が、村の有力者と神前で相対し、内検帳という、年貢の明細書二通にそれぞれ署名して取り交わした。
その後、神事として、力石と相撲が村人によって行われ、最後は収納で領主が酒食をふるまい、宴会となる。ただ今年は力石と相撲の奉納を拡大することにした。競技を増やしたのだ。提案したのは片田だった。
槍術、短距離走、スリング、穴掘り、などもやりましょう。片田はそれぞれ賞金を出す。といった。各種目、一位三百文、二位二百文、三位百文の賞金を出すといった。それまで面倒くさそうな顔をしていた村人が、金がかかると、がぜんやる気をだした。
いずれ、戦や一揆が起こることもあるだろう。そのときのための戦闘訓練のつもりだった。槍と短距離走はそのままだ。戦場では走って槍で戦う。穴掘りは、塹壕や、臨時の空堀を作ることに通じている。スリングというのは、革や布の帯を使って石を遠くに投げるものをいう。
境内では、力石といって、いくつか並んだ異なる重さの石を持ち上げる競技が始まる。同一の石で勝負がつかないときは、肩まで持ち上げたとか、頭の上まで持ち上げたという型で勝負を決める。
その隣の土俵では、相撲もはじまった。
播磨守たちは、神社の石段を下り、村におりる。慈観寺の境内では、槍術の試合が行われている。各自おもいおもいの長さの棒を持参してきている。ルールは一対一の勝負となる。怪我をしないように棒の先端に麻布の団子を付ける。それに墨汁を付け、体に墨が付いた方が負けとなる。早くもあちこちに墨を付けた男どもが歓声を上げている。
播磨守は、槍術試合が気に入ったようで、わしも賞金を出そう、といった。一位にさらに二百文出すことになり、槍術の優勝者には播磨守特別賞優勝者という称号が与えられることになった。
村の中心を東西に走る道では、短距離走をやっている。時計がないので、二人一組で走り、速い方が勝ち残る、という方法を繰り返すことにした。ご苦労なことである。
干上がった溜池では踏鋤というスコップのようなもので、穴掘り大会が始まっていた。一斗樽十杯。すなわち一石(百八十リットル)の土を掘る速度を競争している。
播磨守は土手に戻ってきた。慈観寺の対岸である。河原に小屋が置かれている。片田が播磨守を見つけて寄ってくる。
「これが、スリングか」
「はい、半間(九十センチメートル)程の麻布の帯です」
「これで石を投げるというのだな。印地じゃな」
「片方の端を利き腕の手首に縛ります。そして、帯の中ほどの袋のところに石をいれ、帯の反対側を握ります。袋は石が飛んでいく側が開いています」
片田がやってみせた。右手首に縛った端と、右手で握った端により、U字型になった麻布の帯の真ん中に石がぶら下がる。
「ちょっと、離れてください、こうやって投げます」
そう言って片田は右腕を縦に二、三回振り回し、手に握ってた帯を放し、河原に向かって投げた。
「よく飛ぶものじゃな」播磨守は、石の飛んでいく先を眺めながら言った。
「狙うことはできませんから、兵が密集しているところに対して、大勢で投げ込む、という使い方になるでしょうね。私も含め、皆まだ慣れていませんから、短いものを使っています。もう少し長くすれば百間(百八十メートル)近く飛ばせるでしょう」
「弓よりは短いか」
「そうですね、しかし、弓のような長期の訓練はいりません。民でも使えるでしょう。それに石ならばあたりに無数にありますからね」
「実際の戦でも印地は使うが、威力が弱いのではないか、当たってもけがをする程度であろう」
「それでいいのです。相手の軍から戦う気を奪う程度で十分です」
「そういうものか」
「軍を全うするを上と為し、です」
軍を無傷で降伏させるのが上策だ、という孫子の言葉である。
河原の小屋に男が入った。この小屋は下流に向かって開かれている。川の下流側は一キロメートル程まっすぐなので、この競技にはうってつけだ。
片田がスリングを作り試したところ、初心者では、どこに飛んでいくかわからない、というあやういものだった。そこで競技者の周りを囲むために小屋を建てた。
男がスリングを振り回して投げる。
盾を持ち、土手に一定間隔で並んでいる男の一人が八十と書かれた板を掲げた。
「ほう、八十間も飛んだか」播磨守が言った。
「はい、皆、始めてから三日程です」
「百姓たちが熟達すれば、使いどころがあるかもしれんな」
日が暮れた。村人たちは耳成神社の境内に集まっている。境内の中心に祭壇が置かれ、稲藁が焚かれた。神主が祈祷を行う。
祈祷の後に神主は、各競技の上位三名に、競技名と順位、さらに宝徳元年神無月と書かれた札を渡した。元号は宝徳に替わっている。
札を持ったものは、領主の所に行き、片田が用意した賞金を播磨守から受け取った。
その後は、領主が提供した酒と食べ物で、宴会となり、村祭りの一日は更けた。




