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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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『ふう』の解決法

 好胤こういんさんにすすめられて、『般若心経はんにゃしんぎょう』を読んでみるも、『ふう』にはさっぱり解らない。


導入部の後に、まず、色即是空しきそくぜくうと来る。現実にあるものは、すべて流転する、永遠なものは無い、と言う。

 次に、あれも無い、これも無い、全部無い、なんにも無い、と言う。

 さとりをることも無いそうだ。


 何にも無いので、心がこだわることがない。従って、心は平安だ。

 この境地に達するためには真言しんごんとなえなければならない。


 その真言とは、

「ぎゃあてぃ、ぎゃあてぃ、はらぎゃあてぃ……」

 だそうだ。


“なにを言いたいんだ”『ふう』は思った。

 もう一度読んでみる。少し心に引っかかった所があった。


【心に罣礙けいげが無い。罣礙が無いが故に、恐怖を覚えることも無い】


 罣礙というのは、何かが引っかかり、邪魔をするという意味である。


一切いっさい顛倒てんどう夢想むそうから遠く離れ、(心は)究極の平安の境地にある】


顛倒とは真理から離れた誤った考えのこと。

「何かにとらわれたり、こだったりするから、いけないと言っているのか」




「どうじゃった。なにか得たものがあったか」翌日、慈観寺じかんじに来た『ふう』に好胤が尋ねる。

あきらめろ、っていうのが、仏様の教えなのか」『ふう』が言った。

“一晩でそこまで来たか”好胤さんは思った。


「まあ、そうとも言う。しかし、ただ諦めるのでは、心の中の悪いものは、いつまでもついてくるだろう。それでは、今と同じままだ」

「そうだな」

「そのあたりが、罣礙の前に書いてある」

五蘊皆空ごうんかいくう、色即是空、あれもこれも無い、なんにも無い、というところか」

「そうじゃ」

「あそこは、何が書いてあるのか、さっぱり解らなかった」

「初めはそんなもんじゃ。実は阿含あごん経などの、別のお経を知らなければ正確な意味は理解できぬ」


『ふう』が何か思いつこうとして考え込んだ。

「ひとつ糸口いとぐちをやろう」好胤さんが言う。

「なんだ」

「『般若心経』について考えているときに、お前の心の中に、悪いものは出て来たか」

『ふう』がきょとんとする。

「さあ、どうだったか」




『ふう』が家に戻ると、奥から風丸かぜまるが出てくる。

「おかん、なんか変だ」風丸が言う。

「どうした」

「なんか、頭がぼぉっとしている」

『ふう』がとっさに風丸のひたいに手を当てる。熱がある。風丸の顔をよく見る。左右が違うようだ。右のほほが少しれている。

 頭に血がのぼる。

「医者を、茜丸あかねまるを呼ばないと。石英丸せきえいまる来て」


「これは『おたふく風邪』だな。頬はさらに腫れるだろうが、長くても十日もすれば治るから、心配しなくてもいい」

「そうなのか」

「ああ、死ぬことはまずないが、悪化するようであれば、呼んでくれ」

 そういって茜丸が帰っていった。

 それから二日程、風丸の頬の腫れはひどくなる一方だった。ついには布袋ほてい様の腹のようになった。『ふう』は恐ろしかったが、茜丸の言葉を信じて見守った。

 寝る時間を削って看病する。手拭てぬぐいを濡らし、腫れた頬にあててやる。

 四日目、腫れが止まった。五日目の朝には腫れが少し引いてきた。風丸に食欲が出てくる。

『ふう』が安心した。“これで治るな”と思った。


 五日ぶり、好胤さんのところから戻ってきて以来、外に出てみた。朝日が気持ちいい。伸びをして、深呼吸する。振り向いて家に戻ろうとしたとき、あの悪いものが心の中に湧いてきた。


“また出たか”『ふう』が思った。しゃがんで小さくうめく。


“このところ、風丸の看病に夢中で忘れていた。ほっとしたとたんに出て来た“そう思った。


“ん”


“そうか、そういうことか”

“夢中でやることがあるときには、あいつは出てこない。ホッとしたり、眠る前のように、なにもしていないときに、あいつは出てくる。おそらく心の奥底に、いつも居るんだろうが、心に隙間すきまがある時に浮き上がってくる”

”好胤さんが言っているとおり、あれを考え続けても、なにも解決するものはない。考えて解決できるものなら、いくらでも考えればいいだろうが、考えても解決しないことをいつまでも考えるのは無駄だ“

“それならば、あいつはいつまでも心の奥底に閉じ込めておけばいい、時々出てくることもあるだろうが、すぐに別の事を考えてしまえばいいのだ”

“何を考えよう、決まった物がある方がいいだろう。そうだ、あいつが出てきたらすぐに風丸のことを考えよう。風丸が産まれた時の事、育ってきた姿。そうすれば、あいつは心の奥に戻っていく。心の奥に留まっているならば、いないのと同じだ”


 数日後、風丸が全快したので、『ふう』が慈観寺に行った。

『ふう』が生気を取り戻したようじゃな、好胤さんが思った。

『ふう』が好胤に向かって元気良く言う。


そうこれすなわち、くうなり。ぎゃくもまたしかり」


 好胤さんは満足そうだった。『想』の意味が少し異なるかもしれぬが、それで『ふう』が元気になるのであれば、方便ほうべんというものである。

『ふう』の心の傷は一生残るかもしれない。しかし、『ふう』は克服する方法を見つけ出した。


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― 新着の感想 ―
[一言] >ぎゃあてぃ、ぎゃあてぃ、はらぎゃあてぃ 大乗仏教が故意に翻訳しなかったのか、本来はここが「般若(真理を認識し、悟りを開くはたらき)」の要なんですが、サンスクリット語が解らないと意味不明で…
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