徴兵制(ちょうへいせい)
教室程の広さの部屋に多くの若い僧がいた。彼らは二人一組となっていた。僧たちの前に片田がいる。
僧たちは片田が話すことを書き留めるのが役割だった。
組ごとに戸籍と土地制度、警察制度、選挙制度と議会、行政と官僚、銀行、殖産興業、司法、学制、軍、科学技術などの筆書きの紙が置かれている。
ここで片田は自分が覚えている限りの知的オーパーツを吐き出している。戦前生まれの彼はタイム・パラドックスなどということは知らない。未来の知識を室町時代に適用すれば、よりよい未来が得られるだろうと考えている。
二人一組の僧は、一人が片田の語ることを草書で速記し、もう一人が速記を片田が読むことのできる楷書カナ交じり文にする。
行政のたたき台を作っている。
「数えで六歳になった子供は、すべて学校に行くものとする。学校では教師が国の定めた教科書を用いて子供に教育するものとする」
「『がっこう』とは、どのように書くのでありましょうか」
「学ぶに、校は木偏に交わると書く」
「教師は、教えるに師匠でよろしいでしょうか」
「そうだ」
「『きょうかしょ』の『か』は、いかがいたしましょう」
「あれは、なんだ。そうだ、禾偏に一斗、二斗のトの字だ」
たとえば、銀行についてはこのようなことを書かせた。
「国に中央銀行を設立し、金を蓄え信用の準備とする。中央銀行は貨幣を発行し、市民は通常の取引においては貨幣を使用する。貨幣の単位は文とする。
貨幣には紙幣という紙製の貨幣と硬貨という金属製貨幣の二種類を流通する。
中央銀行の指導のもと、民間に銀行を設立することを許す。
銀行は貨幣を市井より預かり、蓄えた貨幣を、起業を望む者に利付で融資し、もって殖産興業をなす。利息は国家が上下の幅を定める」
一通り話すと、清書する時間を与えるために、次の分野を担当する者のところにいく。
貨幣は、まあ、当面片田銀と銭を代用でいいだろう。
「民が会社を興すことを許す。会社は複数の人間が集まり、利益を追求するものである。会社は登記所に法人登録することにより成立し、人間と同様に法人として法の支配を受け、法の下での権利と義務を負う。会社は銀行より資金を借りて起業することもでき、また自社の株式証券を発行し、広く市井より資本を集めることが出来る。企業は法人として、年末に決算を行い、これを公表し、人間と同様に法人として利益の一部を税としておさめなければならない」
片田は、自分が当たり前に暮らしていた昭和の時代、どれほど多くの決まり事の上に成り立っていたのか、痛いほど感じた。
また、次のところに行く。
「行政は、立法府である国会が定めた法律により、国を運営する」
「行政は法が変えられない限り、一貫性をもたなければならない。よって専門家を育成し、これにあたらせる。行政を行うものを公務員と呼ぶ。公務を行う公務員は国に雇用され賃金を受けて仕事を行う」
この時代立法と行政の主権は武士にあった。行政を実施する者も武士か武士に雇われたものである。それを普通の人間が立法も行政も行う、といっているのである。
すなわち主権が民にある。主権在民、ないしは国民主権である。
この国民主権であるということから、片田は和泉国を『和泉共和国』と呼んだ。共和国とは共和制の国であるという意味だ。共和制(republic)の対義語は君主が国の唯一の主権者である君主制(monarchy)である。
片田が共和制を選んだのは、共和制が徴兵制の根拠になるからである。
明治の元勲達はナポレオンの国民国家と、国民主権を根拠とした徴兵制度に大きな影響を受けた。明治新政府の初代兵部大輔(陸軍次官)大村益次郎は陸軍士官教育にフランス式を選んでいる(フランスが普仏戦争に敗北した後にはプロイセン式に変更されている)
陸軍で育った片田は、当然このあたりの事情も知っている。
明治六年(一八七三年)の時、日本の人口はおよそ三千三百万人で、そのうち士族と呼ばれたのは百五十万人ぐらいである。国民の四パーセント強が士族であった。彼らは軍人であると言え、立法者であり行政者でもあった。すなわち主権者であった。
これら士族の人数の中には老若男女が含まれ、実際に戦力になるのは、多くてその三分の一の五十万人といったところであろう。奇兵隊など官軍に採用された兵を除くと、これが当時の日本国が動員できる兵力の上限である。
極端な言い方をすれば国民の九十五パーセントは、主権が無いのであるから、国に責任がなく、国がどうなろうと知ったことではない、と言おうと思えば言える立場だった。
国民国家という考え方を採るのであれば、国とは国民のものであり、これを守るのは国民の義務となる。
それまでのヨーロッパ君主制の国が動員出来た兵力は十万とか二十万人であったという。それに対して第一共和制のフランスでは、ナポレオンが数倍の国民兵を徴兵し、全ヨーロッパを敵に回し、一時圧倒するまでに至った。
明治の元勲達がさらに驚愕したのは、明治維新の少し前、一八六一年から一八六五年にアメリカで行われた内戦、南北戦争であった。
アメリカは君主制という遺産を持たない、純粋に共和制の国であった。アメリカ国民はそれを誇りとしている。スター・ウォーズにおいても、味方は共和国再建同盟(Alliance to Restore the Republic)であり、悪役は銀河帝国(Galactic Empire)である。
当時のアメリカの人口は三千万をこえる程度で、同時期の日本とほぼ同数か、すこし少ない人口だった。そのアメリカで南北あわせて、のべ三百万人の兵が動員されて南北が戦った。日本の推定動員兵力の六倍である。
戦死者も多く、南北あわせて六十万人が亡くなったとされている。第一次、第二次世界大戦でアメリカが失った兵数四十万人よりも多い。
アメリカが、自国の統合を強く願い、守ろうとするのは、南北戦争の記憶によるところが大きい。
これが国民国家の動員力である。これを用いない手はない。明治政府は考えた。
明治新政府は国民国家であるというスローガンを前面に出し、明治六年(一八七三年)には陸軍省が早々と徴兵令を交付する。
それに対して、国民国家であるとは言うものの、参政権については
・明治二十二年(一八八九年)大日本帝国憲法発布
満二十五歳以上の男子で直接国税十五円以上を納めている者に選挙権付与
・大正十四年(一九二五年) 納税条件撤廃(満二十五歳以上の男子に選挙権付与)
・昭和二十年(一九四五年) 満二十歳以上の男女に選挙権付与(敗戦後)
と、徴兵令に比べて主権の付与についてはいささか遅れ気味であった。
国民主権のもと、徴兵制と参政権を、ほぼ同時に付与しようとするだけ、片田の方が公正である。
どこからどこまで、片田が語ったことか判然としないが、片田はしゃべり疲れた。
「みんな、一息いれようではないか」片田が言った。




