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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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般若心経(はんにゃしんぎょう)

『ふう』が時々慈観寺じかんじに来るようになった。本尊ほんぞんのお釈迦しゃか様の前で正座し、手を合わせている。

 慈観寺の僧、好胤こういんは『ふう』のしたい様にさせ、口を出さなかった。

“やはり、北畠兵の事じゃろうかのぉ”

 二千もの兵の葬儀は、好胤さんでもつらいものであった。『ふう』はなおさらであろう。


 あるとき、『ふう』が好胤に声をかけてくる。

「うまくいかないのです。いのり方が悪いのでしょう、教えてください」『ふう』にしては神妙しんみょうな物言いをしてくる。

 普段の『ふう』だったら「うまくいかない。祈り方を教えてくれ」と言うところじゃ、好胤さんが思う。余程こたえているのであろう。


「『ふう』は何のために祈っているのかの」好胤が尋ねる。

「なんのためって、それは、心の中に常に悪いものが湧き上がってくる。それをしずめたい」

「そうか、では祈りながら、なにを考えている」

「死んでいった北畠兵にびている。それと兵達が浄土に行くことを願っている」

「なるほど」そう言って好胤さんはしばらく考え込んだ。


「なあ、『ふう』よ。おぬしがそのように祈り続けたら、お釈迦様が現れて北畠兵を泥土の中から救い上げ、浄土に導いてくれる。兵達が天に登りながら、『ふう』に礼を言う、と思っているのか」

「ちがうのか」

「そのようなことは、起こらない。いくら祈ってもじゃ」

「そうなのか」

「そうだ、仮に『ふう』が老いるまで祈っても、そのようなことは起きぬ」

 好胤が断言した。


 好胤が仏教を学んだのは興福寺こうふくじである。興福寺は法相宗ほっそうしゅうの寺である。法相宗とは初期に日本に入ってきた仏教の一つで、当時の日本での仏教の役割は国家鎮護であった。

 後の密教や浄土宗のような、現世利益、自らの極楽往生ごくらくおうじょうなどを教えることは、法相宗の目的ではない。


「心の中に湧き上がる悪いものを鎮めるためにやっている、と言ったであろう。それに専念せよ」

「どうすればいい」

「そうじゃな。『ふう』ならば、そうじゃ、少し待っていろ」そういって好胤さんが奥に行き、やや細長い紙を持って帰ってきた。

「これを写して、持って帰って読み、書かれていることを考えてみるがよい」

 好胤が持ってきたのは般若心経はんにゃしんぎょうであった。般若心経は、法相宗でも用いる。


『ふう』は悪筆あくひつである。それでも丁寧に書けば読めないことはない字を書く。

『ふう』が書き写している姿を見ながら好胤は考えた。


 仏教は森羅万象しんらばんしょう千変万化せんぺんばんかし、万物ばんぶつ流転るてんすると説く。それに比べて、この子供達が『科学』とか『物理』と呼ぶものは仏教とは異なるせつく。

『科学』では物事をするどく単純化してゆく。単純化したところに世の中のことわりが見えてくるのだという。

 好胤は彼らの授業を参観して驚愕きょうがくしたことを思い出した。


 大きな石、小さな石、どちらも同じ高さから落としてやれば、同時に地面に落ちる。彼らは言った。そして、より大事な事は、今日でも、明日でも、来年でも、何時いつやっても、誰がやっても同時に落ちる。高さを変えても同じだ。

 これを『法則』という、石英丸せきえいまるが言った。この場合は『落体の法則』である。

 この法則を彼らが『数式』とよぶ記号であらわす。数式にしておけば、いろいろな場合に適用できる。大砲の弾がどこに落ちるか予言できる、というのである。

 棒に加わる力が、どのように棒を動かすか、棒同士、どのように釣り合うか。これを数式に表せば、天秤てんびんを作ることや、谷に橋を渡すこともできるという。

 現世的なご利益りやくのある予言が、『数式』で書かれた『法則』から導き出されるそうだ。


 そのご利益を、好胤は幾つも見て来た。それには疑いがない。


「石と羽毛うもうを落としたら、同時には落ちないであろう。それをどうく」好胤が尋ねてみた。

「それは同時には落ちない。何故なぜならば。目には見えないが空気というものが間にあり、羽毛が落ちるのを邪魔じゃまするからだ。もし空気が無ければ、石と同様、両者は同時に落ちるであろう」石英丸が答える。


 石英丸の予言は五百年後、アポロ十五号が空気の無い月面でハンマーと羽根を同時に落下させる実験を行い、正しいことが一般にも確認された。


 このように教育されてきた子供達が、般若心経を読んで理解できるものだろうか、好胤さんは不安であったが、他に良い方法も思いつかない。苦しんでいる『ふう』に何かをしてやらなければならなかった。




「写し終わった」『ふう』が言う。

「そうか、では冒頭から読み解いてやろう。まずこのお経の名前は仏説摩訶般若波羅蜜多心経という」

「ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう、だな」

「そうじゃ」

 好胤が『ふう』にも解るように口語にしてゆき、『ふう』はそれを紙に写してゆく。

「五感で感じること、心に思うこと、これは全て空、すなわち常ならず、絶えず変化する」

「そうなのか」

「そう書いてある、と言っているのじゃ。わしの考えを言っておるのではない。わしに聞くな、考えよ。自らが考えて見出さねば身につかぬ」

「そうか」


 先は長そうじゃ、好胤さんが思った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 般若心経! [気になる点] 人は生老病死からは逃れられず、世を読み解く法則は結果を導いても、人は導かないですからねぇ [一言] ふうに安らぎのあらんことを
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