捕虜
いくつもの感想をいただきました。ありがとうございます。
これほどの感想がいただけたのは『マー坊豆腐』以来のことです。
が、私の筆が凍り付きました。
『片田村全滅』か!
事前に、最新の工場は高台にある、原料はケーブルカーで運び上げている、と書いておいたつもり
だったのですが、私の力量不足が原因です。
言い訳になってしまいますが、本文に書きましたとおり、片田村は半壊程度であります。
「刑部、ここは頼む。わしは片田村に向かった兵の監督に行く」北畠教具が藤方基成に言った。村が洪水に呑まれる少し前のことだった。
北畠教具は二十騎程の側近を従えて、片田村に向かう。
「動いたぞ」それを見ていた犬丸が言った。
「全員、騎乗せよ」そして、北畠の騎馬隊の方を一瞥した。まだ混乱は収まっていないようだった。
“あの様子ならば、こちらの脅威にはならないだろう”犬丸は思った。
犬丸の騎馬隊が放牧馬の群れから抜け出し、北に向かう。片田村に通じる道に出てからは西に向きを変え、速足で北畠教具を追跡する。
鍛冶丸達と北畠軍の戦線は、南の方に移動しており、犬丸達に気づく兵はいなかった
その時、爆発音が放牧地に響いた。
「あれはなんだ」北畠教具が馬の脚を止める。何百もの太鼓を同時に叩いたような音だった。ついで水音が聞こえてきた。教具の居る場所からは、間に小山があり倉橋溜池の堤は見えない。
滝のような激しい水音が迫ってくる、思ったとたんに、教具の目の前に、左から巨大な水の壁が現れた。
「戻すぞ」教具は馬を返し、全速力で来た道を戻り始める。
“あれに巻き込まれたら、最後だ”無我夢中で馬を駆り立てた。
正面に騎馬隊が見える。教具が叫んだ。
「下がれ、水に流されるぞ」自分の騎馬隊だと思ったらしい。
百騎の騎馬隊が銃を構えるのが見えた。
“しまった、敵兵か”、百発の銃声が轟き、天地がひっくりかえる。
教具と側近の兵達は落馬していた。馬達は走り去る。教具以外の側近達は、北畠軍の方に追い払われる。抵抗する者も発砲されると従うしかなかった。
教具だけが残った。太刀に手を掛ける。
「無駄です。太刀を落としなさい」犬丸が言った。
「お命を奪おうとは思っていません。引き上げてくれればいいのです」さらに言った。
教具が犬丸の眼を睨んだ。若いが、信用してもよさそうだと思った。
「よかろう。身を預ける」教具が言った。言ってから、思い出し、振り返る。水は迫ってきていなかった。村を目指して下っていったようだった。
「あっ、あれ御館様じゃねぇか」北畠軍の兵が言った。
「おお、そうじゃ。あの兜は御館様だ」
片田の陣で白旗を立てた騎馬兵の脇に、北畠教具が立っていた。
両陣から使者が立ち、戦場の中央で何か話し合った。次いで二人が片田の陣に来て、北畠の使者が教具本人であることを確認した。
その場で停戦協議が始まる。
北畠軍は、ただちに戦を止め、長谷寺まで退却すること。
『とび』の村の北畠軍も長谷寺まで退却すること
北畠教具と北畠軍が指定する従者三人は片田村の捕虜となること。
北畠軍は帰国の準備が出来次第伊勢国に帰ること。
北畠軍が大和、伊勢の国境を過ぎたことを確認した後、片田村は北畠教具と従者三人を開放すること。
片田村に向かった兵については、生存者があれば開放する。傷病者がいたら片田村はこれを手厚く介抱し、回復しだい開放する。北畠軍は生存者探索と称して片田村に入らぬこと。
北畠軍も片田村も、今回の戦の結果において、後に残るなんらの権利も債務も無いものとすること。
今回の戦いにおいて、土地所有権の移動はないこと。
以上、北畠教具軍 北畠教具 代理 藤方基成
片田村 片田順 代理 石英丸
ということが合意された。捕虜である教具は交渉の当事者にはなれなかったが、同意はした。
停戦合意がなされた。片田村の様子が気になっていた石英丸は、合意後ただちに護衛十騎を伴って村に向かって行った。
片田村の様子は、停戦協議中にも何名も斥候を放って調べさせていたが、自分の目で確かめたかった。
両側に山が迫る、村の幅が狭い所では、二間(三.六メートル)、村の幅が広い所では半間から一間(〇.九メートル~一.八メートル)程の波が村を襲っていた。半間の高さであっても、勢いのある波が襲えば、人はひとたまりもない。
粟原川の両側の低地では、ほとんどの家屋が流されていた。このあたりも、勢いの強い波が押し寄せたのだろう。片田村初期の鍛冶場、ガラス工場、アンモニア工場、共同住宅、学校、食堂などである。
鳥見山や忍阪山のすそ野を開拓して建設した最近の工場群は、高地にあるため無傷であった。それら工場の窓や入口から多くの村人が村の様子を見ていた。全ての村人はサイレンの音で高地に逃げていた。
これらは片田の計算内だった。
しかし、高地にある工場に川から原料を運ぶ鋼索鉄道がやられていた。
洪水が襲った時、川沿いにいた車両は流され、鋼索が千切れている。多くの線路も枕木ごとえぐられて流されていた。
鋼索鉄道に動力を与える蒸気機関、これは水と石炭を高地に運ぶのは無駄だ、ということで全て川沿いに置かれていた。これらもすべて駄目になった。
まずは村民の住居と鋼索鉄道の復旧が最優先だ、石英丸は思った。




