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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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大板楯(おおいたたて)

小山朝基あさもとの陣から文を結び付けた矢が筒井城内に放たれた。

「周囲の田では稲穂が実っている。手遅れにならぬうちに、民の収穫を許す。兵による狼藉ろうぜきを禁止するので、安心して刈り取りに出るがよい」


確かに、越智の兵が陣を置いていたため、収穫が例年より少しばかり遅れていた。これ以上遅らせると米の味が悪くなるので城内の農民は困っていた。


これは、何かの計略ではないか、という意見が城内で出た。他方で収穫は行わなければならない、とする考え方もあった。

そこで、民の中から志願者をつのり、老いた者を数名選抜して、城外の稲刈りをさせてみた。

矢文やぶみにあるとおり、片田兵も越智兵も手を出してこなかった。朝基は刈り取りの終わったところに兵達を移動する。

これならば、大丈夫であろう、ということになり、翌日は城内の多くの民が収穫に出た。


長砲身軽迫撃砲の試作品が二十台程片田村から届いた。もともと長い鉄管を携帯に便利なように一尺で切っていた。それを四尺にするだけなのですぐに作ることができる。施条ライフルなどの特殊な加工は無い。砲尾を支え、衝撃を吸収する底盤ていばんは従来通り。撃針げきしんを含む砲尾もそのままである。砲を斜めに支える支持架しじかは重迫撃砲の物を流用していた。

鍛冶丸かじまるの文が添えられていた。

「推進火薬を減らしてほしいとの希望を受けたが、推進剤の成型用金型かながたを別途製作するには日数が必要である。そのため、推進剤の火薬分量を減らし成型材であるにかわを増やしている。念のため、砲尾を補強して五十発ほど撃ってみたが、砲身は破裂しなかった。火薬量を減らした軽迫弾は弾頭を黄色く塗って区別できるようにしている」

 とのことであった。迫撃砲弾の推進薬は円筒形で、その回転軸に細い空洞が開けられ、燃焼を安定させる。その成型のための金型を作るのに時間がかかる、というのである。送られてきた砲を見ると、確かに尾部が少し膨れていた。外側に鉄管を巻き、二重にしているらしい。


 試射させてみると、砲身が延びた分だけ弾着精度が高くなっていた。

“これならば、内曲輪うちぐるわだけに着弾させられるだろう”朝基は思った。



小山朝基の軍が筒井城内に迫撃砲を撃ち始めたので、田に出ていた農民が動揺する。

自宅の安否を気遣い、皆城内に向かう。

 一旦砲撃を停止した。


 被害が内曲輪だけであることを確認した農民達が、戻ってくる。そのあとは遠慮なく砲撃することが出来るようになった。


 翌日、農民達は迫撃砲による攻撃を気にしなくなった。城からは年寄りも子供も出て来て、遅れた収穫を取り戻そうとしていた。

 日中に城内に残ったのは筒井の兵以外には、僧、神主、職人、病人ぐらいなもので、元気で仕事の出来る者は総て田に出た。


 朝基の陣に二十枚程の大きな板が届けられた。片田村で製材された板で、舟で大和川を下り、岡崎川を馬で引かれてさかのぼって届けられた板だった。

 長さ三間(約五.四メートル)幅は三尺(九十センチメートル)程の合板で片側に六ケ所、持ち手がネジ止めされていた。持ち手の脇に、長い棒が金輪かなわで取り付けられていて、それを持ち上げて板を立てることも出来た。


「おお、届いたか」朝基は板一枚あたり兵六名を割り当て、頭上に担ぎ上げたまま前後に歩かせてみたり、付属の棒で板を垂直に立ててみたりした。やがて納得がいったのか、明日筒井城の西門を攻撃することを兵達に伝え、作戦を指示した。


次の朝、風は無い。野良のらに行く村人が筒井城西門の脇戸から出尽くした。二間幅の堀にかけられた板橋が外され、内部に引き入れられたのを見た朝基さんは、西門攻撃を開始することにした。

まず、後方に配置された砲が乱射で筒井城西門の背後に石をまき散らし続ける。

 次に先頭に板を持つ兵が二十組、横一線に並んで前進する。板は前後が長くなるように持ち、前をやや低く傾けて矢を防いでいる。

 その後ろを三台の臼砲きゅうほうが砲車に載せられて進む。臼砲の後ろには、水桶、火薬袋、布に包まれた砲弾のようなものなどを乗せた荷車が続く。砲と荷車は、板楯に守られていた。

 それらの後ろから、距離を置き多数の小銃兵が城に向かって銃を構えながら続いた。

 小銃兵は筒井城の土塀どべいの上から矢を放とうとする筒井兵を狙撃する。


 臼砲が西門の前に据えられる。板を持つ兵達がその周りを扇形に囲み敵兵の放つ矢から砲兵を保護する。板はほぼ真っすぐに建てられ、楯の役割をした。


 守兵の放つ矢が大板楯に何本か刺さる。


 板の隙間から臼砲が顔を出す。砲口からは、古布に包まれた何かが顔を出していた。


「撃て」砲兵を指揮する十人隊長が叫ぶ。轟音が轟き、細く黒い物が無数に飛び出し、西門に突き刺さった。細い鉄の棒である。数本が扉の板を突き抜けて、向こう側に飛び込んで行ったようだ。

 片田が十市とおち城の戦いで畠山の騎兵隊に使った方法だった。

 板を持った者達が砲を覆い隠し、砲兵が砲内を洗浄冷却する。砲を戻し、火薬袋と鉄筋てっきん袋を再装填する。板が動き、砲口が再度現れ、砲煙をまき散らす。

 今度は筒井城西門の扉が半ば飛び散る。残ったのは扉枠と閂の部分だけであった。

 さらに砲撃が加えられる。枠と閂も吹き飛ばされ、門が開放された。


 板楯を持っていた二十組の兵達は、二間程の幅の堀に、彼らの板を倒しけ、臨時の橋を渡した。板は何枚も重ねられ補強された。


 後方の砲兵隊が砲撃停止を命じられ、同時に小銃隊に突撃命令が出る。小銃兵が破られた西門に殺到し、城内に走りこむ。

 臼砲による落石に悩まされていた筒井兵の抵抗は弱かった。あるいは射撃で、またあるいは銃剣で筒井兵が倒されていく。

 西門付近に筒井兵がいなくなるのを見極め、百人隊長の一人に、南門開放の命令が出る。

 南門を開放すれば越智家栄いえひでの軍も外曲輪に入ることが出来る。


 筒井城の内曲輪は、城の中心近くにあり、百間(百八十メートル)四方の正方形で、やはり周囲に堀を切っている。

 百人隊毎に分散した片田軍は外曲輪を守る筒井兵の掃討を始める。外曲輪は住居で満ちているのではなかった。畑や馬場があり、その中に民家が混じるような様子である。

 従って市街戦というよりは野戦に近かった。


 南門が開放され、越智軍も城内に入ってくる。西門の大板楯は回収され、代わりに城内に置かれていた板橋が渡される。板橋を渡って、臼砲三台と荷車が城内に入った。


 内曲輪も同様の方法で攻略される。筒井順永じゅんえいと彼の軍は北口を出て退却していった。


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