洪水の跡に残るもの
石英丸が片田村の北端に来る。『とび』の村との間には、大和川に通じる粟原運河がある。洪水は粟原運河を越えて『とび』の村まで溢れていた。
”『とび』の今年の収穫はひどいことになるかもしれない“石英丸が思った。稲は収穫直前だった。
北側を守る守備隊は、持ち場に戻って来ていた。
「『とび』の村にいた北畠兵の様子はどうだ」石英丸が尋ねる。
「あの洪水で、塹壕が埋まり、大和川の向こう側まで退避したようです」
「そうか。停戦合意が出来た。もう少しすれば北畠兵は去っていくはずだ。ご苦労だが、それまでの間頼む」
「承知しました。それよりも、あれを見てください」守備兵が、そういって西の方を指す。
石英丸が兵の指さす方を見た。粟原川の川幅は運河の入口を過ぎると広くなる。水の勢いが衰え、瓦礫となった建物の廃材や、皮を剥かれた樹木などが河床に堆積している。
「あれが、どうした」石英丸が言う。
「瓦礫の間、よく見てください」兵が言う。
しだいに石英丸にも見分けられるようになってきた。でたらめに積まれた廃材や木の枝に紛れて、無数の北畠兵の屍があった。
胃から苦いものが上がってくる。
“あれは、『ふう』には見せられぬな”石英丸が思う。
しばし思案して北畠教具を呼ぶように護衛の騎兵に指示した。教具には、自らが片田村に送った伊勢の兵二千名がどうなったか、知る権利があるだろうし、知るべきだと思ったからだ。
石英丸は北畠軍の生存者を伊勢国に帰す、と約束している。後に捕虜を奴隷商に売ったのではないか、などとのあらぬ疑いをかけられる可能性もある。
従って、伊勢国の兵二千名がどうなったか、北畠教具に見せておかなければならない。
北畠教具がやってくる。
「わしを呼び立てるなぞ、なんの用だ」
「あれをご覧になってください」そういって下流の方を示した。
教具もすぐには、何があるのか解らなかったが、やがて自分の見ているものがなんであるのか、理解した。
このようなことを仕出かしてくれた片田村への怒り、そして兵を仕向けた自分への怒り、それらが混ざり合い教具は立っていることが出来ず、跪き、両の拳で地面を叩いた。
『ふう』が片田村へ降りて来た。自分のしたことで、村がどうなったか、どうしても知りたかった。
茸丸のキノコ小屋の被害が酷かった。村の一番の上流にあり、洪水の影響を直接受けている。
人が倒れているのを見つけると、村人だろうかと見に行き、北畠兵であるのを知り安心する。兵に手を合わせ、申し訳なかったと成仏を祈る。
村の学校のあたりは、全て流されていた。
“やっぱり、だめだったか”『ふう』が思う。教室も食堂もやられていた。『ふう』が木の棒を拾い、瓦礫を突いてみると、泥で汚れて字の読めなくなった教科書が出てきた。
鋼索鉄道の蒸気機関は根こそぎ流されて、跡形もない。
“今、上にあがっている資源だけで、少なくとも東側と西側の二基の蒸気機関を急いで作らないといけないわね”『ふう』が思った。上に資源をあげてしまえば、水平方向の移動は、等高線に沿ったトロッコ線路を使って人力で運べる。
“レールも随分と剥がれているけど、上の方は残っているから、当面使わない路線のレールを剥がして使えばいい”
『ふう』は村の中を通り過ぎながら、どのように復旧すればいいか、考えていた。
遠目に石英丸が見えた。知らない武将と二人で立ち、西に向かって手を合わせていた。
「石英丸」『ふう』が声をかける。
石英丸が振り向いた。
「『ふう』こちらに来てはいけない」石英丸が叫ぶ。
何故、来てはいけないのか『ふう』にはわからなかった。石英丸に駆け寄る。
石英丸の背後の景色が見えてくる。
河原の瓦礫の中に、北畠兵の無数の死骸が見えた。ありえない方向に手足を曲げている者。頭を押し潰されている者。腹を抉られている者。腕や足がない者。胴体だけしか残っていない者。生皮を剥がれた遺体もあった。無数の遺体が、どれもこれも異なる損傷を受けて横たわっていた。
『ふう』が自分の見ている物が何であるのか、理解するのに時間がかかった。理解した時、目尻から涙が落ちた。
「あたしのせいだ……あたしがやったんだ」『ふう』が嗚咽をあげながら、地面に突っ伏した。
「『ふう』のせいではない」石英丸が言う。
こうなることは分かっていた。男でも女でも耐えられることではない。一生心の傷となって残るだろう。だから石英丸は鍛冶丸や茸丸、『いと』などに発破役を頼めなかった。このことの責任は石英丸にある。それで『ふう』を選んだ。
北畠教具が二人を見る。
「この女子が、あれをやったというのか」
「ああ、そうだ。しかし命令したのは、この私だ。片田村の石英丸がやったことだ」石英丸が答えた。
北畠教具が思った。
この異国の女子は、片田村を攻めた他国の兵士の亡骸を見て、自分の責任だと、自らを責めていた。
教具の心から、片田村を恨む気持ちが消えてゆく。
教具が『ふう』の傍らに屈み、『ふう』の肩に手をあてた。
「女子、おぬしらを攻めた兵の骸を悼んでくれるのか」
教具が続けて言った。
「女子よ、ぬしが自らを責めることはない。これは戦じゃ。わしらは、おぬしらの村を攻めた。おぬしらは生きるために戦っただけじゃ。じゃから自らを責めるな」
『ふう』の嗚咽は止まなかった。




